「……キャプテン、ちょっと相談があるんだが」


 そう告げてきたナマエの顔色は悪く、ローは一瞬ばかり調子でも悪いのかと思ったが、ナマエという男は健康体そのもので滅多に体調を崩すことのない健康優良児である。そんな男が体調を崩すこともあるだろうが、ローの見立てでは別段体調が悪いわけではなさそうだった。どちらかと言えば、身体は健康そのものに見える。つい先日も恋人としてベッドを共にしているローが誤診をするとも思えない。要するに、その相談事とやらを口にしたくなくて、顔色を悪くしているということだ。
 言いたくもないような相談事を自分に話してくれるとわかると、ローの唇がにんまりとひとりでに笑んだ。悪人面にしか見えないローの笑みは恋人であるナマエにも悪人にしか見えなかったようで、ナマエは半歩ほど身を引いていた。


「廊下じゃなんだ。部屋に来い」

「ああ、うん、そうだな。そうしてもらえるとありがたい」


 やはり誰にも聞かれたくないことだったようだ。ローの唇はにたにたと悪い笑みを作りっぱなしだったが、ナマエは後ろを歩いているので気が付きもしないだろう。
 部屋に着き、ローがソファにどんと腰かけると、ナマエはわざわざ部屋の鍵をかけてからローに近づいてきた。妙な期待をしてしまったのは、普段ナマエとの行為中に部屋の鍵をかけているせいだろう。


「それで?」


 座ったことを確認してから、ナマエに切り出した。話したくもないことなのだろうとローにもわかってはいるが、だからといって気を使って漫然と時間を過ごすつもりはなかった。時間があるのなら妙な空気の中グダグダするよりセックスをした方が何百倍もいい。
 かといってそれがロー側の事情であることも十分承知の上だった。言いたくもないことを相談するナマエにとっては、そう簡単に割り切れるものではない。


「……その、実は、」


 そう言葉を口にしたっきり、ナマエはまた黙り込んでしまった。ローが見る限りにおいて、自分の考えを言葉にするのが難しいから、という理由ではなさそうだった。人の顔色を、感情の機微を悟るのはそう難しいことではない。恋人相手ならばなおさらにだ。
 言葉の続きを急かそうとして、けれどその必要はなくなった。ナマエが土気色の顔ではっきりと悩みを打ち明けたからだ。


「……精液に血が混じってて……これって、なんか、悪い病気か?」


 なるほど。その話は他人には聞かれたくないものだろう。からかうことを生きがいにしているような他のクルーに聞かれれば、一生引っ張られるかもしれない話だ。そもそも下半身の話題と言えば、とてもデリケートな話である。精液に血が混ざったとあれば、それはそれは怖い思いをしただろう。
 ──ここまでが“死の外科医”トラファルガー・ローの、医師として患者に寄り添う姿勢を見せた考えである。しかし事はもっと単純だった。ローはナマエの精液など馬鹿になるほど見慣れている。体内に出されることなどしょっちゅうで、身体にかけられることなど茶飯事で、けれど血が混じったところなど一度たりとて見ていないのだ。


「言い訳があるなら聞いてやる」


 だからそう、気が付いたらナマエの身体がバラバラになって、床にまき散らされていたのは仕方がないことなのだ。ローに見下ろされた整った顔は相変わらず土気色をしていたが、人に好かれる顔つきであることには変わりない。
 ナマエという男はローの恋人でありながらあれやこれやと手を出せるだけの見目の持ち主である。だからどこかで遊んだ際に病気でももらったか、遊びすぎて炎症でも起こしているのだろうということは想像に難くない。病気などいくらでも治してやるが、浮気だけは許せなかった。

「こうなるから聞きたくなかったんだよ……」

 ぽつりと呟かれた言葉にローの胸はどす黒い感情で支配されて、目の前に転がった頭を踏み潰してやりたい衝動に駆られた。なんだ、ナマエはこちらが悪いとでも言うのか。どう考えたって浮気をしたナマエが悪いというのに。


「キャプテン、どうせおれの浮気とか疑ってんだろ?」

「おれの知らねェとこで射精してんなら浮気だ」

「んなわけねェだろ、少し考えろ」


 厳しい目で見据えられて、どうやらローは自分が勘違いしているらしいと理解したが、かといって何も思いつきはしなかった。浮気以外の何物でもないではないか。何故自分が悪者扱いされているのかさっぱり理解できなかった。


「自慰だよ」

「……は? お前が、自慰? オナニー? マスターベーション?」

「言い方ころころ変えなくてもそうだよ。なんなんだ、それ。頭いいアピールか?」


 たしかにローには思いつきもしなかったことだった。だが待ってほしい。ナマエは男も女もより取り見取りで相手などいくらでもいるだろうに、自慰をしたというのか。そうでなくともローという恋人がいてしょっちゅうベッドを共にしているというのに、自慰を? そもそも性欲があまりないはずのナマエが自慰の仕方を知っていたことに驚きだ。ローとのセックスで性欲に目覚めてしまったのだろうか? 物足りないなら頼めば誰でも処理してくれただろうに。いや、そんなことはローが許さないのだけれども。最終的な結論としては『何故おれに頼まないのか、いつだって応じてやるのに』である。


「言っとくが、好きでしたんじゃねェぞ。キャプテンが中途半端に銜えてどっか行っちまったから仕方なく抜いたんだ」


 そう言われてローは昨日の朝、寝込みを襲って銜えたはいいが、航路のことでベポに呼び出されて中断してしまったことを思い出した。そのあと自分で処理したと知って、どうせだからその場にいたかったと邪な考えを抱いたが、転がる首があまりにもきつい目つきで睨み付けてくるので何も変なことは考えていないとばかりに真剣な表情でもしてみることにした。


「キャプテンがあれだけ張り付いてて、あれだけ搾り取られて、何かしようってんならそいつは頭がおかしいんじゃねェか」


 存外にそういう発想をするお前はおかしいと責められて、真剣な表情に意味などないことを思い知った。別に知りたくもなかったのに。
 ごほん、とわざとらしい咳払いをしながらナマエの身体を元に戻し、ローはどうにか誤魔化す方法を考えようとしたが何も思い付かなかった。


「それで? 要するにおれはなんなんだ。性病ならキャプテンからしかうつらねェぞ」


 じっとりとした視線を向けられ、勘違いされてはならないローは「おれだってお前以外としてねェんだからうつらねェ」と前置きをした上で医師としての見解を述べた。


「精液に血が混ざるってのはいわゆる血精液症だが、心配する必要もねェ。お前の場合、原因は前立腺炎でもねェし、睾丸に怪我しただとか悪い病気だとかそんなじゃねェよ」

「じゃあなんで血が出んだよ……」


 場合によっては悪い病気ということもあり得るからちゃんと調べるべきだが、ナマエに関してならばローは絶大な自信を持って言い切れる。……言い切れるのだが、言うと面倒くさいことになるのは目に見えていたからつい口ごもってしまう。それでも言わないという選択肢はローに存在しなかった。ローは恋人で船長で、そして何より医者だった。


「……ヤりすぎ、だな」


 その医者が患者を作ってしまうというそこそこ最悪な展開を迎えているのだけれど。ナマエはすこぶる機嫌の悪い表情を作って、ローを睨んだ。


「キャプテン」

「……なんだ」

「しばらくセックスしねェからな」


 出血が起きているということは怪我をしてしまったようなものなので、その判断はナマエにしてもローにしても当然である。当然なのだが、ローは素直に頷けなかった。
 ローにとってナマエに触れないことは拷問にも等しい。だが触れてしまえばその先を求めてしまうもので、ならば触れることさえやめるべきで。
 うんうん唸るローは、ばたんという扉の閉まる音でナマエが出ていったことに気が付いた。


「……やべェな」


 治ってからも相手にしてくれなさそうなほど怒らせてしまったようだ。
 謝罪案はまとまっていなかったが、とりあえず立ち上がりナマエのあとを追いかけた。

ほにゃらら禁止令
1006@ローさん誕生日おめでとう

mae:tsugi

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