「お帰り、ナマエ。飯にするか? できてるぞ」


 帰宅したばかりだというのに、驚きすぎて一回ドアの外に出て自分の家かどうか確認してしまった。表札を見る。鍵を挿し直す。うん、おれの家だ。そしてもう一度ドアを開く。「何やってるんだ?」。不思議そうにおれを見てくる男の姿は消えない。ぎゅっと顔を抓ってみる。……どうやら夢じゃあないようだ。男はおかしそうにおれを笑う。「何をやってんだよ本当に。早く上がって来い」。お玉を振り回しながら男は部屋の奥へと消えていく。……え、いや、あの…………どなた、ですか?

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 メーデーメーデー。おれの家に知らない男の姿があります。これが可愛い女の子ならまだしも男というところに圧倒的な恐怖を感じます。なんでおれは男の言われるがままに家に上がってしまったのでしょうか。さっさと外に出て警察を呼べばよかったんじゃないのか? おれ、殺されたりしないよな? 怯えながらもちらりと男を見る。おれと大して変わらない身長ながらもおれよりも細身。シンプルな服装のくせにやけにスタイリッシュ。そしてイケメン。……ちょっと待て、指に墨入ってんぞ。え? なに? ……デス? 死ねってか!? は!? なにそれ怖いもういやだ! 携帯と財布はポケットに入ったままだったので部屋から出て警察を呼ぼうと決めた。こんなところにいられるか! そろりと部屋を出ようと立ち上がると、キッチンに立っていたイケメンが振り向いた。


「飯よそってくれ」

「……はーい」


 ひいあああああ手に包丁持ってる怖すぎうわあああああああ! 逆らえない! ナマエ選手、これは逆らえません! 脳内ではせめてお気楽でいようとして訳の分からないことになりながらも、おれは炊飯器を開けて綺麗に炊けたご飯をよそった。なぜ家に茶碗が二つもあるの。おれ予備とか用意してないし。しかもペアなんですけど。なに、本当にこれはどういうことなんですか? 目の前のイケメンが怖すぎて何も聞けなかった。

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 もしかしたらヤバいものでも入ってるのかもしれないのに、おれは促されるままに食事を食べてしまった。毒とか、なんかそういうものは入っていなかったようで、ただただ美味しかった。なんで美味しいんだよ……。なに? 本当になんなの? おれの好みでも知り尽くしてるの? これが可愛い女の子で驚かすと頭の上に耳が生えて実はおれは先日猫を助けていた、とかだったらよかったのに。おれは猫を助けてもないし、驚かすことなんかそもそもできないし、目の前のイケメンはどう見たって男だ。おれがじいっと見すぎたせいか、イケメンはなんだかすこし恥ずかしそうに目線をそらした。


「な、なんだ、そんなに見て……」

「え、あ、いや……べつに……」


 なんで照れてんのこの人。すげー怖いんだけど。おれのは照れからではなく怯えから来るどもりだっていうのに、イケメンはもじもじしてるし。なんだこいつ本当になんなんだ誰か助けてください。おれはこの場合どうすべきなの? 携帯で誰かに助けを求めるべき? でも友人たちに迷惑かけていいの? かーちゃんだってなんか知らん男が家にいるのとか言われても困るだろ。もしかーちゃんが危険な目にあったらって思ったらすごいやだ。だったらまだおれが刺された方がマシだ! ……いや、刺されたくないけど。そんな前提じゃないけど。


「とりあえず飯食っちまえよ」

「あ、はい……」


 おれがもそもそと食事を再開すると、イケメンはふっと笑った。イケメンでムカついた。「なんで敬語なんだよ」だって。そりゃあ知らねー人だからですよ。……どなたですか、って聞いてもいいかな。もしかしたらおれが気付いてないだけで知り合いとか? いやいやいやそんなバカなことがあってたまるかってんですよ。さすがに顔わかるだろ。しばらくあってない従兄弟とかでもないし……とりあえずこの仲良しな雰囲気で居れば刺されそうな気配はないから、どうにか隙をついて逃げれば……いやでもカッとなって殺されるかもわかんないし……。
 ていうか改めて思ったけどおれの名前を知ってるこの人は何者なんだろう。もしかして近所に住んでる病んでる人? 妄想と現実がごっちゃになっちゃった系男子? ……よくよく見ると顔色もあんまりよくないしな。大丈夫か? ……いやおれ不法侵入者のこと心配してる場合じゃねーよ。落ち着けって。

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 落ち着こうと思った結果、何故かおれは風呂に入っているよ。おかしい。着替えを持たされてピカピカに掃除された風呂に突っ込まれて、何が何だかって感じです。誰か助けてくれ。これはどういう状況なんだ。……そう思ってみても誰かが助けてくれるわけでもないので、風呂から出たらそのまま外に直行することに決めた。さすがに廊下で待ち伏せはしてないだろう。頷いて風呂場のドアを開けたら、「あ」「え」──いました。予想外というか予想よりもっとすごいことされてびっくりだよ!


「えっと……」

「ふ、」

「ふ?」

「服を、着ろバカ!」


 馬鹿って言われるほどのことはしてないんだけど。イケメンはおれにタオルをぶん投げてくる。キャッチしたおれは思わず「ありがとう」とお礼を言っていた。何もお礼言うことなんかないだろ! と思いつつも、つい反射的に言ってしまったのだ。これもかーちゃんの教育のたまものだろう。さすがかーちゃん。
 というか、気が付いてしまったんだけど、なんでこいつ、おれの携帯握りしめてんの? え、なに? おれを取り逃がさないため? 怯えたように視線を送れば、何を勘違いしたのかぶんぶんと手を振り始めた。違うんだよって感じで。何がどう違うのかまったくおれには伝わってこない。視線を送り続けていると、イケメンはすこし落ち込んだように話し始めた。「普段風呂に携帯なんか持ちこまねェのに持ち込んだから、何かやましいことでもあるんだと思って……悪ィ」。……え? 何だ今のすごい不穏な言葉は。まずなんでおれが普段脱衣所に携帯持ち込まないこと知ってんの? 次にやましいことってなに? 最後に、さっきなんであんなにおれの裸見て慌てたの?


「……え? なに、え?」

「な、なんだよ、ナマエ」

「もしかしてお前、おれの、」


 ストーカーじゃね? 思ったけど、口に出して言う勇気はなかった──はずなんだが、つい口は正直だったみたいでタオル一枚という防御力の低さを誇っているというのに「ストーカー……」と言ってしまっていた。オーマイゴット! マイゴットが誰なのかもわかんないしイケメンが誰なのかもわからないけど、完全にやっちまった。刺される? ねえこれ刺される? 刺されちゃう?
 おれが風呂のあととは思えぬほどに冷や汗をかいていると、目の前のイケメンはふっと笑った。イケメンでムカつく、と言いたいところだがそれ以上の恐怖がおれを襲っている。イケメンは笑ったままおれをまっすぐに見て近づいてきた。おれは後ずさる。風呂場まで下がって、壁に背中を打ち付けた。逃げ場は、ない。


「ストーカーとはあんまりじゃねェか」

「……違う、の?」

「ああ、おれはお前の恋人だ──今日からな」


 そうだろ? とばかりに物凄い眼力を向けてきたかと思うと、あまつさえおれが背中を密着させている壁を思い切り叩きつけた。あ、この人ただのストーカーよりよっぽどヤバい人だ。「そうだよなァ、ナマエ」。これはイエスって言わなきゃ殺される。本能的に首を縦に振っていた。すると、イケメンは女子ならだれもが見惚れるような甘ったるい顔でおれにキスをしてきた。避けたら殺される気がして避けられない。ちゅっ、と可愛いリップ音がして、すぐに唇が離れた。


「よろしくな、ナマエ」

「……よろ、しく」


 この目の前のイケメンが、実は同じ幼小中高大で、小さなころからおれを追いかけ続けていたという超年季の入ったストーカー野郎で、隠しカメラや盗聴器をしかけに何度も部屋に侵入していて、おれの好きな子を片っ端から惚れさせていたトラファルガー・ローという名前の男だということを知るのは、少し先の話である。

mae:tsugi

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