「…貴方と言う人は…何度言えば分かるのですか」 「…すみません」 目の前の彼は悪魔のような笑みを浮かべていた。…悪魔というよりもはや魔王と言った方が良いかもしれない。 私は今彼が大切にしていた湯飲み茶碗(だったもの)を手にしている。 にこにこと人の良さそうな笑顔を浮かべる反面、山南さんは全く笑っていない。「もうその仮面のような笑顔は私に通用しませんよ」…なんて言ったら呪い殺されるかも。 「貴方はいつも私の湯飲みばかり割りますねえ」 「いえっ!そんなことは!」 「私が夜しか行動出来ないのを知っていてわざとやってるんですか?」 「いやいや…ですから!」 「…今回のはやっとの思いで手に入れたのですがね…?」 …怖いです。ホントに怖いです、山南さん。土方さんも怖いけど比じゃない怖さです。言葉の陰からふつふつと湧き出る怒りが目に見えるようです。 そんなことを思いながら、私は膝の辺りをぎゅ、と握った。 「…これからは気をつけなさい」 呆れたように言う山南さんに気付かれないようにそっと彼の顔をうかがうと、少し怒りが和らいだようで安心した。 いつだってそうだ。山南さんは必ず私を許す。怒ってるくせに「これからは」と言う。その言葉を聞く度に私はまだこの人の側に居られるのだと安心する。うわべでは拒絶されようとも、心は受け入れてくれているのだろうと思っていた。 「…はい?…今…なんと」 「解雇、ですよ。理解できませんか?」 だから山南さんの部屋の入り口で障子にすら触らせて貰えなかったのにはさすがに驚いた。ゆらり、と障子越しに揺れる影が本当に化物のようだった。彼の声は平生と変わらない。 「…今更拒絶するのですか」 「今更、ではありません。貴方の仕事の出来無さ加減にほとほと嫌気がさしたのです」 「そうですか」 山南さんの冷たい空気は変わらない。ただ盆に乗せたお茶だけが冷めて行く。せっかく熱いお茶を入れたのに。新しい湯飲みを買ってきたのに。 冷たい廊下に私は座り続けていた。山南さん、貴方はご存知無いでしょうが、私は貴方の事を良く知っているのですよ。 「…まだそこに居るのですか、」 「早く帰りなさい」 「………」 「聞こえないのですか、早く」 「突き放すのならもっと強く突き放してください、山南さん」 障子の影が僅かに震えた。きっと今、彼は目を丸くしているんだろう。 「要らないと言って道にでも放り出せば良いじゃないですか、頬をはたけば良いじゃないですか」 「…どうしてそうしないんです?」 拒絶するのなら、もう二度と私が近付かないようにすれば良い。そこまで憎んでいるのなら私は何も言わない。でもそうだとするなら、どうして「これから」なんて言うんですか…? 音もなく障子が開いた。 風が流れて机の上の紙が二三枚畳に舞う。一つだけ焚かれた松明が煌々と燃えていた。 「そんなこと…出来る筈ありません」 「あなたに乱暴するなど、私には」 「…どうしてそんな顔するんですか、」 新撰組総長の山南敬助ともあろう人が。私のような町人風情の娘にそんな弱々しい顔をするんですか。それじゃあまるで捨てないで、と訴える小さな子供のようですよ。 「あなたを傷付けたくありません。それにはこうして放すことしか手段が無いのですよ」 「それが本音ですか」 「…ええ」 山南さんは罰が悪そうに目を伏せた。 気付かれたく無かったから障子の向こうに隠れていたんだ、この美しく誰よりも優しい人は。 「お茶、入れ直して来ますね」 「お待ちなさい」 一言そう言われて、障子の向こうに引き込まれた。身動きのとれない私はただじっと彼にされるがまま。 「…寒かったでしょう」 「いいえ」 「身体が冷えてます」 「それでも、山南さんのお側に居られない方がずうっと寒いです」 「…まったく、あなたは。」 本当に呆れた人ですね、と聞こえた時には私はもう彼に包み込まれていた。彼の腕の中で私はそっと身を任せた。 あなたの嘘、ちっとも怖くないよ (だって優しすぎるもの) --------------------- 「悪魔」さまに提出しました。 彼の時折見せる悪魔のような笑顔が好きすぎて書いてみました。うまく主旨に沿えていれば幸いです。参加させて頂いてありがとうございました。 9.17.碧 |