クロコダイルが洗礼を受け、ぶち込まれたインペルダウンの最下層の牢は、奇妙な男が一人捕らえられていただけだった。他の牢には何人もの囚人が押し込まれているというのに、その牢にはたった一人が厳重に閉じ込められていたのである。

 うねるような白髪は前髪などの区別もなく伸び放題で、人相を窺い知ることはできない。巨人ほどではないにしろそれなりの巨体は床に張り付けるようにして縫い留められており、クロコダイルの拘束よりも余程厳重な様を見るに凶悪な囚人なのだと予想できた。
 その上、クロコダイルがその牢に入れられるまでやんややんやと野次に騒がしかった囚人どもも何も話さない。静まり返ってこの牢へ注目しているようだ。どいつもこいつも表には出しておけないような凶悪な囚人の集団だというのに、妙な注目を浴びているこの男の取り扱いの難しさを感じさせるようだった。

 とはいえ、クロコダイルはこの牢の中の男と争って、自分の方が上だと示すような馬鹿らしい行為に耽る趣味もなければ、面倒ごとに関わりたいとも思えない。けれど逃げるような真似をして、侮られるのはもっと気分が悪い。
 さてどうしたものか、と、腰を下ろすよりも早く、男が動いた。勢いのある動きではないというのに、床に縫い付けるように男を拘束していた鎖は容易に引きちぎられ、ぬるりとクロコダイルに近寄ってくる。


「クロコダイル! お前クロコダイルだろ? 元気してた? 何で捕まったんだお前ー!」


 掠れたような声に聞き覚えはない。だが、クロコダイルよりも巨躯で、どうやら知り合いらしくて、何よりこの馴れ馴れしさ。覚えがあり過ぎた。


「…………ノウェムか?」

「お前相変わらずだな! おれのが先輩だぞ、さん付けで呼べっつーの!」


 ノウェム。しばらく、十数年は会っていなかった男である。海賊に成りたての頃のクロコダイルに世話を焼き、その後も会うたびに何かと先輩面をしてくる男だった。素手での戦闘は随一ではあったが、少なくとも最下層に押し込まれるほどの悪事をして名を売ってもいなければ、そこまでの凶悪犯とも思えない。
 海賊にしては小綺麗で、黒髪だったはずの男が、混じりけのない白髪で足元まで伸びきっているところを見るに、入れられてからだいぶ経っているらしい。
 邪魔になったのか、顔の前にあった髪を横にずらして現れた顔は、年を食ったノウェムの顔そのものだった。初めて会った頃のように、妙に人懐っこい顔で笑っている。


「おお〜、あの小僧が立派になってんなァ!」

「発想がジジイだな」

「年齢的にはもうとっくにジジイだろ、たぶん。で? クロコダイル、何して捕まったんだ?」


 クロコダイルには説明してやる義理もなかったが、ノウェムという男のしつこさは嫌というほど知っている。そのため、椅子替わりの出っ張りに腰を下ろし、ざっくりと説明をした。
 おそらくノウェムはクロコダイルが七武海になったことすら知らないだろう。そこから説明すると「なんかすごいじゃん!?」と馬鹿っぽい称賛の声が向けられた。
 そして英雄面して穏便に国盗りをしようとして失敗して捕まったことを伝えれば、ノウェムは随分驚いたようで、目を点にしてあんぐりと口を開けていた。


「規模デッッッッカ!!! なにそれカッコよくない? おれもそんな感じで捕まりたかったが?」

「お前は?」


 ノウェムは先輩面をするだけあって、こんな男でも存外抜け目のない海賊だった。ノウェムなら捕まるようなヘマはしないし、不運が重なって捕まったとしても、先ほどのように拘束されても拘束具を破壊できるほどの力を持っており、逃げきることは難しくないように思えた。


「おれか? 仲間に売られた! ウケる!」


 ウケない。少なくともクロコダイルには全くウケなかった。自分でもわかるほど、不快な表情を全面に押し出しているというのに、目の前のノウェムは笑っている。
 ノウェムという男、見知らぬ新人であるクロコダイルの世話さえ焼いていた男であるからして、非常に面倒見のいい男だった。仲間は全員、彼の世話焼きの恩恵を受けていたはずだし、彼のことを慕っていた。仲間ではない連中でさえ、彼を慕っていた。クロコダイルは目をかけてもらっていた分、そういったノウェムをよく知っている。だというのに、ノウェムを裏切った? ふざけている。
 湧き上がってくる怒りや苛立ちをどうにかして押し殺して、クロコダイルは話を変えた。詳しく話を聞いてしまえば、怒りを抑えられないと思ったからだ。


「ジジイのくせにガキみてェな口調はどうなんだ?」

「ワハハ、捕まってから長ェからなァ! 社会から取り残されたジジイなんてこんなもんだよ! 見た目だってどんなジジイになってるかわからねェしな!」


 ノウェムは楽しそうに笑っているが、クロコダイルの腸は煮えくり返りそうだった。そこまで長くこの牢獄に閉じ込められていて、ノウェムは恨み言ひとつ言うこともない。出た暁には代わりに礼でもしてやらなければ、とクロコダイルは目を細めた。

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 ──ノウェム。海賊も恐れる大監獄インペルダウン最下層にて、厳重な拘束を受けていた男の罪状は『大量虐殺』である。

 ノウェムは仲間に売られたことがわかると、まず仲間を皆殺しにした。内通により呼ばれていた海軍も皆殺しにした。たまたま停泊していただけの街の住人も皆殺し──ではなかったが、大多数が殺された。生きていたのは眠っていた者や逃げた者、子どもなどの一部だけだ。

 裏切り者を決して許さないノウェムは、自分を売った仲間を殺した。裏切り者を殺そうとしたノウェムを止めた仲間も躊躇いなく殺した。裏切り者を許す選択をする者もまた裏切り者だからだ。止めようとした仲間まで殺したノウェムに仲間たちは怯えた、きっと自分も殺されると。そして刃を向けた。それが地獄の始まりだった。
 一度始まった恐慌は、仲間に、海軍に、町の住民に伝播した。仲間だった海賊を素手で引きちぎる悪鬼の存在は、本能的に人々を怯えさせ、反射的に敵対行動へ走らせた。

 ノウェムは裏切り者にも敵にも容赦はしない。向かってくるものすべてを引きちぎり、打ち捨て、街中を血と臓物で染め上げた。

 大した賞金首でもなかったはずのノウェムが起こした異常事態に、駆り出されたのはガープ中将だ。そのガープ中将と戦って、決着がつかぬうちに疲れて呑気に眠り始め、殺してしまおうとした他の海軍将兵の刃を折り、臭い物に蓋をするという流れで寝ている間に大監獄の最下層に閉じ込められてしまったのである。

 目を覚ましたノウェムは拘束具を引きちぎって、大きな欠伸をして、周りを見渡して、それからまた寝てしまった。ノウェムはあの凶行が嘘のように大人しく、抵抗も暴力も起こさなかった。簡単に拘束具を引きちぎってしまうことから、牢から出ることなど容易だろうに、ノウェムは大人しく牢に収まっていた。
 それどころか、そこらへんの囚人のように看守にひどい言葉をかけるでもなく、食事を持ってくれば礼の一つも伝えるような穏やかさを発揮した。凶行を聞いている看守でさえ、本当にこの男がそんなことをしたのかと疑ってしまうほど、普通の男に見えた。

 その様子が報告され、大監獄の主であるマゼランや海軍のガープ中将といった大物も確認に訪れた。マゼランは要注意人物ではあるが現時点での素行に問題はないとし、要経過観察とした。
 ガープ中将は牢の前に訪れた際、あまりの変わりように困惑したと言う。悪鬼のごとく、目の前の人間をただ引きちぎるだけだった男が、大人しく床に座り込んでいる様は、それほどまでに異様に見えたのだ。あのときは操られていたと言われた方が納得するほど、どこにでもいる普通の男だった。
 どうしてあんなことをしたのかとガープ中将に聞かれて、ノウェムは答えた。


「うーん、裏切られて、ちょっと虫の居所が悪かったかな」


 あっけらかんと、妙に人好きのする笑みを浮かべて。

コバルトブルーの怪物


mae:tsugi

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