前世女性→現在男性の原作軸クロコダイルさん注意


 クロコダイルの中には大層な記憶がある。お姫様として過ごした、一生分の女の記憶だ。クロコダイルは男で、お姫様に憧れるような奇妙な趣味は持っていない。けれど、あれは自分だと理解し、あの女の人生は以前の送った人生だったと確信している。女の記憶を持ったまま、クロコダイルとして生まれ変わったということなのだろう。

 女の一生は短い生涯の割に、存外波乱万丈だ。

 一国の姫として生まれ、護衛の男と恋に落ちた。末姫であり、政略的な価値はあるものの、どこの国に嫁がせても利益はいまいち。かといって国内の有力貴族に嫁がせては、政治的なバランスを崩してしまう。とはいえ、護衛の男では降嫁先として身分が足りない。
 護衛の男は姫をもらい受けたい一心で、一騎士として大成した。近隣での戦争でその名を挙げたのだ。そうして男との挙式を待ち望んでいた姫に、迫る凶刃。どこの派閥による暗殺事件だったのかはわからない。けれど護衛の男は姫を守りきり、息を引き取った。そして姫は、男の後を追った。

 大筋としてはそういった人生で、途中途中で女同士のねちっこい諍いが起こったり、あんな身分の男だなんてと嫌味を言われたり、母親からは護衛の男と恋仲になるなど破廉恥な娘だと罵倒されたりもした。そういったときは姫らしい傲慢な嫌味で相手を黙らせた。──この世で一番いい男に愛されているわたくしに嫉妬しているんですね、お可哀そうに。

 恋仲の男は良い男だった。とびぬけた美貌と恵まれた体躯、あふれる剣の才能。そして何より姫に一途で、まっすぐな男だった。足りないのは身分くらいなもので、それさえ姫と結ばれるために、正当な理由で手に入れた。そして姫の為に命ごとすべてを失った。

 そういう男に愛されたことのある記憶が、クロコダイルの中にはずっとあった。あまりにも毒物じみていた。
 記憶の男はあまりにも自分に優しく、あまりにも自分好みで、都合が良すぎた。姫を自分だと認識する反面、年齢を重ねるごとに苦しい時期に自分を支えるために生み出した妄想なのではないかと疑うようになった。疑ったところで、答えは出ない。記憶の中には確かに、姫も男もいるのだから。

 そのうちに、姫という存在が憎くなった。今のクロコダイルには男に準ずる存在はいない。あそこまで愛してくれる存在は記憶の中にしかいない。けれどそれだって、クロコダイルに対してではなく、姫に対するものだ。自分の記憶に苛立ち、捨て去ってしまいたいと思うほどになった。

 そもそもこの記憶が本物だったとして、だからなんだという話になってしまう。恋仲の男が生まれ変わった保証はない。現在事実として存在するのは、姫の記憶を持って生まれてしまったクロコダイルという哀れな男がいるだけだ。
 仮にあの男も同じように生まれ変わったとして、同年代で生きて会えるという保証はない。同年代だとしても同じように前の記憶はあるのか。生まれ変わった自分を見つけられるのか。生まれ変わった自分を本人だと認めてくれるのか。生まれ変わったと認めてくれても、もう好きな人がいて、クロコダイルのことなど要らないかもしれない。

 もし他人に心を奪われたあの男を見つけたら、殺してしまおうとクロコダイルは密かに決めていた。自分以外を愛するあの男に、生きる価値はない。決してそんな結末を許しはしない。偽者に違いない。
 クロコダイルの中にしかいない記憶の男への想いは、妙にぐつぐつと煮詰まって、危険なものとなり果てていた。が。


「姫!!!」


 とまあ、そのあたりの心配は、まったくもって、杞憂だった。

 聞き覚えのある声に振り返れば、記憶の中の男にそっくりな男が、喜色満面といった笑みを浮かべて破顔していた。大型犬のようにキラキラとした瞳を向けて駆け寄ってくる。近づいてきた男に対し、手が届く範囲に入った途端、思わずクロコダイルは右手を振り抜いていた。地面に転がる男が、呆然とクロコダイルを見上げている。


「誰が姫だ」

「ええっ、ひ、姫ぇ……!?」


 見知らぬ男と出会える場所というのが外でしかなく、それはもう、公共の場と言っても差し障りのないほどの、民衆の目がある場所だったため、『そうよ、わたくしが姫です。あなた、いったい今まで何をしていたの? 迎えに来るのがあまりにも遅いんじゃなくって!』という心の内については、どうあがいても言えなかったのである。

 クロコダイルは不審者じみていた半泣きの男を連行し、二人で冷静に話し合い、やはり自分の前世の記憶が間違っていなかったことを確認して、クロコダイルは男と暮らし始めた。『よく姫だとわかったな』とクロコダイルが聞けば、『どう見ても姫でしたので』と似ても似つかないはずのクロコダイルに男は笑みを向けた。
 男は今生ではノウェムと名乗った。ノウェムは今生でもとびぬけた美貌と恵まれた体躯、あふれる剣の才能を持ち、そして何より姫に一途で、まっすぐな男だった。


「姫!」

「姫と呼ぶなと何度言えばわかる」

「あっ、すみません」


 ノウェムにとってクロコダイルは間違いなく姫であるようだった。クロコダイルも同じように自分が姫であるという自覚はあるが、かといってまったく同じ人間だとも思えなくなっていた。もっと幼いころに会っていたら、また話は違ったのかもしれない。けれど、クロコダイルにとって姫という女は、最早ライバルを通り越して憎むべき対象となっていた。
 前の人生に嫉妬だなんて、大概馬鹿らしいとは思う。それでも長い間対面してきた記憶の中の『姫』は最早『騎士に唯一愛された憎むべき女』だったのだ。──おれのものに手を出す、クズ女、である。


「クロコダイル、あなたのお役に立ちたいのです。何か私にできることはありませんか?」


 にこにこと笑っているノウェムにも腹が立つ。お前だって記憶の中の『姫』が好きなだけなんだろう。自分が記憶の中の『騎士』に愛情を積み重ねていたことを棚に上げた、とんでもない恨みつらみを目線に乗せると、ノウェムが困ったような顔をした。


「クロコダイル? どうかされましたか?」

「……お前が好きなのは姫だろう。おれはもう、姫じゃねェ」


 クロコダイルの言葉に、ポカン、と美貌の騎士に相応しくない口を開けたままの間抜け面を晒して見せた。けれどそれもほんの一瞬のことで、半泣きになってクロコダイルの方をつかんだ。


「心外です!! 男になったくらいで、私のあなたへの愛は変わりませんが!!??」


 姫とクロコダイルの変わりっぷりと言ったら、男になったくらいで済むものではない。姫は所詮小娘程度の年齢だったし、こんなふうに大きな傷もなかった。姫という身分もなくなり、今は七武海という大悪人。しかも国盗りまで企んでいる。
 そんなふうに伝えれば、ノウェムは不思議そうな顔をして首を傾げた。


「あなたは姫を美化しすぎでは? 姫は政敵に毒を仕込んだり、私に粉をかけてくる女性の髪の毛を燃やしたり、王座の乗っ取りまで考えるような悪女でしたが……?」


 …………言い訳をさせてもらえるのならば、クロコダイルの中にある姫の記憶というのは、大半が恋仲のこの男に焦点が当てられたものだった。好きだとか幸せだとか愛されているだとか、必ずこの男と結婚するだとか、そんなところだ。だから女同士の諍いシーンについては覚えがあっても、王座の乗っ取りだとか、政敵に毒を仕込んでいたりだとかは全く覚えていなかった。
 だからてっきりおきれいな人間だとばかり思っていたのだ。プライドは高そうだったが、姫という身分が為すものだと思い込んでいたのである。最期に暗殺されかかったのも、姫の自業自得に男を巻き込んだだけであったとは……。
 クロコダイルは羞恥で咳ばらいをして、ノウェムを睨むことくらいしかできない。


「……お前、女の趣味が悪すぎるぞ」

「まさか。姫は自信に満ち溢れ、気に入らないものを踏みにじる、世界で一番いい女でしたよ」


 ノウェムはクロコダイルに笑いかけ、そして跪いた。記憶の中の映像と重なる。庭園で跪き、姫に愛を乞うた騎士の姿にそっくりだった。


「クロコダイル、あなたを姫のときから愛しています。今ともに暮らさせていただき、また気位の高いあなたに惚れ直しました。今生でも共に生きていただけませんか?」


 ──姫、あなたを愛しています。初めてお会いしたその時より、あなた様に心を奪われました。もう気持ちに蓋をしておくことはできません。
 ──いつまでわたくしを待たせるつもりかと思ったわ。名を挙げなさい、わたくしを娶るには身分が足りなくてよ。

 庭園の隅で二人は笑いあった。身分ゆえ、触れ合うことはできなくとも、二人は幸せだった。
 今は二人を隔てる身分も、監視の目もない。クロコダイルは跪いている男に勢いよく抱き着いて、笑った。


「遅ェんだよ、馬鹿」


そして二人は幸せに暮らしました。



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