青年の"やり方"



様々な人間が存在するように、様々なポケモンが存在するように。バトルのスタイルも、戦術・戦法も、どれだけ大きく纏めたところで1つや2つに留まりはしない。攻撃に重きを置くとしても、速攻であるか堅実であるか。防御型であれば、耐久に持ち込んで後に一気に畳み掛けるのか、常時カウンター狙いなのかとも分かれる。これこそ、トレーナーの采配によるポケモンバトルの醍醐味の1つだ。
そしてその点が、彼に対してよく物議を醸されるところなのであった。




トレーナーとしての実力――偏らない戦略と素早い判断。そういった的確な采配、それから、豊富な経験も要される。また、ポケモンへの深い理解やポケモンを敬い愛する事は、高みを目指す経過において大変重要な、むしろこれこそが最良解であると言えるやもしれない程には意味を持つだろう。心意気等に関しては、決して驕る勿れ、初心を忘れる勿れ。然れば行く道を阻むものを必ず越えて歩を進められよう、高みへ近付けよう――遠い過去に、誰かが言っていた事だ。
但し無論、それはトレーナーに関する話であって。ポケモンにはポケモンの重要項が在ろう、更にはその両者の間でのものも在ろう。幾つもの条件が十分に揃い、磨かれ、高められていく事でようやっと辿り着くのである。ただ無闇に足を動かし、手を伸ばしたとて得られないものは得られない。それが、高みに存在する何か。


一体何が彼、ギルという青年に対してよく物議を醸されるのかと言うと、その"やり方"であった。先に述べたものを十分に揃えて有し、磨いて高めてきた結果、或いは頂に達したのではと、そんな風にさえ一部の人間に囁かれもするようなトレーナー。各地方のリーグを制覇してきた実績・実力は非常に確かで。彼と彼のポケモンは、とても、強かった。それは明らかである。だがしかし、ギルの"やり方"を良く思わない、認めないと言う者達も多少存在したのもまた事実なのだ。そういう意見を声高にしたのは、決まって、中途半端に実力を持ったトレーナー連中だった。


彼はバトル中、余り指示を出さない。口を開く事と言うと、己のポケモンへの鼓舞や呼び掛けだ。そして何より、相手方の動きの流れと、位置の情報伝達。ギルがそういう"やり方"をする理由は何なのか。至極単純な話である――ポケモン自身の判断に任せる方が、ずっと効率的で合理的だから。彼は長年共にしてきた面々を心底信頼していた。そしてそれは逆にも言える事だ。
故に、主の方針に異を唱える訳も無い。彼らの戦場に身を投じる様は、まるで野生の姿にも近かった。


下衆の勘繰りで妙な噂を流された事も有れば、面と向かって糾弾された事も有る。いずれにおいてもギルはわらうばかりであったが。主張は自由だと彼は言うのだ。あとはそれを他者に認めてもらえるか、切り捨てられるかというだけの話だと。敗者が勝者を詰ったところで、弱者が強者を責めたところで、立場が覆らない限りは所詮戯れ言に等しいものでしか無い。彼は柔軟な人間であれども、動かせるだけの働きが無いのなら一切揺るがない男だった。それも1つ、その青年を高みに程近く足らしめた理由である。
――極めて高レベルな戦いを生み出す一端となる者達は、総じて指示の回数が少ないものだ。まるで初心かのような、洗練に洗練を重ねると自ずとそうなるのやもしれなかろう。彼はまさにそれを体現していた。




ギルと1度でも戦った者達、特にジムリーダーや四天王・チャンピオン等は、2度目以降、己らの元へとやって来るトレーナーを導き示すという役目を放棄してバトルに臨む。ただひたすらに、フィールド上にて対峙した。制約は何も無い。彼彼女らも、ポケモンを育て戦わせるただ1人のトレーナーとして、青年とのバトルに精魂を向けるのだ。そうで無ければどうして勝てようか、そもこの実力者相手に興奮しない訳が無いのだから。煮え滾る血で火照る体、震える指先、思考は冷静に、だが時として本能に従う事も辞さない。刻一刻と変わる戦況、戦局は何を切っ掛けに覆るか分からないもの。目を逸らしてはならないし、集中を欠いたら分かれ目である。耳を欹て肌で流れを感じる。熾烈なバトルはトレーナーを、人間を獣にした。


ギルの頭から戦い以外の何もかもが消え去る時、彼の暗い金の瞳には青い炎が静かに身を踊らせ出す。誰かが言うのだ。――青年は獣を越えた悪魔のように化す、と。
地獄の黒い犬が吼え、煉獄の火を撒き散らす時。彼は愉しげに、それは愉しげに笑うのである。





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