オペオペの実をローに食べさせ、ヴェルゴに見つかってしまったあと、逃げるためには自分を犠牲にするしかないと囮になったコラソンを捕まえたのはグラディウスだった。心酔している若様を裏切ったコラソンに対し、怒り狂っている様子が窺えたというのにグラディウスはコラソンを捕まえただけでそれ以上暴力を振るうようなことはなかった。グラディウスならば生きていればいいと痛めつけそうなものであるというのに。海賊たちに撃たれ、ヴェルゴにやられ、その時点でコラソンは随分と痛めつけられていたのだけれど、グラディウスがそれだけで満足するとは思えなかったのだ。
 グラディウスはコラソンをセニョールに任せ、あちらこちらを探し始めた。ローを探しているのだとわかってすぐに血の気が下がる。グラディウスが冷静だったのはコラソンを痛めつけるよりも重大な任務をドフラミンゴに命じられていたからに過ぎないのだ。そしてグラディウスは半年で真っ白になってしまったローを見つけてしまった。


「よし、引き上げるぞ。宝も運び出せ」


 近くにいたマッハバイスとラオGに荷物を運び出し、グラディウスはローを抱えて歩きだした。コラソンはここで抵抗しなければローが殺されてしまうと暴れようとしたが、もはや腕を動かすのが精一杯で何もできやしなかった。意識が朦朧としていく中、ローの泣き声を聞いた気がした。

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 コラソンは眩しさに目を覚ました。目を覚まして、傷が手当てされていることに気が付いて驚き、ローがベッドに寄りかかって寝ていることに気が付いて更に驚いた。どうして。なんで。そう思っても、答えを返してくれるものはどこにもいなかった。
 辺りを見渡してここがドフラミンゴの船の中であることがわかった。揺れ具合から察するにもう海へ出ている。能力者であるコラソンとローには逃げ場などないと言っても過言ではなかった。しかし逃げなければならないと思う反面、生かされている今逃げてはいけないような気にもなっている。


「コラソン、目を覚ましたか」

「!」


 警戒してしまったのは当然のことだった。兄であるドフラミンゴがいつの間にかドアの近くに立っていた。いつ来たのか、いつドアを開いたのか全くわからなかった。ドフラミンゴは怒っている様子もなく、ため息をひとつついてみせる。そのさまにまさかコラソンがスパイだったと気が付いていないのではないかという疑問が湧いてきて、即座に否定された。


「そう警戒するな、ローから話は聞いてる」


 そもそもグラディウスの雰囲気は明らかに裏切り者に対するものだった。そんなことを考えるのは今更である。警戒を解くことのできないコラソンに、もう一度ため息をついたドフラミンゴが「殺す気も半殺しにする気もねェよ」と予想もしていなかったことを口にした。ドフラミンゴという男が裏切りを許さぬ苛烈な男であることは誰もが知る事実だ。だというのに、いったい何故。
 驚き目を見開いたまま固まってしまったコラソンの目に、ドフラミンゴの後ろにいる誰かの姿が映った。コラソンが気づいたことに気付いたらしいドフラミンゴがすこし身体を横にずらすと、そこにいたのは老人だった。上背のある足腰のしっかりした老人は、目元にサングラスをかけていた。一体誰だろうか。老人はラオGよりも余程年上に見える。


「ロシー、挨拶しろ」


 そこでコラソンのことをロシーと呼んだ。普段ならば絶対に呼ばない昔の呼び名に目をしばたたかせていると、老人が柔和に微笑んだ。まるで何かを懐かしむかのように。その笑顔に、地獄とも形容できる過去で唯一優しくしてくれた人を思い出した。


「……デケム、おじいちゃん?」

「ああそうだよ、久しぶりだねロシーくん。大丈夫かい? ひどい怪我を負ったとドフィくんから聞いて心配してたんだよ」

「…………うん、だいじょう、ぶ……だよ」


 不意にコラソンの──ロシナンテの涙がぽたりとこぼれた。デケムは孤児院の経営者で元天竜人と知っても匿い、食事や清潔な衣服を与えてくれた唯一の老人であった。いわば、ドフラミンゴとロシナンテの命の恩人である。随分と老け込んだように見えたが、十五年以上会っていなかったのだから当然と言えば当然だった。
 感動の再会ではあったが、そこでひとつの疑問が湧いてくる。どうしてこの船にデケムが乗っているのだろうか。潜入している間、ドンキホーテファミリーにデケムが在籍しているようなことはなかった。勿論、デケムは海賊など似合わぬ人間なので当然と言えば当然なのだけれど。


「コラさんがしゃべってるだすやん!」

「ローの言ってたことは本当だったのね……!」


 ドアから二人の子どもが覗いている。きゃあきゃあと楽しそうに声を上げる二人の様子を見るに、この二人にとってコラソンは裏切り者ではないのだろう。子どもの笑い声にデケムは口元を緩めていた。ドフラミンゴは二人の方へ顔を向けて、いつものように口角を上げて笑った。


「二人とも、デケムを食堂に連れていってやれ。このジジイ、コラソンが心配だとか言ってまだ今日は飯食ってねェからな」

「あー、デケムさんいけないだすやん!」

「ちゃんとご飯食べなきゃいけないんだよ!」

「ははは、そうだね。それじゃあご馳走になろうかな。ロシーくん、またあとでお話聞かせてくれるかい?」

「……うん、必ず」


 手を引かれて去っていたデケムを見送り、コラソンはドフラミンゴを見た。聞きたいことは色々とあるはずなのに、その疑問はなかなか口から出てくることはなかった。ドフラミンゴはコラソンがまだ警戒していることを分かっているからか、距離を詰めてくることはなく部屋と部屋との境目で立ち止まったままだった。
 「何か聞きてェことがあるんじゃねェのか」とドフラミンゴに促され、コラソンは疑問をようやく口にすることができた。


「何故、おれを殺さねェ? ずっとスパイとして潜り込んでいた裏切り者だぞ」


 ドンキホーテ・ドフラミンゴという人間は、決して裏切りを許さない。自分を害した人間を、自分に悪意を向けた人間を、何があっても許さない人間だ。コラソンはそんなドフラミンゴからの好意を踏みにじるような真似をした、ドフラミンゴにとってもっとも許すことのできない人間であるはずだった。この場で手当てをされ、生きていることすらおかしいのだ。もうすでに死んでいてもおかしくない。


「簡単な話だ。おれがお前を許すと決めた」

「……は?」


 ドフラミンゴの言った言葉が理解できなくて、コラソンは何度もまばたきをして、ドフラミンゴを見た。今、都合のいい言葉が聞こえたような気がした。ドフラミンゴがコラソンを許す理由など、どこにもないはずなのに。
 そうして呆然としていたコラソンにドフラミンゴは「もう一度言うぞ」と話を続けた。


「おれはお前を許す。海軍に戻りてェなら勝手にしろ。ローにも自分で決めさせる。少なくとも命を使わせる気はねェ」


 話を続けられてもコラソンの頭の中は疑問符だらけで一向に進展しない。もしかすると目の前にいるのはドフラミンゴのフリをした他人なのではないかと思ってしまうほど、普段の苛烈なドフラミンゴからはかけ離れている。
 しばらくの間のあと、コラソンは自分の中にある考えをまとめ上げ、ゆっくりと順々に話を聞いていくことにした。今のドフラミンゴならばきっと答えてくれるだろうと思った。


「ドフィ、お前は、世界を憎んで壊そうとしてるんじゃないのか」

「ああ、全部壊してやりてェなァ」


 コラソンが考えていたとおり、ドフラミンゴは世界を壊したがっている。ニンマリと胡散臭く笑ってはいたが、それに嘘はないようだった。離れていた期間の方が長いくらいであるため、兄弟だからと言うつもりはないが、疑う余地はないように思えた。


「ローを殺す気はねェってことは、不老不死になりたいわけじゃないんだな?」


 オペオペの実によってもたらされる不老手術──すなわち害される以外では死ぬことのない不老不死を求めているのではないのか、という質問にドフラミンゴは頷いて笑った。まるでそんなものになってどうするんだとでも言いたげな笑みに、コラソンは首を傾げたくなる。権力者は全てを手に入れた先にそれを望むが、ドフラミンゴはすべてを壊す時間を欲しているがために不老不死を選ぶと思っていたのだ。
 そうなると次に湧いてくる疑問は、不老不死になりたいわけでもないのにどうしてオペオペの実を欲していたのだろうか、ということである。ローを治すためというのが本音だとしても、オペオペの実を探していたのはローに出会うよりも前からのことだ。ローはオマケ、と考える方がいいだろう。


「あのサングラスの下の目は、おれが潰した」


 コラソンが疑問を投げかける前にドフラミンゴがそう言った。はじめ、何を言われたのかコラソンはわからなかった。サングラスの下? 一体何の話をしているんだ、と。けれど、さあと血の気が引いていった。信じたくない思いでいっぱいになる。問いかけた声は震えていた。


「デケムおじいちゃんの、目か」

「ああ」


 気が付けばコラソンはドフラミンゴに飛びかかっていた。制御の効かぬままに「なんでそんなことをッ!」と声を荒らげる。デケムはコラソンに──ロシナンテにとって大恩人とも言える人だった。ドフラミンゴにとっても同じであるはずだ。誰しもがドンキホーテ一家を害していたあのとき手を差し伸べてくれた唯一の恩人に、どうしてそんな真似ができるのか。
 ぎりぎりとロシナンテが首元を締めあげようとも、ドフラミンゴはいたって平静なままだった。過ぎたことだからだろうか。けれどロシナンテには今まさに起きた事象となんら変わりがない。猛烈な怒りが押し寄せる中、ドフラミンゴの声が静かに響いた。


「偽善者だと思ったからだ。どいつもこいつもおれを見下してやがると思った。だから目を潰してやった」


 それだけのこと。そんなふうに言い切ったドフラミンゴに、ロシナンテは寒気がした。ドフラミンゴは裏切ったロシナンテを殺さぬと言ったが、だからと言って根本はやはり天竜人のままである。怒りと怯えで手が震えた。ドフラミンゴはサングラスの奥の目をロシナンテから離し、ぽつりと呟いた。その声はまるでドンキホーテ・ドフラミンゴにはふさわしくのないか細い声だった。


「だが、それでもデケムは許した。それどころかおれに謝ったんだぜ──きみの不安に気が付いてやれなくてすまなかった、ってなァ」


 その言葉に、驚けばいいのか怯えればいいのか敬えばいいのか、ロシナンテはまるでわからなかった。ただ一つわかったのは、ドフラミンゴが普通でないようにデケムは普通ではなかったということだ。広すぎる器や大きすぎる愛情というのは時として恐怖の対象となり得るのだと、思わされてしまうような。普通、目を潰されれば怒りや怯えを持つものだろうに、デケムはドフラミンゴを許し受け入れたのだ。きっとデケムは人間よりもっと尊いものなのだろう。そう考えずにはいられなかった。


「デケムは、おれを許すと言った。だから、おれもお前を許す」


 ドフラミンゴは視線をコラソンへ戻し、まっすぐにその目を見てきた。ロシナンテがいなくなったあと、ドフラミンゴがどうやって生活していたかなど知る由もないが、ドフラミンゴはデケムに影響されたということなのだろう。だからそういう言葉が出た。
 それはきっと、いいことだった。勿論コラソンにとってもいいことだったが、ドフラミンゴにとってもいいことであったはずだ。安心して、すこし息が漏れた。ドフラミンゴの首を絞めるようにしていた手を離し、すこし身を引く。デケムの目を潰したということには変わりないため、ドフラミンゴに謝ることはしなかった。


「オペオペの実が欲しかったのは、デケムの目を治してやりてェからだ。オペオペの実なら、おれの目を移植できるだろう」


 そう言えばそんな話をしていたのだったな、と思うと同時に、コラソンはこれ以上にないほどに瞠目し、固まってしまった。今兄は、ドフラミンゴはなんと言っただろうか。頭の中で反芻したのちに、コラソンもまっすぐにドフラミンゴを見た。


「……ドフィ、本気で言ってるん、だよな?」

「冗談で言うと思うか?」


 思わなかった。ゆるりと首を振ると、ドフラミンゴは薄く笑った。悪事を働くときとは違う、穏やかな笑みだ。──ドフラミンゴはいつの間にか変わっていたのだ。無償の愛とも言えるデケムの許しで、ドフラミンゴはすこしだけ人に優しくなっている。
 そう思ってしまうと、つい、コラソンの口からは謝罪の言葉が出てしまった。悪事を働いていたことは本当で、世界が壊れてしまえばいいと思っているのも本当で、謝る必要など世間一般から見れば絶対になかったというのに。それでもコラソンは謝ってしまった。ずっと謝りたかったのかもしれない。


「…………ドフィ、悪かった。裏切りたいわけじゃあ、なかった、なんて言っても嘘にしか聞こえねェだろうが、世界を壊そうとするドフィを止めたかったんだ」


 告げれば、そこで初めてドフラミンゴの顔が歪んだ。苦しそうにも見えるその表情に、この兄もそんな顔をするのだと苦笑いを浮かべてしまう。「……なんでだ」と静かな声で問いかける兄に、コラソンは正直に答えた。


「世界壊して、不老不死になったら、ドフィはひとりだろう」


 始めはもっと単純だった。兄が悪いことをしているなら弟のおれがなんとかするべきだと思っただけだ。けれどドフラミンゴは想像の中よりも苛烈で、更にオペオペの実を欲していた。だから、世界を壊すために不老不死になりたいのだと思っていた。その先に待ち受けるものを考えたらいてもたってもいられなくなってしまったのだ。怒りと憎しみでしか動けぬドフラミンゴが誰もいない世界で死ねなくなるだなんて、そんなことだけは起こって欲しくなかったから。だから、積極的に動いた。ローのことは誤算だったが、見捨てることもできなかった。ローはあのときの自分たちによく似ていたから。
 そんな思いを吐露すれば、ドフラミンゴは口を大きく開けていつものように笑った。本当におかしそうに、本当に、嬉しそうに。


「フッフッフ! 馬鹿な弟だ!」

「……ごめんな、兄上」


 抱きしめてきたドフラミンゴの背に、コラソンも腕を回した。独特な笑い声がどことなくゆらゆらと揺れていた。ああ、もしかして泣いているだろうか。
 そう思いながらも腕を離せば、ドフラミンゴは勿論泣いてなどいなかった。それどころか晴れ晴れとしているようにも見える。ある種仲直りなのだろうか、と唇を緩ませながら、ふと思い出したことをコラソンは口にした。


「そういえばなんでデケムおじいちゃんのこと教えてくれなかったんだ」

「あ? そりゃあお前……アレは、おれのだからだ」


 ニンマリと笑ったその顔が悪人然としていて、どことなく含みのある声色で、コラソンの目が点になってしまう。深く突っ込んで聞くと、聞きたくないことを聞いてしまうようなそんな気がした。


「二人とも、ご飯ができたよ」


 コラソンとドフラミンゴが見合っているとそんな声が聞こえてきた。廊下の少し先にデケムの姿がある。「今行く」とドフラミンゴが先にデケムのところへ向かい、その身体に腕を回し、顔へキスを送っていた。まるで恋人同士のような密着具合にコラソンはなんと言っていいのかわからなかったが、デケムが笑いながら「ドフィくんはいつまで経っても甘えん坊だねェ」とすこしズレた発言を噛ましているところを見て慌てて二人の元へ向かった。おじいちゃん違う、狙われてるんだあんた!

誰もが優しくなれる



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