──残業という所業を始めた輩はしねばいいのに。 本気でそう思いながらもマルコは必死に仕事に打ち込んでいた。そんなくだらないことを考えて気分転換するしかなくて、マルコは唇を噛み締める。一時間ほど前に同棲中の恋人であるナマエに送った『今日は帰れそうにないので先に寝てください』というメールも全然返事が来ない。完全にもう寝てしまった後なのだろうか。せめてナマエからのメールがあればちょっと元気になるかもしれないのに。ナマエだって疲れてるだろうし、それはそれで仕方のないことだけど……。 しかしマルコは憤っていた。なぜおれがこんな仕事までしなきゃいけないんだ、と。今手直しをさせられている企画は自分の企画でないどころか、ぶっちゃけなくともイマイチとわかる企画だった。ふざけてんじゃねェよい、マジで。上司にそんなこと面と向かって言える勇気が欲しいとマルコは切に願ったが、社会人にそんなことは許されない。上司の命令はぜーったいなのである。 「ああ〜……くっそ、腹減った……!!」 残業さえなければ今頃ナマエの作った食事にありついて、尚且つナマエに甘えることができるくらいの時間があっただろうに、現実というものはいつも非情である。マルコは食事を買いに行く暇さえ惜しみ、何の栄養にもならないであろう味のするかしないか微妙なコーヒーで空腹と眠気を誤魔化してるだけだ。 叫びだしそうなくらいフラストレーションが溜まった瞬間、ブルブルと結構な勢いで携帯が震え、マルコは驚きすぎて転びそうになった。現在十一時、普段ならメールしてくるやつはあまりいないが……と携帯を覗きこんだら、ナマエからの着信だった。マルコのテンションは一気に上がり、パソコンと向き合っていた時には考えられないような速度で電話に出る。 「ナマエ?」 『おー、ナマエくんですよー。ちょっと時間ある?』 「も、勿論だよい」 『じゃあ今お前の会社の前にいるからさ、降りてきてくれる?』 「え!?」 驚いて声をあげるとほぼ同時に、ぴ、と電話が切れる。ツーツーツーと完全に切れていることを知らせる音が携帯から鳴り響き、マルコは携帯を耳から離した後、少しの間画面を見つめた。ナマエからの、電話。ナマエが、来てる? それを理解したマルコは慌てて部署を飛び出して、階段を駆け下りていく。先ほどまでそんな力なんてなかったはずなのに、足は軽快に階下へと進んでいった。すこしだけ息の上がった頃、マルコは玄関前に着いた。周りを見渡す必要もなく、ナマエの姿が目に入った。 「よっ、大丈夫か社畜!」 軽口を叩くナマエは寄りかかっていたバイクから離れて、マルコの方へと歩いてきた。その手には大きな袋が握られている。マルコはナマエの顔を見ただけで力が抜けて、わざわざ自分の為に何かを持ってきてくれたらしい恋人のことを本当に愛おしく思った。ナマエは近寄ったマルコの顔を見るなり、すこしだけ眉間に皺を寄せた。 「おいおい、マルコ、大丈夫か? 顔色悪いぞ」 「あー、まあ、大丈夫だよい」 「ならいいけど……無茶はすんなよ。ほら、これ」 あまり納得していないような顔でナマエが渡してきた袋をがさごそと開いてみると、ナマエが作ってくれたらしい料理がタッパーに入っていた。しかもどれもこれもマルコが好きなものばかりで、それらのどれもがまだ温かい。会社から家までは電車で一時間ほどだが、バイクや車ならもう少し早く着く。きっとわざわざ作ってきてくれたものもあるのだろう。 「どうせお前のことだから飯食わねーでやってたんだろ?」 そう言ってナマエが笑ったから、マルコは泣きそうになってしまった。なんでこの恋人はこんなにできているのだろう。疲れていたと言うこともあったのだろうが自分のために色々としてくれる暖かさに嗚咽がせりあがってきてしまう。渡されたタッパーを抱えながら結局泣き始めてしまったマルコを見てナマエはぎょっとした。当然、タッパーを持ってきたくらいで泣かれるなんて考える人間はいないのである。ナマエは慌ててマルコの顔を覗き込んで、その目からあふれる涙を指先で拭ってやった。 「お、おい、マルコ? そこまで追い詰められてんの? だったら無理しなくていいから、おれ、お前ひとりくらいなら養えるくらいの甲斐性あるし、家賃だってべつに、」 「う、うう〜…っ……!!」 ナマエが追い打ちをかけるようにやさしい言葉をくれるので、マルコの嗚咽は余計にひどくなった。会社の前でスーツを着たマルコが泣いている様は正直目立つ。けれど十一時であったことも幸いしてほとんど人通りはなく、ナマエは泣いているマルコを放っておくこともできなくて抱きしめた。二人の間にタッパーがあることがなんとも言えない気持ちを呼び起こしたが、ナマエはマルコが泣き止むまでずっとそうしていることにした。 そうして数分泣き続けて、マルコは顔が上げられない状態になっていた。なにせ、恥ずかしい。いい年こいて外で号泣することになるなんて誰が思っただろう。ナマエの前だから泣いたのだけれど、地味に羞恥心が湧いてきて顔が熱くなる。ナマエも上から抱きしめていれば顔が赤くなっていることくらいすぐにわかった。しかしそれには触れず、背中をぽんぽんと叩いてやる。 「……マルコ、もう大丈夫か?」 「あー……大丈夫だよい」 ナマエはマルコに顔をあげさせて、赤く腫れた目蓋に触れた。ひんやりとした手が心地よい。しかしずっとそうしているわけにもいかず、ナマエの手は離れていってしまう。少しの寂しさを感じながらも、マルコは仕事に戻らなければならない。ナマエに甘えきって生活するのも嫌だったし、それ以上に社会人としていきなり会社をやめるわけにはいかなかったからだ。 「じゃ、戻る、わざわざ悪かったね」 「いいよ、本当お前、無茶すんなよ」 別れ際、ナマエはそういってマルコの腫れた目蓋にキスをしてからバイクへと戻って行った。そういうところにきゅんときたりするのだが、ナマエは狙ってやっているのだろうか? そんなふうにナマエのことを考えながら会社に戻って、仕事を再開する前に食事をすることにした。ご丁寧に炊いたご飯まで入っている。マルコが頬を緩ませながらいただきますをして食事を口に運ぼうとしたとき、携帯が震えてすぐに止まった。ナマエからだろうか、とマルコは携帯を開く。──『帰り連絡して。迎えに行く。』という簡素なメールだった。けれどそれがとても自分を心配してくれているものだとわかって、迷惑をかけているのについ嬉しくなってしまった。 真っ直ぐにぼくをつかんで 現パロで社会人マルコと男主の話@楓さん リクエストありがとうございました! |