──牢屋の中は、ひっそりとしていて冷たかった。相手の親御さんのご厚意でおれを捕まえた海兵から示談もできると言われたが、おれには元よりそんな金もなければ出たいという気もあまりなかった。そもそもただ出たいだけなら、ワニになって壁でも壊して出ればいいだけの話である。そのまま逃げることなんて容易いのだ。 だけど、おれはここでこうしていたかった。クロコダイルが望んでいたのは本当だったのに、と、罪悪感が腹の中を渦巻いていて、ゲロのひとつでも吐きたい気分だったのに何も出やしなかった。 おれは、どうするべきだったんだろうか。クロコダイルを連れて逃げるべきだったんだろうか、それともここにいるべきだったんだろうか、それとも……そもそもクロコダイルをさらうべきではなかったのだろうか。クロコダイルにとっては間違いなく、連れて逃げることが正解だったんだと思う。おれにとっては? あのまま、逃げることができたか? クロコダイルの手を離したのはおれだった。おれが離してしまった。あの悲しそうな目が忘れられない。なのに、連れて逃げることはできないと今も思っている。 おれは、とてもひどいやつだ。 自分と同じかそれより悪い境遇だったからクロコダイルと逃げてやろうと思ったのだ。同情心。きっと見下していたのだろう、可哀想に、と。なんて酷いやつだ。あんなに苦しんでいたクロコダイルに勝手に同情して、化け物と呼ばれることを怖がっていたクロコダイルを簡単に手放した。本当に、最低だ。 もう、何も考えたくない。何もしたくない。生きるためにしか生きてなかったのに、その気力さえ萎えてしまった。当然か。誰も取ってくれなかった手を、唯一取ってくれたあの子を捨てたのだから、おれはもう死んだほうがいいんだ。 「きみ、そこの図体のでかい、膝を抱えてるきみ」 声をかけられて、それが自分だとわかるまでにそれなりの時間を要した。顔を上げると、見知らぬおじさんがそこにいた。おれを捕まえた海兵よりも偉いであろう、しっかりとした服を着たおじさんである。 「…………おれ、ですか」と発した声は掠れていた。一体どれくらいおれは膝を抱えて自閉していたのだろうか。おじさんはにこりと人のいい笑みを作って、ゆっくりとうなずいた。 「そうそう、きみだよ。きみがサー・ナマエくんかな。男の子をさらった誘拐犯だとかそうじゃないとか」 「……そうです、それ、おれです」 なんとも不名誉な犯罪経歴がついてしまったが、もはやどうだってよかった。おれがクロコダイルをさらったことは本当だし、おれは悪者で尚且つ能力者だ、どっちにしても犯罪者扱いされるのだから大して変わりがない。 「ん、じゃあ釈放ね」 「……え?」 「早く出て。きみを待ってる子がいるよ」 おじさんは予想外のことを告げて、そして混乱しているおれを引きずり出して案内し始めた。釈放? いったいどうして? おれがクロコダイルをさらったのは事実なのに? それに待ってる子? 待ってる子っていったい、…………いや、まさか、そんなわけないよな。 頭の中に浮かんだのは、当然のようにクロコダイルの姿だった。クロコダイルだけがおれを無罪にすることができるだろうし、子と呼ばれる年齢の知り合いはクロコダイルくらいしか思い浮かばなかったのだ。でも、クロコダイルの手を離したおれを、クロコダイルが助ける道理はない。だからきっと違うのだとまるで言い聞かせるように思った。だって、今来られてもおれ、どうしていいかわからないから。 牢屋から出て廊下を進んだ扉の向こうにいたのは、やっぱり、クロコダイルだった。真っ赤に腫れた頬を見た瞬間、先ほどまでの罪悪感なんて忘れて駆け寄っていた。 「クロコダイル、だ、大丈夫? いたくない?」 「……それより先に、おれに言わなきゃいけねェことは」 言われて、息が止まる。そうだ、おれはひどいことをした。クロコダイルにとても酷いことをしたのだ。それなのにクロコダイルはおれを助けに来てくれた。だから、許してくれとは言えないけど、きちんと謝らなければ。 「──おれ、連れて逃げるって言ったのに、きみの手、離しちゃった、ごめんね、謝っても許されることじゃ、ないけど」 思ったよりもするりと謝罪の言葉が出ると、クロコダイルはおれに抱きついてきた。胸に押し当てられたせいでくぐもった声が「つぎ、うらぎったら、ころす」とおれに告げた。 次があるのか、そうか、クロコダイルはおれを許してくれるのか。そんなふうに思ったら涙が出てきて、小さいクロコダイルの身体に抱きついてえぐえぐと泣いてしまった。 「あーちょっといいかな?」 ごほん、と後ろで咳払いが聞こえて、はっとして振り返るとそこにはさっきのおじさんがまだ立っていた。そりゃあ、そうだ。すみませんと謝れば、いやいやと手を横に振って気にしていない意を示してくれた。 まだひっついているクロコダイルを抱え上げながら立ち上がると、おじさんはおおよその事の顛末を教えてくれた。いわく、クロコダイルは親に虐待されていて、わざわざクロコダイルが誘拐されるように仕組み、示談金で生活していたらしい。さっきおれを捕まえに来た海兵もグルで、そのうちの何割かをもらっていたようだ。美人局の子供版とでも言えばいいのだろうか。人の良心に漬け込むあたり、とても悪質な犯罪だ。 その話を聞いて、おれは目玉が飛び落ちそうになった。おれに声をかけてくれたのは騙すためだったとかそんなことはどうだってよくて、クロコダイルが本当に酷い目にあっていたのに勘違いしてその手を離してしまったことに、だ。おれは、とっても酷いことを、してしまった。 「……だまして、わるかった」 「ちがう、クロコダイル、悪くないよ、気づいてあげられなくて、ごめんね」 「ナマエ、さっきのはうそだ、ナマエはわるくねェから、泣くな」 本当に自分が情けなくてたまらなくて、ぼたぼたとまた涙が流れた。そんなおれの顔をクロコダイルが拭ってくれるから、余計に涙がひどいことになってしまった。しまいには嗚咽をあげるほどの泣き方になってしまって、おじさんがそんなおれを見て笑うくらいひどいものだった。どうにか涙と呼吸を落ち着けると、おじさんがゆるりと笑った。 「というわけで、この子はきみが引き取ってくれるね」 「おれで、いいのなら」 「ナマエじゃなきゃやだ」 「じゃあそういうことだからよろしくね」 手をひらひらと振っておじさんは去っていってしまった。よくよく見るとおれの荷物が椅子の上に置いてある。このまま出て行っていいということなのだろう。片手にクロコダイルを抱え上げて、片手に荷物を持っておれは歩き出した。 「クロコダイル、顔、大丈夫? 痛くない?」 「べつにもういたくねェよ」 「そう? でもあとで冷やそうか」 とはいえ、水が自由に使える場所はあっただろうか。一度家に帰ってもいいが、なんとなくそれは締まらないような。 外に出ると妙に光が目に染みた。いつも薄暗かったこの街に光が差し込んでいる。なんだか、不思議な気分だ。 「クロコダイル、どこに行こうか」 「どこでもいい」 そのぶっきらぼうな声とは反対に強く握り締めてくれる手が、おれさえいればそれでいいと言ってくれているようで、たまらなく嬉しくなってしまった。 222222企画/捏造幼少クロコダイル(きみだけがほめてくれたぼくで何が悪いの?)で甘々なお話@シロさん リクエストありがとうございました! |