1度目のホドモエジム



今でこそ、掛け値無しに『強者』の位に相応のトレーナーであるギルであれども、当然ポッと出の訳も無く、敗戦も数度経験し、苦戦を強いられた数とて、新米にして駆け出しであった頃には少なくは無い。
そんな彼の初めてのジム挑戦は、10歳の時の事である。イッシュ地方シッポウシティ、シッポウジム。未だジムリーダーとして健在であるアロエ婦人の、若かりし頃にての、それだった。少年に来る栄誉、彼の成す偉業を瞳の奥に見出した1人の山男が託したとあるポケモンを主軸に、最終的な勝利を討ち取ったのは、ヤグルマの森にて出逢った赤い大猿である。3人のジムトレーナーとのバトルも含め、戦闘不能となったポケモンとその回数は、全戦を通して、リーダー・アロエとの決戦時にヨーギラス1体のみ。しかもそれは彼女のラスト・ワン、ミルホッグとの戦いの半ばに差し掛かる頃のカウントだ。少年は既に、頭角を現し始めていたのやもしれない。


バッジの獲得は、3つ目まではとても順調であった。シッポウシティジムにてベーシックバッジ、の後には、サンヨウシティジムにてトライバッジを。そして、次にはライモンシティジムのジムリーダー(カミツレの前代で、当時は中年の女性であった)に難も無く勝利を収め、ボルトバッジを得たのだ。この時ギルの所持していたポケモンは計3匹。ヘルガーにバオッキー、そしてヨーギラスから進化したばかりのサナギラスだった。




彼が初めて多少にも苦戦を強いられる事となったのは、ホドモエシティジムである。地面タイプをメインとしたそこへ、例の3体の構成で挑戦するというのがまず難しい話であったのは間違い無いし、ギル自身もそれは重々承知していた訳なのだが。やはり中々厳しくあった中で、最も粘り強く耐えてみせたのはサナギラス、そして最も活躍を見せたのはバオッキー、だった。


青水色をした岩のような蛹は、比較的高い守備力が持ち味である。短所と言うなら、割合鈍足であるところか。タイプ相性も含めてのそれらを考慮したギルの判断による、此所ぞという折の守る態勢を軸としたカウンター的戦法が、ホドモエジムでのサナギラスのバトルの基盤となっていた。受けても耐える事が可能だと踏めば、そのまま甘んじさせて。これは、という技が相手の口から指示された場合に完全なるガードに出る。そういう展開だ。
何度も瀕死になるまでダメージを受ける事になってしまっていたが、心より労いながらも、辛抱してくれるかと、申し訳無さげに苦笑する若い若い主。元来辛抱強い気質であったサナギラス、ギーグと名付けられたその雄の個体は、黙って頷き従うのだった。彼自身、無理に動くよりも構えて待ち受ける方が己に合っていると。実際、冷静が故に多少挙動がゆったりとしがちであったため、その事を踏まえると尚更というものであったのだ。そうしてそれは、後に、ギーグのバトルスタイルの根本となっていく。


ホドモエジムで見られる相手方のポケモンと言うと、ガマガル・モグリュー・メグロコ・ワルビルの4種である。この中において最も注意しなければならなかった、殊サナギラスにとっては最早天敵レベルにも等しい種族。それこそが、水色とクリーム色のブルリと震え膨れる蝦蟇――そう、ガマガルだった。
モグリューとメグロコ族は物理攻撃に寄っている上、サナギラスの併せ持つ岩・地面タイプに対して、致命的なダメージを与える事の出来る水か草のタイプ技はまず有してはいない。故にあの蛹であれば耐久は可能であったし、ホドモエジムも主体に据え置く地面タイプの技では相性による効果の減退は起こり得なかったから、攻撃の面でもそこまでの苦労は無かった(地震の発生は当時の程度のレベルでは通常扱う事は出来ないのだが、ギーグは元々それを覚えており、元来の野生の個体では無いらしいと窺えたのが、ヨーギラスを譲り受けた後で戦わせたギルの見解だった)のだ。


基本的に、ガマガルに対するはバオッキーであった。その赤い大猿は非常に身軽で、アクロバティックで、素早くある。相性の悪いタイプ技であろうが、結局は当たらなければどうという事は無い。サナギラスが構え待ち受けてのカウンターであるなら、バオッキーは回避に重きを置いたカウンターであった。濁流を起こすまでの力はまだ無い個体と辛うじて有る個体とに分かれており、後者であっても失敗は多かったため、最悪な脅威とはならずに済んでいて。超音波は元々命中率が低い。メインとして重点的に繰り出されたバブル光線にマッドショット、これらがバオッキーに当たる事はまず無かった。特に前者に関しては、回避は勿論なのだが、高火力の火炎放射は大きくあっても水ですら無い泡などものともしなかったから。
初めこそ要注意としていた相手がそこまでの脅威とはならない事が判明すると、こうなってきたならあとは最早トレーナーの腕に勝敗が掛かるようになる。その点においては、少年の天性とも言えようバトルセンスが存在を証明していた。


――さて。それでも。やはりはジムリーダーとして君臨する男である。ホドモエジムの頂点、ならぬ、最深部・最下層にて挑戦者を迎え受けた彼、ヤーコン。鉱山企業の社長でもあった恰幅の良い中年オヤジは、堂々たる佇まいと、鋭い目をしていた。酸いも甘いも経験してきたのだろう。厳しい苦を知り、そこから這い上がったのだと、此方が解ってしまうような、そんな威圧と重厚な。
彼と対峙した時、ギルは初めてその身を震わせた。それは、興奮と敬意、だ。そしてもう1つ、勝てぬやもしれない、という、淡々とした、計算によって弾き出された答えのようなもの。恐怖や不安では無かったのはこの少年であったが故だろうが。そうしてホドモエジムにて、最後のバトルが始まりを迎える。




威張り散らしてはいちゃもんを付けようとしてくる砂色の鰐。しかし、そんなワルビルに対したバオッキーは、中々の喧嘩好きながらひどく冷静な個体であった。面倒そうに耳を穿りさえした彼に、バトル中だというのに思わずギルは噴き出してしまう。それには流石にヤーコンも呆れたようにしながらも称賛の言葉を口にして、砂色の鰐は呆然とした程にも、珍しい事であったのだろう。




『お前のそのバオッキー、大層なタマァしてんじゃねぇか』

『はは、どうも。良かったなエース、誉められたぞ』

『ウキィー』




地均しの嫌な振動に顔を顰めつつも、多くは高く跳躍し宙に逃げてやり過ごした。惜しくも砂地獄の流砂に捕らわれてしまった折、好機とばかりに砂を泳いで向かってきたワルビルが噛み砕こうと大口を開けたその瞬間、エースが瓦割りで鰐の顎下から手刀を打ち据えて。
一瞬意識を飛ばしたワルビルに、相性では不利であれ、間近よりの火炎放射が追い打ちを掛けるのでは、守備力の低さもあってかひと堪りも無かったらしい。大きな火猿の口先で爆炎かの如く噴出した高温の赤。炎が、ザラリとした鱗を焼いて舐めた。肌を焦がすそれにワルビルは、哭く。




――初戦、ここにおいて、ギルは1つ違和感を覚えていた。否、というか、不思議な感覚を。砂色の鰐の地均し行動の際の、エースの跳躍による回避。これは何もこのバトルが初めての事では無い。ジムトレーナーが出してきたメグロコ・ワルビルが同様に技を繰り出してきた時にも、毎度毎度にそうするよう指示をして。そして先程のそれだ。今までのこの、地均しをされた時には宙に跳んで回避、の流れ。
指示を口にするよりも一瞬程速いタイミングにて、エースは跳躍の行動を取ってはいなかったろうか。ヤーコンが地均しだと叫び、ワルビルが脚を振り上げる。その僅か、ほんの僅か後の瞬間に、だ。あの大猿もまた、脚へと力を送って跳び上がりのスタンバイを行ってはいなかったろうか。


反復、というもの、そしてそれによる記憶、或いはパターン化。行き着く答えはこれだった。このために、此方がわざわざ指示を与えずとも対応してみせたのだと。また、それに因った、エース自身の判断。幾つかの要素が組み合わさった事で、アレは成立したのだろう。
しかもあの、ワルビルを下した時の流れだ。瓦割りも火炎放射も、どちらも間違い無くギルの指示した技で、その行動であった。そして繰り出すタイミングを計ったのも、少年で。――だが、しかし。実際には、些か間違いであって。




(指示した、には指示した。…でも、それにしちゃ余りにも、移行が速すぎた。つまりエースは、)




彼の脳内で、カチリと音がした。時計の針が何時かを指したかのような、ピースとピースが綺麗に組まれたかのような、歯車を動かすためのスイッチを入れたかのような。
青い灯火が、ゆらりと踊る。





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