ロビンがクロコダイルの機嫌があまりよくないことに気が付いたのは、本当にたまたまだった。女性にして七武海入りを果たし、挙げ句英雄として信頼を得ている王国を乗っ取ろうなどと考えているクロコダイルは、己の感情をストレートに出すことはない。常に余裕を漂わせ、圧倒的な存在を見せつける。そうして彼女は他人に隙を見せずに生きてきてのであろうことが、ロビンにはよくわかった。自分と同じであったからだ。
 だからこそロビンは些細なクロコダイルの変化に気が付いたのかもしれない。いつもと少し違ったのは、丁寧に整えられているはずのクロコダイルの爪からマニキュアがはがれていたことだ。普段は真っ黒な彼女の爪が、ほんのすこしだけ地の色を見せていた。自分の爪のことだ。気が付かないわけもないのに、クロコダイルはそのままにしている。ロビンはなんとなく、優しくしたいような気持ちにさせられて、普段とは違う紅茶を持っていった。ロビンの手からカップを受け取って、クロコダイルはすこし不思議そうな顔をした。


「おい、なんだこれは」

「新しく買ってみたの。飲んでみて」


 渋々、と言ったような顔をしてクロコダイルは紅茶を口に含む。そして息を吐き出した。その顔に滲むのはすこしの疲れだ。機嫌もあまりよくないとなれば、本来なら関わりたくないと思うロビンだったが、今日ばかりはそう思わなかった。それどころか妙な親切心がむくむくと湧き上がって、反対側の椅子に腰を下ろす。


「ねえサー、あなた、何か悩み事でもあるの?」

「……何のことだ?」


 当然のようにクロコダイルは白を切った。クロコダイルとロビンが一緒に活動しているのはあくまでもビジネスライクの関係だ。ロビンに悩みなどという明確な弱味を吐き出すわけもない。そうなの、ならいいけど、と言って、ここで話を終わらせることができぬわけではなかったが、しかしロビンにはその悩みの種にちょっとした当てがあった。それはナマエ、というクロコダイルの恋人である。弱味になるような甘ったるい関係でもなければ、弱味にされるほど弱い男でもなかったが、クロコダイルが唯一心を許している人間であることには違いなかった。


「ナマエさんとか、ね?」


 そう言ってロビンが笑うと、クロコダイルはわかりやすく顔を顰めた。その話題に触れられたくないということだろう。目に見えて悪くなる機嫌に、ロビンはすこし違う意味で笑ってしまう。可愛い人だ、と。いつもの余裕がただのふりだとは思わないが、取り繕っているだけで本当はただ一人の女であるということを教えてしまっている。ロビンは軽く息を吐いて、柔らかく、人の好い笑みを浮かべた。クロコダイルに今まで向けてこなかったものだ。


「別に弱味を握ろうとか、そんなんじゃないのよ。ただなんとなく、人に優しくしたくなっただけ」

「……はん、どうだかな」


 クロコダイルはロビンを鼻で笑ったが、あからさまな拒絶はしなかった。紅茶を飲み、カップをソーサーに置いたところでクロコダイルは唇をきゅっと閉じてロビンから視線をずらした。何かを考えているようで黙り込んでしまう。ロビンは根気強く待つつもりで自分の分の紅茶に手を伸ばした。どこかに行けと言われるまではここにいてもいいだろう。一分ほど経った頃、クロコダイルは緩慢な動作で唇を開いた。


「今から言うことは、全部聞き流せ。忘れろ、いいな?」

「勿論、あなたの言うとおりにするわ」


 ロビンがそう言って笑顔を作ると、クロコダイルはぽつりぽつりと話し始めた。要約すると、ナマエとの関係についてだった。長い付き合いゆえに明確に表せる関係ではないことは想像に難くなかったが、一番わかりやすいものが雇用主とボディガードで、きちんと恋人という枠に収まってすらいなかったらしい。不安だと彼女は言わなかったけれど、そういうことなのだろう。
 ナマエという男は、クロコダイルの横に立つにふさわしい男である。気品があって知性があって物腰が柔らかくて女性の扱いがうまくて、けれどどこか荒々しく、雄々しい獅子を思わせるような男だ。当然のように顔も肉体も一級品で、女から好かれないわけもなかった。対してクロコダイルも顔に傷が走っていてもそれをマイナスにさせぬほどの美貌の持ち主であるし、スタイルだってどこぞの高級娼婦なんかよりも優れている。海賊だというのに地位もあり教養もあり上品で男の転がし方もうまいので、当然のように男たちは群がった。
 二人はいわゆる、お似合いのカップルであったが、それは周りからの評価にしか過ぎなかったということだった。寧ろクロコダイルの考えすぎ、ということもあるが、ふとロビンは気が付いたことをそのまま口に出してしまった。


「もしかして年のこと気にしてるのかしら?」

「……おれは聞き流せ、と言ったはずだが?」

「あら、ごめんなさい?」


 どうやら図星だったようでクロコダイルはわかりやすく眉間に皺を寄せていた。加齢からは誰も逃げられないし、美しいサー・クロコダイルとてそれは変わらないだろう。ロビンはクロコダイルの昔を知らないが、昔は今よりも肌が綺麗だったかもしれないし、腰も細かったかもしれない。彼女はそうやって己の衰えを日々感じているのかもしれない。若さというのは女にとってステータスだが、加齢というのはマイナス要素としてとらえられることが多い。男ならば加齢さえもステータスとなるというのに。その差が生まれている、とクロコダイルは考えているのだろう。要するにいつ若い女に目移りをするか、不安で仕方ないのだ。馬鹿らしい、とロビンは笑ってしまいそうになる。


「私からはっきり言えることが一つだけあるわ」

「……なんだ」

「ナマエさん、あなたのことしか見てないわよ」


 ナマエという男はクロコダイルよりも読みづらい人間であったが、クロコダイルの話をするときだけはどこの誰よりもわかりやすい。クロコダイルが褒められれば自分のことのように喜び、クロコダイルが貶されれば自分のこと以上に激昂する。クロコダイルにとってナマエは弱味として機能しなくとも、ナマエにとってクロコダイルは弱味として機能するのは誰が見ても明らかだった。ただそれが恋愛や情欲を超えてしまっている可能性はあるけれど、とは思っても言わなかった。さきほどまで優しくしてやろうと思っていただけのロビンの中で、少しずつ打算が働き始めてしまった。恩は売っておくに越したことはない。


「今までいろんな人間の顔色を窺ってきた私が言うんだから間違いないわ」


 なんなら今夜誘ってみれば、と下世話なことを言ったのはさすがに冗談のつもりだったのだけれど、翌日姿を現さなかった二人のためにロビンは電伝虫を使うことはしなかった。

明日の爪は整っている

先天性女体化のクロコダイルが男主との関係に関する悩みをロビンに相談する話@匿名さん
リクエストありがとうございました!


mae:tsugi

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