ロビン視点、男の娘系主人公注意


 クロコダイルが居を構える館の一室から、泣き声が響き渡っていた。ロビンはため息をつきながらその部屋に向かっている。やむにやまれぬ事情ゆえであって、できれば関わりたくないと考えていたが、仕事の可否にかかわってくるのでそういうわけにもいかなかった。
 鍵のかかっていないドアをロビンが開けると、一瞬だけ泣き声が止んだ。館の主であるクロコダイル──では勿論ない。クロコダイルは恥も外聞もなく泣き叫べるような素直な感性は持っていないのだ。嫌なことや悲しいことがあってもそれは涙ではなく怒りとして出力されるタイプの人間である。敵でなければそこまで問題はない、といいたいところだったが、プライベートの怒りを仕事にも持ち込むので、部下であるロビンは堪ったものではなかった。

 中にいたのはロビンの上司にあたるクロコダイルの恋人、ノウェムである。女の子と見間違わんばかりの可愛い顔をした大の大人が、恋人と喧嘩になり、部屋にこもって大泣きしているというのが泣き声の真相である。
 ノウェムはロビンと目が合うと、再度泣き始めた。クロコダイルが来なかったからだろう。朝に喧嘩して以来顔を合わせていなかった恋人が、部下を寄越したとわかったからだ。謝らなくてもクロコダイルさえ来ていれば、ノウェムは自分が悪くないとしてもすぐに謝っただろうに、ちんけなプライドで二択を綺麗に間違えるのがクロコダイルという男だった。


「あり得なくない!? 喧嘩して泣いてる恋人に、フツー部下を寄越す!? 部下だってメーワクでしょ!?」


 ごもっともである。いい年をして可愛い格好をして恥も外聞もなく泣き喚いているわりに、クロコダイルの恋人であるノウェムという男は常識的な考えを持っていた。だからこそ、クロコダイルと恋人になって色々と齟齬が生じている。


「あんなに好きって!!! 可愛いって伝えてるのに!!! クロコダイルのわからず屋ァ!!!」


 可愛いかどうかは個人の感性によるものなので、それは置いておくことにしても、ノウェムは恋人であるクロコダイルに惜しみない愛情を注ぎ、言葉でも行動でもわかりやすくアピールをしている。
 傍目から見てロビンがそう感じているくらいだ。クロコダイル本人はウザいくらいに感じているはずだが、無駄に疑り深いクロコダイルはノウェムにそれ以上をお求めらしい。


「『好きだよ(はーと)』って言ったら、クロコダイルは『どうだか』しか言わなかった初めに比べて、最近は『知ってる』まで行ってたのに、今日また『どうだか』に戻っちゃったんだよ!? 何?! 昨日何があったってんだよ!!!」


 たぶん、何もなかったと思う。昨日何があったんだ。それはロビンも深く同意するところだ。今日のクロコダイルの機嫌はすこぶる悪い。おそらく何か気に食わないことがあったのだろうが、ノウェムが何かしたようなところは見られなかった。
 腹の虫のおさまりが悪くて、どうだか、と言われた瞬間のノウェムの絶望顔でも見たかっただけかしれないし、好きだよとか愛してるよとかの言葉を尽くしてほしい気分だったのかもしれない。ロビンはクロコダイルの考えなど知りもしないし、知りたいと思ったこともなかった。

 実際、言われた瞬間のノウェムは可愛い顔を悲壮な表情に変えて、「クロコダイル? どうしたの? ホントだよ、おれ、クロコダイルが大好きだよ。愛してるよ」と懸命に愛を伝える姿は、彼の可愛らしい容貌と相まって『可哀そう』の一言に尽きた。
 というか、そんな恋人同士の語らいを部下の前でやらないでくれというのが、ロビンの嘘偽らざる本音である。

 ひとしきり泣き終えたらしいノウェムが目を真っ赤に腫らして、ふう、とため息をついた。真っ赤に腫らしていてもその横顔は可愛らしいが、ロビンの方に向き直った目はどこか剣呑だ。


「ニコ・ロビン、メンドクセーって思ってるでしょ」

「…………思ってないわよ?」

「今のは間はゼッテー思ってるやつだかんな? ていうか、思っててトーゼンだよ、ごめんね。上司とその恋人のメンドクセー諍いに巻き込んで」


 正確に言うと、感情表現がとにかくメンドクセー上司とそんな男を溺愛する恋人の頭の悪い喧嘩、とロビンは認識していたが、直接言ったところで謝ってくるのはここにいる存外まともなノウェムだけだ。ロビンは別にノウェムに謝ってほしいわけではない。むしろ彼はよくやってくれている。あのメンドクセークロコダイルの機嫌を取って、やりやすい空気にしてくれるのだ。クロコダイルの配下は全員、彼に感謝している。
 メンドクセー事態にさせているメンドクセー上司であるクロコダイルに言おうものなら、これまた本当にメンドクセーことになってしまうので、ロビンは曖昧に微笑むに留めた。


「泣き疲れた。来たのがニコ・ロビンでよかったかも」

「どうして?」

「愛しい人に泣き腫らしたブサイクな顔を見られずに済んだから」


 ノウェムの美意識ではナシの顔なのだろう。ロビンから見れば可愛いとは思うが、それを言っても慰めにもならない。
 グッと伸びをして、ノウェムが立ち上がる。可愛らしい顔立ちに、ロビンよりも華奢な体格。声だって鈴を転がしたように軽やかで甘やかな響きのアルトだ。相変わらずロビンよりも年上のくせに、ロビンよりも少女然とした男だった。


「ニコ・ロビンが頼まれたのは、おれに謝らせに来いってこと? それともウルセーから泣き止ませて来いって?」

「……後者ね」

「じゃあこれで完了ってわけだ。戻ってダイジョーブだよ。メーワクかけてごめんね」


 ロビンにとっては言いづらいことを伝えても、ノウェムに気にした様子は見られなかった。見当がついていたからと言って愉快な気持ちになるような答えではなかったのに、その感情を外に出すことをよしとはしなかった。あんなに泣き喚いていたくせに、とロビンは思ってしまうが、ノウェムにとっては線引きがあるのだろう。


「あ、ニコ・ロビン、伝言をお願いしてもいい?」

「なにかしら?」


 歩き出そうとしてノウェムに呼び止められる。ロビンを介して話をしようとするのは、出来ればやめてほしいところではある。クロコダイルのことだ、絶対に話が拗れる。
 そんなロビンの内心に気が付きもしないノウェムは、とんでもない爆弾を投下した。


「ちょっと頭冷やして出てくるって伝えといて」


 まずい。本当にノウェムが出ていく前に、ロビンはクロコダイルの元に駆け出した。ロビンが引き留めたところで、踏みとどまるとは思えない。早急にクロコダイルを向かわせる必要がある。

 何がまずいって、全部まずい。メンドクセー男の代表ことクロコダイルが今まで以上にメンドクセーことになってしまう。
 なんせあの男、ノウェムを振り回すだけ振り回しておいて、何を馬鹿なことをという話ではあるが、ノウェムのことをめちゃくちゃ溺愛しているのだ。望むものを何でも買い与え、似合うだろうと宝飾品やら服やら靴やら何から何まで購入してくる。ノウェムがリボンにハマったときには、商人と職人を呼び寄せて、布から選び、リボンを何本何十本作らせたか思い出したくもない出来事だ。

 そんなふうに溺愛しているはずのノウェムになんであんな対応なんだと言われたら、自分だけは好きな子をイジメてもいいと思っていて、そういう愛情表現しかできないからとしかロビンには言えないが、それでもクロコダイルはノウェムに愛想を尽かされるなんてことは砂粒ほども思っていないのである。馬鹿か?

 実際、ノウェムは愛想を尽かしているわけではないし、今会うとまた泣き出しちゃうとかそんな理由で外に出て行こうとしているのだろうけれど、クロコダイルという男はそんなこと知ったこっちゃないし、理由がどうであれ自分の手元から離れることをよしとしない。
 そうこうしているうちにクロコダイルの執務室にたどり着き、ノックなどせず扉を開いた。行儀とか礼儀とか、そんなことは今どうでもいいのである。


「サー、大変なことになったわ」


 クロコダイルは実に不愉快そうな表情を向けてくるが、それでもノウェムのことだとわかっているのでロビンを無視をしたり、暴力じみた行為で黙らせようともしなかった。


「……なんだ」

「ノウェムさん、出ていくって荷物を纏めているわ」


 書き続けていたクロコダイルのペンが止まる。何を言われたのかわからないとでもいうような、面食らった表情で、ポトリと葉巻を落とした。


「……は? どういうことだ、ミス・オールサンデー。お前を向かわせたのはノウェムを家出させるためじゃねェ」

「自分のミスを他人に着せるのはやめてもらえる? 私は彼を泣き止ませたわ。でも泣き止ませただけ。私が行ったところで事態の解決にはつながらないことくらい、わかっていたはずでしょう?」

「ミス・オールサンデー。言いたいことはそれだけか?」


 明らかに苛立った様子のクロコダイルに──こんなところで無意味な責任の押し付け合いをしているだけのクロコダイルに対し、ロビンはブチリと堪忍袋の緒が切れる音がした。


「言いたいこと? 言わせていただけるなんてありがたい話だわ。そんなのいくらでも聞かせてあげるわ。サー、あなたね、試し行動だか何だか知らないけど、あんなに愛を示してくれるノウェムさんに素気無くして、悲しませて楽しいの? ああやって悲しむノウェムさんを見て、ああ自分は愛されているんだって悦に浸ってるつもり? 馬鹿なんじゃないの。子供じゃないんだからいい加減にしたらどうなのかしら。ノウェムさんはあれほどあなたに尽くしているでしょうに。それからね、部下を痴話喧嘩の仲裁に使うのはやめてもらえる? 部下の目の前でいちゃつかれたり喧嘩されるのもいい迷惑だわ。いつも私が仲裁しているけれど、あなた、仲裁役がいる状態でしかあんなことできないなんて言わないわよね。というか、サー、ノウェムさんに逃げられたくないでしょう? 何のんきに私の話なんか聞いてるの! さっさと行きなさい! 早く!」


 ロビンが怒鳴りつけると、クロコダイルはひどく不愉快そうな顔で怒鳴り散らそうとして、それから執務机を蹴りつけて去って行った。そのあとの詳しいことはロビンは知りたくもないし知らないが、ノウェムが出かけなかったのでうまくいったんだろうと思う。

愛の滲む舌先



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