「えっ!? なんで!?」 「う、うそ、ち、ちがうのナマエくん!」 「……あ、えーと、」 出張が早く終わったから家に帰ってきたら、夫婦の寝室で妻が男に抱かれていた。あー……こんなことって、本当にあるんだ。そう思いながらも手は動いていて、懐から携帯を取り出しカメラ機能を立ち上げて連写。妻と間男からは絶叫とも言える悲鳴が上がった。違うの! とすがり寄ってくる全裸の妻をやんわりと振りほどき、すみません! と大きい声を出してくる間男……というか、部下に苦笑いを向けて、おれは一言。 「娘のDNA検査、していいな?」 ・ ・ ・ 「お疲れ!」 「おぅかりぇー!」 「ありがとう」 離婚調停やら何やらすべてが終わって云十年来の親友のドフィと、それから娘を連れて高級料亭に来ていた。というか、呼び出されたらえっらい高級なお店で、しかもVIPルーム的なところに通されて、尚且つドフィが娘を連れてきてくれていた、というのが正しい。相変わらず謎の人脈と金脈をお持ちだ。 ぱぱー! と可愛い顔で寄ってきた娘は、非常に愛らしくて膝の上に乗せっぱなしだ。娘もそれを喜んでくれていて、とても嬉しかった。ひとまず乾杯のあとのビールを飲み干し、豪勢な食事に舌鼓を打つ。娘も興味津々のようで、あれはこれはと聞いてくる。おれたちを見ていたドフィが、いつもの悪い笑い方をした。 「フッフッフ、よかったなァ」 「……ああ、本当、お前のおかげだよドフィ」 今回の件ではドフィに迷惑をかけっぱなしだった。不倫された次の日にたまたま顔を合わせた瞬間、「何かあったろ、言えよ」なんて男前な声のかけ方をしてくるものだから思わず泣きそうになったものだ。結局、仕事から終わって個室居酒屋であったことを全部吐き出した時に泣いてしまったので、そのとき堪えた意味はほとんどなくなってしまったのだが。今思い出してもいい年して泣き出すとか恥ずかしい。 そのあとドフィの紹介してくれた弁護士の先生やら興信所の方々、そしてドフィ自身にもめっきりお世話になってしまった。妻と他人の情事のあった家にいれるほど神経は図太くなく、かといって両親も他界して親戚のいないおれには娘をどこかに避難させることもできず、結果ドフィの言葉に甘えてドフィのマンションに娘ともども転がり込んだのである。ドフィは家でできる仕事だったし、おれが仕事や離婚のごたごたでいられない間も快く娘を預かってくれていて、これ以上にないほどお世話になってしまったのだ。 「ほんと、ありがとう」 これまでのことを思い出すと涙がじわりと出てくる。全部どうでもいいと思いかけたとき、ストレスが溜まって尋常じゃないくらいに煙草を吸っていたとき、酒なしでは寝られなくなったとき、いつでもドフィが支えてくれた。頑張れと励ますわけでもなく、やめろと言うわけでもなく、いつでも逃げ道を用意してくれていつでもおれの傍にいてくれた。 「ドフィがいなかったら死んでたかもな」 「おいおい、馬鹿言ってんじゃねェよ」 「いや、マジでそう思うよ」 持つべきものは親友だと本気で思う。言えばドフィが柄にもなく照れたように返事をしてきたものだから、ついつい笑ってしまった。娘もそれに釣られて笑う。何が何だかわかっていないだろうに、それでも笑ってくれる娘の存在は素直に愛しい。血がつながっていると改めて分かったからだろうか? 正直、自分の子供じゃなかったらこうして抱きしめられていたかわからないのが本音なのが、ちょっぴり良心にざくざく刺さる。からから笑っている娘を横からドフィがかっさらっていく。娘はさきほどよりも嬉しそうに声をあげて笑った。 「……なんか、取られちゃったみてえな気分」 「あ? 何馬鹿なこと言ってやがんだ」 だってさあ、とおれが言葉を続けるのも仕方ない。なにせ離婚までの間にドフィと娘が急激に仲良くなっていたのだ。いっそおれに抱き上げられるよりも喜んでいるのではないか。ドフィもドフィだ。娘にでれでれしやがって。父親はおれなんだぞ! なんて言うつもりはないが、仲間外れにされているようですこしさみしい。ふてくされたことが伝わったのか、ドフィが娘に笑った。 「パパは仕方ねェやつだなァ?」 「だなあ!」 くそ……いちゃいちゃしやがって……。おれも混ぜろー! だなんて三人で遊んでいるうちに娘はおねむになったらしく、ドフィのふかふかな羽織の上で寝始めた。可愛いがおそらくおれの給料では弁償できないからよだれだけは勘弁してほしい。娘の髪の毛を撫でていると、それで? とドフィがこちらを見た。 「ん?」 「どうすんだ、これから」 「これから、ねえ」 全然考えてなかった。とりあえず新しい家を見つけたりしなければならないが、離婚が終わったばっかりで疲れている。何も考えたくないのだろうが、家だけはなんとかして、娘のことは家政婦を雇うべきか……会社をやめるわけにはいかないし……でも、他人に任せていいのか……。 酒が入っているせいか何も考えずに思ったことを片端から伝えっていった。ドフィだから、だろう。他のやつの前だったら絶対に弱音なんか吐かなかっただろうし、もっときちんと考えてから話しただろうが、云十年も一緒にいるのだ。今更だった。 「じゃあうちにいりゃあいいだろ」 「……え、いや、さすがにそれは、わるいしさ」 今までだって十分迷惑をかけてきたのだ。問題が解決した今、その関係を続けるのはどうかと思った。親友と言えど他人だ。ドフィにはドフィの人生がある。そんなことを伝えれば、呆れたような顔をしたドフィがため息をついた。 「あの女と終わっても、育児とか色々問題は解決してねェだろ? いいからお前は、おれに頼れ」 な? と念を押されているうちに、頼ってもいいのかなあ、なんて情けないことを考え始めてしまった。妻との……元妻との離婚が相当こたえているようで、正直、娘を一人で育てていく自信は、あまりない。ドフィがいたから乗り越えられただけで、ドフィがいなければどこかひっかかりを抱えたまま、やり直していたかもしれない。部下に抱かれた女といることは、それだけで苦痛だろうに、それでもきっと自分を言い聞かせて。 「……ドフィ、おれさあ、」 「ああ、どうした?」 「お前がいてくれないと、生きられないかもしれない、」 言ってからはっとする。酒が入ってたとはいえ、とんでもなく重い言葉だった。どこのメンヘラ女だ。そんなことを言われても迷惑に決まっている、が、突き放せば死にかねないおれを心配して、ドフィは断らないはずだ。いったいおれは親友になんて重荷を背負わせる気なのか。いつの間にか項垂れていた頭を上げ、今のは忘れてくれと言おうとして、ドフィの発した予想外の言葉に動きが止まる。 「遅ェよ、ナマエ」 「…………え」 「今更だろうが、そんなこと」 おれは昔っからそうだったぜ? なんてドフィが気をきかせてくれるものだから、目頭がかあっと熱くなる。慌てて押さえてみるものの、ドフィは笑うだけだ。おれが泣きそうなことなどそのポーズだけでバレバレで、ドフィの笑い声はエスカレートしていく。笑ってんじゃねーよ。そう呟いたおれの声は、完全に涙声だった。 |