私の声帯は生まれつき震えなかった。

詳しくは良く知らないけど簡単に言えば私はしゃべれなかったのだ。昔からずっと。だけどそれを苦に思ったことは無かった。私の生まれた島は平和で穏やかで危険なんか無かったから、声なんか要らなかった。両親は居なかったけど親切な街の人たちが居て私は幸せだったんだ。


だけど私は今その島には居ない。

ある日島に上陸した海賊たちによって街は荒らされた。店も、私の小さな家も襲われて壊された挙げ句、私までも襲われそうになったのだ。
その時、私はこの人に助けられた。


「なにぼーっとしてんだ」
「…!」

せんちょ、と口を動かすと頭を乱暴に撫でられた。

ハートの海賊団の船長であるトラファルガー・ローが島に寄りかかったのも丁度あの時だった。彼は気まぐれから私を助け、私の声帯に興味を持ち、私を拾った。(何でも声帯があるのにそれが機能しないというのは興味深い、だそうだ)いつか私の声帯治してくれると言って。
それ以来私はずっとこの船にいる。


船長は見た目は怖いけど優しい人だった。
男ばかりで不便だろうと言って専用の部屋を用意してくれたり、最初は気持ちが伝わらなくて大変だったけど、根気よく私の口を読む努力をしてくれた。だから今では70%くらい筆談しなくても船長とは会話できるようになった。

「(あ、め、)」
「…ん?ああ、雨が降りそうだな」

船長が私の名前を呼ぶ。ちょっと低めの温かい声。もし私の声が出るようになったらこんな風に船長の名前を呼べるんだろうか。こんな風に船長を温かい気持ちに出来るんだろうか。

「お前はそろそろ部屋に入れ」
「風邪ひくからな」

船長の言葉に素直に頷いて私は自室に戻った。それから穏やかな睡魔に襲われてぐっすり眠ってしまった……







「―…が、」

遠くで話し声が聞こえて私は目を覚ました。感覚器官のどこかに障害があると他の器官が発達するのはよくあることで、私は耳がひどく良かった。遠く(多分食堂あたりで)話す声も私には良く聞こえる。随分長い間眠ってしまったのだとその時初めて気が付いた。

私も何か食べに行こうと食堂に向かう途中、こんな話が聞こえてきた。


「それでどうなの船長」
「あ?ああ…あいつの声帯のことか?」

お酒が入っているのか少し機嫌の良さそうな船長とベポの声。考えなくても私のことを話してるんだと分かる。


「大体仕組みは理解出来たからな、五分五分くらいで治せそうだ」
「えっ!!そうなの!それじゃあもう少しでしゃべれるようになるんだね!」
「ああ…でも」


「あいつの声帯が治ったらあいつとはお別れだぞベポ」

「…アイアイ、キャプテン…」


船長は僅かに声のトーンを落としたけど私にははっきり聞こえた。「お別れ」…。

忘れてた。
船長は私の「声帯」に興味があったから私を拾ったんだ。私に優しくしてたんじゃない。大事な検体だったからだ。私とのコミュニケーションを一生懸命とってくれたのも、ただ必要だったからだ。それを勘違いして私は…

暗い甲板に出ると雨は強さを増していた。それでもお構い無しに私は雨に濡れて泣いた。どんなに泣いても叫んでも私の声帯は震えないけれど、私の声は届かないけれど。
私は船長の名前を呼ぶことも許されなかったんだ。私がしゃべれるようになれば船長の私への興味は無くなって私はどこかへまた捨てられるんだ。


(船長…船長…っ!)

震えて、私の声帯。
この空気を震わせてあの人に気持ちを伝えて。



「おい、お前なにやって…!」
バシャバシャと雨に濡れた甲板を走る足音がする。ああ、だいすきな船長の声だ。

「ベポ、タオルとブランケット取ってこい!」
「アイアイ!」
「おい、大丈夫かっ!」

ねえ船長。お別れなんかやだよ。それだったらずっとしゃべれるようになんかならなくて良いよ。治さなくて良いよ。

「なんて言ってんだ、暗くて見えねぇよ!」
「(せんちょう…)」
「分かるように言ってくれ…っ」

わたし、声なんかいらないよ

船長の大きな手のひらにゆっくりとそう書いた。




「お前…さっきの話聞いてたのか」

すっかり身体中拭かれてブランケットに包まれた私は船長の部屋に居た。今は船長が髪を乾かしてくれている。

こく、と頷けば船長の目元が帽子の影になって見えなくなった。


「俺は…お前を無理矢理連れてきちまったって後悔したんだ」

「…!」

「お前はきっと島に帰りたいだろうって。だから声帯が治るまでだと言って自分の罪に言い訳してた」

船長はそんなこと考えていたんだ。全然知らなかった。涙の跡を拭うようにして船長は「お前はどうしたい?」と言った。


「(声が治っても船長の傍にいたい)」
「…え?」
「(船長と一緒に、この船に…)」


言い終わらないうちにしっかりと抱き締められた。船長が濡れちゃわないかとひやひやしたけど船長は放してくれない。


「治ったらちゃんと俺の名前呼べよ」
「(うん)」
「絶対だぞ」
「(うん)」
「…そしたら俺はお前に言うことがある」


船長…ロー船長、

船長の身体に包まれながらさっきとは違う涙を流して口を動かした。きっといつかこの声が船長に届きますように。







「好きだよ、ロー船長!」



雨の日の涙は
生温い





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情動」さまに提出しました
ローどころか海賊夢を書いたの自体が初めてだったので、違和感があったらごめんなさい。
素敵な企画に参加させて頂いてありがとうございました。

9.7.碧


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