例の一件以後、ロブくんが化学準備室に入り浸るようになった。おれが仕事している後ろのテーブルで、全然関係のない教科の勉強をしていたりする。おれは質問されても答えられないだろうけれどむしろそういうのは歓迎だし、理系なら高校生程度の問題は大体なんでも答えられるし、表面上普通の先生と生徒としての日々を過ごしていた……んだけれど。多分おれは完全に油断しきっていたのだろう。普通であれば慕ってくれる生徒は嬉しいし、ロブくんは普通にしてりゃあ頭のいい高校生で、おれの知らないことを知っていたりすることもあって会話が楽しいのだ。となればあんなことをしておきながら、すっかり普通の先生と生徒に戻ったような気になっちまって。


「満点を取ったらこの部屋でキスまではいいって言っていたな、センセ?」


 授業を終えて準備室に戻ってきたら既にいたロブくんがいて、おう、もう来てたのか、と言おうとしたおれに詰め寄って、少し悪どい笑みでそう言った。「……あ、その、えっと」とドモってしまったおれに非はあるだろうか。いや、ない。絶対にないね。どもったことに関してはな。ロブくんの笑い方えろかったし。その笑い方を見ただけでちょっと勃ちそうになるおれもおれだ。先日のロブくんのトイレでの痴態は今思い出しても心臓に悪い……おれが色々やっちゃったことが問題だけど。ぐっと顔を近付けてきたロブくんの口を手で覆って止めると、不機嫌そうな目で見られた。


「ストップストップ」

「……」

「そうむすっとしない。席に戻って、ほら」

「……大人ってのはつくづく嘘をつく生き物だな」


 軽蔑しきったような冷たい目線を向けられてウッとなる。別にそんなつもりで言ったんじゃあないんだが……。ため息をついてロブくんの口から手を離し、そのまま手を背中側に回して鍵を閉める。かちゃん、という音がすると同時に軽く触れるだけのキスをすればロブくんはひどく驚いたようでこれでもかと目蓋を開いていた。そんなに目って開くんだなァ、と思いつつ唇をすぐに離してすぐに鍵を開く。


「ダメなんて言ってないだろ。ただ他のやつが入ってきたら困んだよ、おわかり?」

「……じゃあなんで今開けたんだ」

「今日はもうする気がないから」

「それじゃあ詐欺みてェなものだろうが」

「閉めっぱなしだったら怪しいと思わない? 少なくとも僕は思うね。さ、席に座ってお勉強してなさい学生くん」


 そうやって先生モードで言ったのが気に食わなかったらしく、ロブくんはおれの唇に噛みついてくる。結構マジの意味で噛みつかれて、「いだっ」と情けない声が出た。怯んでいる間に首に腕を回されて、結局舌を入れた深いキスを送られてしまう。
 問題は色々ある。とりあえずドアの前だから開けられそうになっても多少対処できることはいいとしても、擦りガラスとはいえドアについた小窓から見えるんじゃあないかってハラハラしちゃうし、何よりロブくんとのキスが全然嫌じゃないのが問題だと思う。おれを煽るのがうまいと言うか、なんというか。別に男なんて好きでもなんでもないのになァ、おれ。けれどロブくんを突き飛ばそうだとかそんなことは思えなくて、寧ろついつい腰に手を回してしまう。だっておれが腰に触るとロブくん、びくってするんだもの。この反応すごい好きっていうか、男心くすぐんだよなァ、畜生、可愛い。そのままロブくんに好き勝手させていると、ちりちりとした痛みを唇に感じた。


「ロブく、ん、ちょ、っと」

「……なんだ」

「おれの口切れてない? 痛いんだけど」


 キスの合間に声を発するとロブくんはしぶしぶ唇を離した。そして先ほどからの痛みを訴えてみると、ロブくんはおれの唇に視線を下げてから頷いた。うわー、やっぱりねー。やったのはきみだろー。さっきのかみつく攻撃のせいだろー。ロブくんの腰から手を離して唇を親指でなぞるとぬるりとした感触。すこし離して見てみると真っ赤だった。……完全に切れてるじゃねェか。


「はい、おしまい」

「おい、まだ、」

「ダメだっつーの、結構痛ェんだから勘弁してくれ……っていうかロブくんの口に血入っても困るし」

「……何故?」

「生物で習わなかったか? 血ってのは汚いんだよ」


 別におれは特定の病気があるわけではないから平気かもしれないけれど、血なんて汚いものだ。できれば経口摂取なんてしない方がいい。こんなことでロブくんに何かあっても困る。ロブくんを少しだけ押しやり、ドアの前から移動する。
 自分の席に向かって歩きながら、これは保健室に行った方がいいのかと悩む。怪我は怪我だから保健室に行きたいけど、傷口見て変なふうに勘ぐられても困るし……。絆創膏、あったっけ? 机の引き出しを開けてみたら見事に見つかった。化学準備室に常備してある絆創膏とかちょっと変なふうに劣化してそうで嫌だけど、別に平気だろう。一応、という形で設置してある手洗い場の鏡を見ながら絆創膏を貼る。うーん、不格好。
 どう思う、と聞こうとして振り返れば、ロブくんはまだドアの前に突っ立っていた。しかもちょっぴり神妙そうな感じで。おれが背中を向けている間に何があった。


「どうしたロブくん」

「……噛んで、すみませんでした」

「なんで謝ってんだ、わざとじゃないんだろ? 別に怒ってないぞ」

「わざとです」

「わざとかよ。でも別にそんなことで怒らないからいいよ」


 うっすら気が付いてたしな。ロブくんのことだからどうせそんなこったろうと思ってたよ。「大したことじゃない」というと何故かロブくんはムッとした。え、なんで? おれはフォロー入れたつもりだったのに。少しだけ考えて、ああ、と気が付いた。自分のことを大したことじゃないって言われたくないのか。そりゃあ、おれだって好きな人がいればそんなふうに言われたくはない。……こんなふうに可愛いとこを見せつけられると、ちょっと困るんだが。
 自分の揺れている感情を無視して、ロブくんに「勉強しないならしないでいいから座ったら?」と声をかける。そこに突っ立っていられると気になるじゃないか。ロブくんは緩慢に足を動かしていつも座っている席に腰を下ろした。おれはそれに満足して、やらなければならないことを思い出した。


「悪いけど今からちょっと真面目に仕事するから、なんか質問とか話とかあったら後にしてもらってもいいか」

「……はい、わかりました」

「悪いな」


 こうやって聞き分けのいいところもギャップなんだよなァ……狙ってんのかな、ロブくん。末恐ろしい高校生だ、本当に。思いながらも仕事の資料を開いて冊子を作ったりなんだかんだと仕事に集中することができた。ロブくんああいうことしなきゃあ騒いだりしないからなァ、そういうところ本当に助かってます。ある程度ひと段落して、主任の先生への届け物が出来上がった。頑張って勉強してんだろうな、と思って振り返ったらロブくんは寝てました。


「おやまあ」


 近寄ってみるとちゃんとノートやら教科書は開いているので、つい眠くなってしまったのだろう。わかるわー、おれ勉強嫌いだったしね。うわ、超ノート綺麗。なんだこれ。そのまま視線はロブくんの顔に向かう。やはり綺麗な顔をしている、が、どう見ても男だ。この顔とキスしてんだよなァ、おれ。なんで嫌じゃあないんだろうか。もしかしておれ、ホモの素質あったのか? 柔らかそうな髪をくしゃくしゃと撫でて目蓋にキスだなんてしていたら、おれは届けものがあったことを思い出した。なにやってんだ。
 とりあえず風邪を引くといけないのでスーツの上着をかけて、部屋を出ることにした。寝ている間に知らない人が来たら嫌だろうから一応鍵も閉めていく。ドアの外で鍵を閉めたおれには、ロブくんの呟いた「……バカヤロウ」は当然のように聞こえなかった。

脱出不可能な迷路の方がまだマシだよ

「わりとクズっぽい」or「認めちゃえば?」の続き@白露さん
リクエストありがとうございました!



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