「帝都付近でエアル濃度が急上昇している場所が?」

アレクセイがその情報を耳に入れたのは、午後の執務が始まった直後のことであった。
新兵達の魔物討伐の指揮から帰還したシュヴァーン・オルトレイン。彼が帝国騎士団騎士団長――アレクセイ・ディノイアに戦果の報告の際にそう告げた。詳細を聞くと、魔物の討伐演習中に、土壌が緩んでいたのか、崖の一部が崩落。そこから石造りも人工物が発見されたのだと言う。
「怪我人は」
「魔物との戦闘で切り傷を負ったものが少数。崩落による怪我人はいません」
シュヴァーンの返答に、アレクセイは小さく安堵の息をついた。
まだ記憶も新しい人魔戦争。人間と魔物との戦いは、甚大な被害を被りながらも人間側の勝利で幕を閉じた。勿論、前線で戦った騎士団にも大きな傷跡を残した。失った兵力の補充の為に、身分を問わず兵を集め、日夜訓練を行っている。しかし、評議会からの圧や、訓練に耐えられず騎士団を去っていく者も少なからずおり、未だ戦前までの状態まで漕ぎ着けられていなかった。それ故、アレクセイは兵の状況の変化に人一倍敏感であった。
「それで、場所は」
「クオイの森の西側です。エアルの影響で付近の生態系に変化がないか、定期的にエアルの濃度の測定と見回りをさせています」
 シュヴァーンはアレクセイに測定記録の用紙を手渡した。中央に大きく書かれているグラフに目を落とすと、緩やかにではあるが確かにエアルの濃度が日に日に増している。エアルはこのテルカ・リュミレースの主なエネルギー源であり、空気中にも存在している。しかし、目に見えるほど濃くなると、生物に悪影響を与える他、魔導器が暴発を起こす危険性も孕んでいる。
「調査を行うのでしたら早急に動かれた方が宜しいかと」
「うむ。しかしタイミングが悪いものだな……」

つい先日、帝都ザーフィアスの地下をアスピオの魔導士達を集め区画調査を行ったのだ。彼らは調査で得た情報を元に調査結果を纏めたいと、アスピオへ戻ったばかりだった。今から呼び戻すにも、時間が惜しい。エアルの濃度が許容範囲を超えて仕舞えば調査のしようがない。
「シュヴァーン、次のエアル測定の時間は?」
「2時間後です」
「分かった。次の見回りの部隊に遺跡付近の魔物の討伐を指示しておけ。1時間遅れで私が直接調査を行う。道案内は君に任せる。良いな?」
「分かりました」
アレクセイはシュヴァーンへの指示を終えると、後ろに控えていた男に声をかける。
「クオマレ!」
「はい!」
クオマレと呼ばれた若い騎士はアレクセイの補佐官だ。同じ平民の出である”英雄”を目の前にしているせいか、その目は普段より輝きを増しているようにも見えた。
「3時間後に遺跡の調査を行う。内部はエアルが充満していると考えて魔導器は使えない。使えそうな記録道具と、馬車の用意を頼む。……確か、今の時間帯ならシムンデルの手が空いていたな。彼にも同行するよう伝えておくように」
シムンデルはクオマレと同じく補佐官である若い騎士だ。クオマレは返事をすると、2人に一礼して足早に執務室を出て行った。
「さて、此度の調査では何が出てくるかな……」
アレクセイの呟きが聞こえ、シュヴァーンが彼の表情を見た。そこにはまるで宝物を探しに行く少年のような眼をした男がいたのだった。





3時間後。
アレクセイの指示通りに行動した部下の力もあってか、予定に狂いはなかった。シュヴァーンが乗る馬が、アレクセイや補佐官達を乗せた馬車を先導し、目的地へと向かった。

「シュヴァーン隊長!」

先に到着していた舞台の1人が声をあげた。周辺にいた他の兵士達は、英雄の姿を視認すると素早い動きで隊列を組むと、上官を迎え入れた。シュヴァーンは馬を降りると、隊列の前へと向かった。すると、部隊長の男が一歩前へと出ると、報告を始めた。

「ご指示の通り、この付近の魔物どもは討伐済みであります」
「ご苦労。このまま遺跡の調査が終わるまで、周囲の警戒を怠るな」
「はっ!」
シュヴァーンから支持を受けた部隊長は、すぐさま隊の指揮を始めた。彼らの動きを見て、怪我を負った者はいないことを確認すると、アレクセイ達の元へと向かった。アレクセイは既に遺跡の入口を観察し始めており、補佐官達は騎士団本部から持ち出してきた道具の用意をしていたところだった。
シュヴァーンはアレクセイの横に立つ。遺跡の入口からは森の空気とは明らかに違うものが外の風に流されていく。シュヴァーンは自身の心臓が魔導器であった事を思い出し思わず一歩後ずさる。アレクセイはその事には触れず、口を開いた。

「シュヴァーンか、兵達の様子はどうだ?」
「問題ありません。それより閣下、本当に貴方と補佐官の3人で宜しいのですか」
アレクセイは入口から視線を離すことなく、シュヴァーンの問いかけに答える。
「あぁ、古代文明に興味のないものに遺跡を荒らされては敵わん」

その言葉を聞いてシュヴァーンはそもそもこの人はこういうものに興味がある人間であったことを思い出した。先日の帝都地下の区画調査でさえ、自ら指揮をとって行ったアレクセイだ。今回も、部下を連れて自ら調査を行うのは当然であるかようにも思えた。
「どうやらこの場所は遺跡の入口ではなく、通路の一部が切り出されたような様だ。地形からしてそれほど深くはないだろう。15分経っても私達が戻らなければ突入してくれ」

15分。これがアレクセイ達が割り出した調査のタイムリミットだ。エアルの上昇値と遺跡内の酸素の残量からしてそれほど長居はできないと判断したのだ。
「クオマレ、シムンデル、準備は出来たか?」
「はい!団長閣下!」
クオマレは発掘品を持ち帰るための大きな布や籠を、シムンデルは中の様子を記録するための文具や、自身で纏めた古代文字の解読表、ルーペを持ってアレクセイの元へと駆け寄った。魔導器が使えない為、思う通りの調査は出来ないだろうが、彼らと一緒ならば新たな発見が出来るかもしれない。

「調査隊、出発だ」

アレクセイの言葉を受けて、帝国の未来を担う若き補佐官たちは一度大きく敬礼をしてから騎士団長後を追った。










――ごとり。
なにかが落ちる音がした。

『うごきだす 動き出すよ』
『未来が 動き始めるよ』
『まだはやい』
『まだ早い』
『いそがなきゃ』
『急がなければ 間に合わない』

ざわざわと脳内を反響する数多の声で舞花は再び炎の中で目を覚ました。意識を失う前の変わらない景色。しかし、明らかに聞こえる声たちは先程とは異なって焦りを見せていた。

『もう すぐそばまできてる』
子供の声だ。
『もうすぐ 始まるのね』
今度は老齢の女性の声だ。
「何が始まるの?」

舞花は問いかけてみた。
しかし返事は返ってこない。
変わらず声の数は増え続ける。

『さぁ 急いで仕上げにかからないと』
『きっと熱いだろうけど』
『きっと痛いだろうけど』

『貴方なら大丈夫』

その時、舞花を囲っていた炎が彼女の頭をめがけ襲いかかる。

「熱っ!!いや!離して!」

髪に燃え移った火を消そうと手で髪をはたくが一向に鎮火しない。それどころかその火は彼女の目にも襲いかかる。

「痛いっ……」

思わず両手で目を覆うが、火は消える事なく、瞼の中で眼球だけがじりじりと燃えていた。髪が、目が焼かれていく。その激痛は全身を駆け抜けるほどだ。自分が今はどのような状況なのか、想像するのが恐ろしい。

「あつい、いたいよ…たすけて……」

『あと少しだよ 頑張って』
『すぐに楽になるよ』

声が彼女を励ます。
始まりとは何か、この先に何が待ち受けているのか、彼女はまだ完全には理解できていなかった。





***


「ここは……」
細い入口を抜けた先でアレクセイの声が辺りに響く。アレクセイの予想通り、遺跡はそれほど大規模なものではなかった。それぞれが光源として用意したランタンを持ち、たどり着いた先は円形に広がった部屋というよりは広間のような場所だ。アレクセイが一歩足を踏み入れると、壁に等間隔で設置されている光照魔導器が一斉に起動し、柔らかな光で広間の内部を優しい光で照らし出す。
「ここにある魔導器は問題なく動いているようですね。何か特殊な加工を施しているのでしょうか……?」
シムンデルがアレクセイに問いかけた。
「そもそも、この付近に建造物があるような情報は今まで見た文献にはなかった。私達が今現在知り得ている文明とは異なる何かがここにはあるのかもしれん。少しでもきになるものがあれば詳細に記録を頼む」
「畏まりました」
シムンデルは返答を終えると、早速自分の位置から近い光照魔導器の1つに近付き観察を始める。その様子を見ていたクオマレはシムンデルに負けじと広間の奥へ進んだ。
「なんだ、石版…?」
壁と色が同化して入口からは判別出来なかったが、クオマレの腰ほどの高さで、横長い石板が設置されていた。クオマレは騎士団本部から持ってきたランタンを石板に近づけると、古代文字が掘られていることに気づいた。
「シムンデル!そちらの用が終わったらこっちへ来てくれないか?石板に書かれている文字の記録を頼みたいんだ」
「分かった」
シムンデルは眼鏡の位置を直す仕草をすると、クオマレの元へと向かう。彼は補佐官の中で誰よりも古代文字に精通していた。

補佐官2人が自身の能力を把握し、限られた時間で任務を遂行している様子を確認しつつ、アレクセイ自身も遺跡の中を観察していた。彼が一番気になっていたのが広間の中央部分であった。壁も床も紋様などの装飾が一切ないのに、広間の中心には部屋と同じく円形で直径4メートル、高さが20センチ程ある白い岩盤が設置されていた。まるでそこだけがステージの壇上のようにも見える。アレクセイはその岩盤の上に登壇してみる。念の為部屋をぐるりと見回してみたが、わずかに目線が上がっただけで何も変化はなかった。装飾品や残された品もなく、魔導器も正常に起動している。壁や床にも破損はなく、発生しているエアルの噴出口すら見つからない。
(やはり、部下たちが記録をしている石板が鍵なのだろうか)
この遺跡に関する情報があまりにも少なすぎる。限られた時間で出来る限り多くの情報を持ち帰るためにもアレクセイ自身も石板の元へ向かおうとした。その時だった。

「なんだ…?!」
突然、足元の岩盤から赤い光が浮かび上がる。その光が術式である事にいち早く気付いたアレクセイは咄嗟に厚い岩から飛び降りようとするが、岩の淵を囲うように透明な壁が現れ、逃げることは叶わなかった。
「団長閣下!今お助けに…!」
「来るな!!」
騎士団長の危機にいち早く気付いたクオマレが助けに来ようとしたが、彼もここに閉じ込められてしまっては元も子もない。アレクセイの一喝にクオマレは身体をびくりと震わせながら制止した。幸いに、岩の外側には変化はなかったようだ。アレクセイは戸惑いの表情を隠せない2人へ普段通りの声音で命令を下す。
「シムンデル、クオマレ、君達は急ぎここから脱出し、今得たデータを本部の研究チームへ届けよ。不要なものはここへ捨て置いて構わん。すぐに出て行け」
「閣下!ですが…!!」
「君達がここに残っていては私はこの剣を自由に振るえない。遺跡に傷をつけるのは非常に惜しいが、私も死ぬつもりはないのでな。君達が脱出次第、私もここを脱出する」
それでも何か言いたげなクオマレにアレクセイは早く行けと再び一喝した。顔をぐしゃりと歪ませると彼は持って来た包みを床へ落とすとシムンデルの荷物を半分奪い、出口へと駆けて行った。慌ててシムンデルも後を追う。
「閣下!必ずご帰還を!!」
出口の方から温厚なシムンデルの叫び声が聞こえた。勿論、ここでくたばる気は毛頭ない。アレクセイは自身の剣で岩盤を破壊しようと瞬時に考え抜くが、遺跡の仕掛けは無情ながら彼に一切の余裕を与えてはくれなかった。足元の光が一瞬強く光ったかと思うと、次の瞬間には下から勢いよく炎が吹き出て来た。炎は透明の壁を伝って渦となりながら上へ上へと登っていく。アレクセイはあっという間に炎の中へと閉じ込められた。辺りを見回すが視界はどこも赤く、壁となった炎の熱気がアレクセイを襲う。

『舞台は整った』
「誰だ!」

渦の中を誰かの声が反響した。アレクセイは咄嗟に問いかけたが、声の主の気配すら感じられない。

『扉は今開かれる――』

足元の術式が一層眩い光を放つと、目の前に2メートル弱ほどの高さで、横幅が50センチ程の炎の塊が現れると、炎の渦は回転速度を早めながら塊の炎を吸収し始める。目の前で炎のベールが取り除かれると、中に人の肌のようなものが見えた。アレクセイは思わず目を丸くした。その間にも炎は絶えず壁に吸収されていく。

「なんという事だ……」

炎の中から現れたのは生身の若い女性であった。
体つきから見て成人だろうか。周りの炎に負けないくらいの紅の髪、何も身に纏っていない素肌は絹のように美しく。表情は苦しそうで、目は閉じられたままであった。炎の渦は目的を果たしたのか、彼女の纏っていた炎を吸収しきったと同時に消滅し、浮遊していた身体は重力に逆らう事なく地面へ降下する。アレクセイは咄嗟に彼女の身体を支えた。女性は未だ意識がないのか、目を開ける様子はないが、呼吸は浅く苦しそうだ。症状の原因が怪我や炎による火傷ではない事を確認すると、アレクセイは石板の側に残されていたクオマレの持ち込んだ布で彼女の身体を包む。自分を含め、今この周辺に女性騎士はいない。彼女が目覚めたときのことを考慮してなるべく人目を避けた方が良いだろう。アレクセイは彼女をしっかりと抱えると、遺跡を脱出。シュヴァーンへ先に帝都へ戻り手の空いている治癒術師を本部へ至急集めるようへ指示を出すと、彼女を連れて帝都へと帰還した。

先程の出来事の事、突如現れた彼女の事。
その事が明らかになるのはまだ先の話である。



20190523




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