マイカの身体は回復に向かいつつあった。
2日も経てば熱は下がり、起き上がれるようになった。徐々にラテアとの会話も可能になり、5日目には歩けるまでになった。この期間、マイカは自身が『記憶喪失』の人間として扱われている事や、この部屋の外に関する様々な情報をラテアから聞くこととなった。

意識を取り戻した翌日、点滴を取り替えにきた際にこう言っていたのだ。
「そういえばまだ貴方の名前を教えていただいていませんでした…
先生から魔物に襲われたショックで記憶喪失になったと伺っているのですが、自分のお名前は覚えていらっしゃいますか?」
流石に名前がわからないままは此方としても不便だと思い、考えるそぶりをしながらマイカとだけ答えた。するとラテアは嬉しそうに微笑んだ。
「マイカさん、ですね!他に何か思い出せることはありますか?些細なことでも構いません」
しかし、マイカは小さく首を横に振った。現状を把握しきっていない状態で自身のことをベラベラと話すのは良くないと思ったからだ。ラテアは少し眉を下げ残念そうな顔をしながらも笑顔を絶やさずマイカを励ました。
「きっとすぐに思い出せますよ!マイカさんなら大丈夫です!」
その自信はどこから来るんだろうかと心の中でツッコミながらも、思わずマイカも笑みをこぼした。それからというもの、毎日献身的に看護をしてくれる彼女と友人になるのに時間はそうかからなかった。業務の合間に顔を出してはマイカの話し相手となっていた。
記憶を失っているマイカに彼女はここはテルカ・リュミレースという世界であること。今いる場所が帝都ザーフィアスの帝国騎士団が管轄の病院施設であること。その騎士団の団長に助けられてここへ運ばれてきたこと。
そして、3年ほど前に魔物との大きな戦争があったということを教えてくれた。

知りうる単語と、自分の持ち得る知識を総括して、ラテアが話していたことはマイカの知る『テイルズ オブ ヴェスペリア』の過去に起きた出来事とほぼ一致していた。結論付けた直後、思わず自分の頬をつねってみたが頬がヒリヒリとした痛みがこれが夢ではない事を教えてくれた。

これだけでも充分驚きだと言うのに、更に衝撃を受けたことがあった。それはマイカが起き上がれるようになった時のことだ。
「マイカさん。髪ときますね〜」
「ありがとう」
ラテアが持ってきた櫛で髪をゆっくりとといていく。ラテアはマイカの髪に触れながら羨ましそうに口を開いた。
「マイカさんの髪、フワフワしてて触りごごちいいですよね〜!それに髪の色も鮮やかな赤色で…。これ地毛なんですよね?私、地味な真っ黒だから憧れます!」
「えっ…?!」
彼女の言葉にマイカは思わず振り向いてしまった。ラテアは驚いた様子でこちらをみていた。
「あ、えと…。前髪に変な寝癖がついてたらいけないから手鏡を貸して貰ってもいい?」
「いいですよ!……っと、どうぞ」
ラテアは自身の持っていた手鏡をマイカに手渡した。マイカはこの手鏡で初めて自身の姿を見た。
(これが私…?!)

思わず声に出してしまいそうになるのをぐっとこらえる。鏡には見慣れた黒髪のボブヘアーではなく、赤い髪の癖っ毛で、目は琥珀色の女性が映っていた。顔は変わりないようだが、髪と目の色はあの空間の炎に染まってしまったかのように変色していた。

ふと、謎の人影に言われた言葉が脳内に蘇る。
【ここは貴女が『あの世界』に行き着く為の中継地点。貴女の手の中にある原素が『世界』に適応出来るよう、貴女を『作り変え』てくれる──】

あの時は言葉の意味をさっぱり理解することが出来なかったが、『作り変える』というのはこの事だったのだろうか。今となっては答えてくれるものは誰もいない。
(この姿を、受け入れるしかないのね…赤い髪なんて元の世界じゃ悪目立ちで嫌だけど、この世界なら…)
ふと、城にいるであろう桃色髪の少女を思い浮かべる。間違いでなければ、騎士団側の策として評議会が次期皇帝候補として挙げている彼女を軟禁しているはずだ。彼女にもいつかで会えることがあるのだろうか。
(ま、現状じゃまず無理か……)
ラテアに手鏡を返しながらマイカは思った。彼女はマイカはそのような事に頭を巡らせているとは知らず、鼻歌混じりに髪を解いていた。


「マイカ君、体調も安定してるし部屋からの外出を許可するよ」
マイカが目覚めて7日目、定期検査の為病室を
訪れた例の医者がニコニコと笑みを浮かべながら開口一番言ってのけた。
「はぁ…」
対してマイカの返事はそれほど喜びに満ちたものではなかった。そもそも、この世界に知り合いも誰もいないのに何処へ行くと言うのか。それにこの病院の内部さえ知らない。迷子になってフラフラと彷徨うのがオチだ。それを伝えようと口を開くが男の発言に遮られてしまった。
「あの「そうそう、外出許可と言っても君と話がしたい人がいてね。その人に会わせるために出したってのが本音だから」
「そうですか……」
それじゃあ、と医者は続けた。
「早速外出と行こうか」



***

(何故こんなことに……)
マイカはある人と対面するために車椅子で移動していた。
正直なところ、歩く程度なら問題ないほど回復しているのだが、
『患者連れてフラフラ歩き回るのが嫌でさ。昔、看護師長に怒られてねー。だから目的地までこれに乗っててくれるかい?勿論僕が押していくからさ』
と、早口で理由を垂れ流されているうちにマイカは車椅子に誘導され、病室を出た。
「あのお…」
「そういやすっかり自己紹介を忘れていたねぇ。僕はこの病院の院長をしているシルジュと言うんだ」
(フリーダム過ぎるこの医者……!!)
全くこちらの話を聞かない以前に言わせもしない勢いに思わず心の中で突っ込みをいれる。

「さぁ、着いた」
「わぁ…」
目の前に現れたのは石造りの大きな建造物だった。入口の扉も大きく、両端には警備兵が立っていた。日本では滅多に見ることはない西洋的なシルエットに見とれていると、シルジュはマイカに声をかけた。
「ここは帝国騎士団の騎士団本部だよ。びっくりした?」
「帝国騎士団……」
「今は警備が厳重化されて関係者以外立ち入り禁止にされてるんだけど、今日は特別さ。さぁ、入ろう」
シルジュ共にマイカは建物の中へと入っていった。二人は通路をまっすぐ進み、奥にある一室へと案内された。その扉の入り口にも警備兵が立っており、マイカは入室の際に兵士へ向けて会釈をして入った。中は応接室のようで、シルジュから車椅子を降りソファに座るよう促された。言われるままにソファに座る。シルジュの方へ振り替えると、彼は部屋から退出しようとしていた。
「え?!シルジュ先生!」
「なんだい?」
「なんで出て行っちゃうんですか?!」
「だって僕、君をここに連れてくるよう頼まれただけだし」
「心細いからいてくださいよ!」
「だって僕この後診察あるしー。夕方には迎えに来るから」
じゃっ!と、わざとらしい笑顔を浮かべたシルジュは病院へと帰っていった。
一人部屋に残される。静まり返った部屋。思わずはいてしまった溜息がやけに大きく聞こえた。

(確かラテアの話だと、私は魔物に襲われた所を騎士団に助けられたんだっけ)
だが、これはおかしい。私にはそのような記憶はないし、騎士団側にもそのような出来事はない……と思う。それに私は『話していない』だけで記憶喪失などではない。今だからこそ考えられるが、この一件にはシルジュだけでなく、騎士団も絡む大事になっている。
(これってもしかして死亡フラグですかね……)
最悪の展開だけが頭を過ぎる。あぁ。あの時、あの謎の箱を開封さえしなければ私は今まで通り平穏な人生を送っていられたというのに。後悔の念が堪えずマイカを襲う。

コンコン。
扉をノックする音がした。
マイカは思わずその場に立ち上がり、扉が開くのをじっと待つ。
扉の外から一言二言人の声が聞こえると、満を持して扉はゆっくりと開かれた。


「体調は安定したようだな」
「ッ?!」

マイカは思わず唾を飲み込んだ。目の前に現れたのは彼女がこの世界を基にした作品で最も好きなキャラクター――所謂『推し』である、帝国騎士団騎士団長アレクセイ・ディノイアその人であった。これまでラテアから得た情報、病室の窓から見えた空に浮かぶ光の輪、入り口や今いる部屋の前にいた警備兵の武装見て、彼女自身覚悟はしていたが、まさか一番最初に出会う人物が彼だとは予想もしなかった。

「やはり今日が私の命日なんですね……」
ここに来てポツリと本音が零れる。
あぁ、神様。人生の最期の最期に推しに会わせて下さりありがとうございます。私は喜んで天国でも地獄でも参ろうではありませんか。彼女の項垂れるさまが滑稽で、アレクセイは苦笑しながら声をかけた。
「そうなるかは君次第だな」
「えっ」

アレクセイの返答に項垂れていた頭を勢いよく持ち上げる。
推しと会話が出来た喜びと今だ信じられない現状に目の前で一人百面相をしている女を前にアレクセイは咳ばらいをした。
マイカ自身もこんなことをしている場合ではないことを思い出し、姿勢を正してアレクセイを見る。
「挨拶が遅れたな。私は帝国騎士団団長のアレクセイ・ディノイアだ。君の名前は医師からマイカと聞いているが間違いはないかね」
「はい!間違いありません」

アレクセイのテキパキとした物言いに釣られて、つい畏まって返事をするマイカ。アレクセイは彼女に肩の力を抜くようにと伝えた。
「先程の返答は気にしないでほしい。今日は君に幾つか聞きたいことがあって来てもらったに過ぎない」
マイカはアレクセイに促され再びソファに座った。アレクセイも向かいのソファに座る。アレクセイはA4ほどの大きさの茶封筒を目の前のテーブルに置いた。
「今からここで話す内容は他言無用だ。医師にも話してはならない。その為に席を外してもらっている」
「そうだったんですか」
この部屋から逃げ去った医師の様子を思い出し、納得する。
「また、君の知りうることは全て話すように。君が病院で聞いたであろう入院の経緯。心当たりはないだろう?あれはこちらで用意した作り話だ。この7日間、こちらの話に合わせてくれたことは感謝しよう。いや、寧ろ君自身が話を合わさざるを得なかったという方が正しいかね?」
「……」
「時間はたっぷりある。マイカ君、君の話をじっくりと聞かせてもらおうか」
(一つでも発言を間違えたら、この場で斬られる……!)
ピーンと、張り詰めた空気の中、マイカは肩を抜くどころか全身を強張らせながらアレクセイからの尋問を受けることになったのだった。









20190709


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