サッチの家に引っ越してくることになったのには二つほど理由がある。一つはおれの会社のシフトが変わって夜勤ばかりになり、なかなか二人の時間を作ることができなくなったからだ。その点同じ家に住んでいれば間違いなく一緒にいられる。もう一つはそれに伴っておれが不摂生に走ったからだった。夜起きていて、明け方に食事。そんな生活を元々心配してくれてはいたのだが、決定打は同僚と宅呑みしたのがバレたときだ。
 明け方に飲み屋なんかやっているわけもなくおれの家で飲んで酔いつぶれ、がーがー寝ているところに、飯を作ってきてくれたサッチが登場、バレました。あの時の空気は完全にマイナスまで行っていた。あの、いつもへらへらとしたサッチの笑顔からは想像できないような冷たい顔で、「これ、どういうことだ?」なんて言われたらそりゃあビビる。ビビったのはおれというより同僚の方だったけれど。結局サッチの想像しているようなことは一ミリだってないので問題はなかったが、それのすぐあと、一緒に暮らさないかという話になった。
 要するにサッチはどんな理由であれ、おれが他人を家に連れ込むことを許せなかったのだろう。別に男だしいいだろ、と一瞬思ったが、おれたちは男同士なのでそんな言葉は当然吐き出せるわけもなかったし、サッチが半泣きの顔になりかけていて可愛かったから、まあ、いいかなあ、なんて思ったのである。


 ・
 ・
 ・


「ふァ……ただいま〜……」

「おかえり! 飯できてんぞ!」


 起こさないようにと極力小さい声で発したというのに、でかい声が返ってきて驚いた。まだ五時半だぞ、と思ったけど、サッチの勤めているレストランはモーニングを始めたという話を聞いた。そのためにも起きるのは不思議ではないか。サッチが顔を出しているリビングにのろのろと歩いて向かえば、いい匂いが漂ってきた。別に腹が空いていたわけでもなかったはずなのに、匂いを嗅いだら腹が減ってくる不思議。テーブルの上には胃に優しそうな煮物やら何やらが並んでいる。


「あー、うまそう、」

「手ェ洗ってうがいしてから食えよ」

「母ちゃんかお前は」

「そこは奥さんだろ!」


 そんなふうに言いながら立派な胸筋を張っていたので「ははは」と笑っておいた。奥さんって手洗いうがいを言ってくるもんなのか? 欠伸を噛み殺しながらキッチンで手を洗い、うがいをしてリビングに戻ろうとしたら、何故か仁王立ちして不満そうな顔で見てくるサッチ。突然どうしたんだこいつは。喜怒哀楽が激しいところは好きなところではあるが、たまに理由がさっぱりわからないときがあるから困る。無視すると面倒だし、とサッチに視線を返した。


「なに? 飯食いたいんだけど」

「おれが奥さんじゃ不満か!」

「はあ?」


 いかん、おれ今頭回ってないからよくわかんないわ。すこしばかり間をもらって考えて、さっきの話の流れであることを理解した。多分おれが笑って流したから気に食わなかったのだろう。どんだけおれのこと好きなんだこいつは。


「馬鹿か」

「は!? 馬鹿じゃ、」

「不満なわけねーだろバーカ」


 ちゅ、と軽くキスをしてからサッチの横を通ってリビングに向かう。おれは腹が減っているんだ。早く食わせてくれ。椅子に座って手を合わせて、「いただきます」。いつもならサッチから召し上がれだのなんだのと必ず返事があるのに何も聞こえてこなかったので振り返ると、顔を両手で覆ってぷるぷると震えていた。……ああ、喜んでんのか。今までの行動パターンから考えるとまず間違いないので、返事はないけれど飯をいただくことにした。うまい。マジでうまい。
 正直、おれがサッチに靡いた理由の大部分はサッチの作る飯だ。今でこそサッチのことを可愛いと思ったり、サッチに欲情することもあるが、付き合ってほしいと言われた当初は人間的に好きでも恋愛的に好きではなかった気がする。それでもおれが付き合うと決めたのは、サッチの作る飯に惚れこんでいたからだろう。おれの親は人体に影響が出るほどの驚異的なメシマズで、ほとんど手作りの料理なんぞ食べたことのないおれが初めてサッチの飯を食ったときはマジで泣いたものだ。それくらい美味しい飯を独り占めできるなら付き合ってもいいかと思ったのだが……今考えるとちょっと酷いな、もうすこしサッチのこと大切にしよう。
 飯からサッチに視線を向けてみると、サッチはまだぷるぷると震えていた。どんだけ喜んでんだよあいつ。そんなに奥さん嬉しかったのか? 労わると決めたばかりだし、もうちょっと喜ばせてやるか。


「おーい、そこの奥さん」

「! な、なに!?」

「ご飯おかわり」


 ん、と空のご飯茶碗を差し出すと、サッチは露骨に喜んで駆け寄ってきておれの手から茶碗を奪うとご飯をよそいに行ってくれた。アホだなあいつ、可愛いけど。味噌汁を飲みつつご飯を待っていると、若干よそいすぎな量のご飯を持ってサッチが戻ってきた。……まあ、飯だけでも美味いからいいけどさ……。にこにことしたサッチから茶碗を受け取って、むしゃむしゃ。うまい。サッチは何が楽しいのかおれが食っているところをじっと見てくる。食いづらいと言えば食いづらいけれど、サッチがおれを見つめるのはいつも通りのことなので慣れてしまった。


「あー、なんかさ」

「どうした」

「スーツ姿のナマエがくたびれてんの見るときゅんきゅんする」

「よくわからん」

「じゃあムラムラする」

「いつもだろお前」

「ナマエがえろいのがいけないんだと思うんだわ、おれ」


 まったくもって意味のわからないことを言ってくるサッチを無視してもよかったのだが、無視をすると拗ねるので適当に言葉を返しながら飯を食い進める。「お前の方がえろい」と言葉を返すと、サッチから何も言葉が返ってこなくなった。それならそれでいいと思っていたら、視界の中でサッチの顔がわかりやすく赤くなっているのが見えてしまって、無視するわけにもいかなくなった。飯からサッチに目を向けると、サッチはおれから視線を逸らした。


「照れてんじゃねーよ」

「いや、だって、ほら……な?」

「もっと恥ずかしいこと普段してんだろ」


 おれの言葉に何を想像したのか、サッチはまた顔を両手で覆ったかと思うとすぐに手を離し、「むらむらしてきた」と真顔で言った。馬鹿だな、と思っておれは飯を食い続けてサッチの言葉には触れない。ていうか疲れてるし、おれ。けれどやる気満々です! ってな顔をしたサッチが立ち上がってので、時計を指差した。サッチの視線は時計へ向かう。


「お前、仕事だろ」

「あ……」


 サッチは落ち込んだけれどそんなことで仕事をさぼるような人間ではないので、リビングから出て行った。おれは飯を食い終わって食器を持ってキッチンに向かう。飯を作れない人間だけれど、洗うことくらいはできる。洗い物を終えた頃、サッチがリビングに戻ってきた。髪もきっちりとリーゼントだ。……今更だけどコックがリーゼントっていいんだろうか?


「じゃあ行ってくる!」

「おー、行ってらっしゃい」


 すばやくサッチは出て行ったが、一応玄関くらいまでは見送ってやろうと思って廊下に出ると、サッチが戻ってきた。何かと思ったら、勢いよくキスをして「忘れ物!」と笑って行ってしまった。がちゃん、とドアの閉まる音。……おい、人のことムラムラさせて仕事行くんじゃねーよ……。

きみのいる生活は快適です

短編の あんあんあん の男主×サッチの2人のお話@李さん
リクエストありがとうございました!



×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -