まさに非道、然れど外道なりや?



まさに怒涛の勢いってやつだな、とのギルの呟きは彼の心の中でのみ聞けた。その表現を水使いに対して用いる事になるとは。良くも悪くも、といったところである。――否、むしろ。




自身から取り付けた約束のために、少女はカフェ・オーブ=エ=ソワールへと訪れていた。ズミの料理で腹も心も満たされた今、やる気は十分に漲っている。カフェの店長であり余程の実力者と考えられる彼の青年に、自分の力とポケモン達の強さは果たして通じるのだろうか。勝てるだろうか、勝てないだろうか、少々興奮しながら通りを進んだ先に見えてきた水路。そこを曲がって行けばもうすぐ目的のカフェに着く。
いつ来ても大差は無いのだが、昼下がりは特に、流れている時間と漂う空気が穏やかだ。高揚していた気分が凪がれていくのを感じて、本当に此処は落ち着く場所だとほっと息をついた。勿論、あの人のところで得る感覚とは些か毛色が違うのだけれど。


2・3人ぽつりぽつりと居る客の邪魔をしないようにしながら、カウンターへ近付く。底が浅く平たくて大きな皿、主にパンケーキだとかパスタだとかを盛り付ける用の物だろうそれを拭いては重ね拭いては重ね。気付いてないのかな…?なんて思っていると、不意に少女へ視線が向いた。




「よう、来たな」

「はい、来ました」

「今終わるから少しだけ待っててくれ」

「はーい」




すぐ傍のカウンター席の椅子を引き、すとんと座る。やる事も無ければ、客を不躾にじろじろと見るなども出来る訳が無い。伏せて、ぺたりとカウンターテーブルに片頬を着けた。眠くなったらどうしたものか、これからバトルだというのに。小さくくあ、と欠伸1つ。ギルとお爺さんの会話をのんびりと聴きながら。
2人は冗談の応酬をしているのだと、解ってはいるが一瞬冷や汗である。浮気かいギル君、なんて面白そうに笑う老爺に、カフェの店主も笑って返していた。これくらいでそれになるなら、自分は店に来る客全員と浮気をしている事になる、と。




「レン」

「はーい。…あ、来たのか。こんにちはー」

「こんにちは」

「店番頼むな、行ってくる」

「あーい行ってらっしゃい」




顔を上げて2人の様子を窺う。そうするも、ゆるゆると視線を泳がせて逃がしたのは、ギルが恋人の銀髪をくしゃりと撫でた後で、頬にキスをしたからだ。此方では割と日常的な行為とは言え、そんな文化の無かった地方で生まれ育った少女には直視してはいられない光景だった。嫌な気分になるだとか、まさかそういう訳では無い。むしろ、人を置き換えて想像してみて――彼女は真っ赤になる。考えるんじゃ、なかった。




ギルの先導でやって来たのは、カフェに程近い、位置的に店の裏手の方に在るジョーヌ広場である。運のいい事に無人だ。完全なバトルフィールドとするには些か広さが足りないが、それでも十分なものだ。中央の小規模ながらも立派な噴水を見て、少女は小さくにやりと笑んだ。アレが在るのならわざわざ波乗りの技で水溜めにする必要も無い。ダメージが溜まったなら回復に飛び込めばいいのだから。
3対3のシングル、片方が戦闘不能になった際を除いた途中の入れ替えと、道具の使用は無し。それでいいかと青年が確認する。異論無しと頷いては、距離を取るのに少女は小走りして。


赤い光が3つ。各々バオッキー・ゲンガー・ゴーゴートの姿を完全に取ると、ギルは彼らに頼み事をした。此処に人が入ってこないか見張っといてくれ、と言う己の主人に、3匹一様に了解の意を示す。赤い火猿が指差し指示し、持ち場へと向かっていく各自。モコシでも齧ってエースは時間を過ごすのだろうし、ジグは1人遊びが得意だから苦でも何でも無かろうし、真面目なゲルトはきちんと仕事に臨むだろう。




ジョーヌ広場でバトルが始まった。各々の初手は、青年がウインディで少女がヌオーである。
相性は火を見るより明らかだ。タフそうだが、此方には水技も地面技も有る。ヌオーの決定的な弱点を突く事の出来る、確か習得可能だったろうソーラービームが高威力で脅威であれど、アレには溜めの時間が必要になるし、仮に天候変化をさせてきたとしても、雨乞いで返してしまえばいい。炎タイプに恩恵を齎すものと、水タイプに恩恵を齎すもの。2つは全く逆の効力を発揮する。恵みの雨による威力上昇が相性に上乗せされるし、タイプ一致の分だって忘れてはならない。技を当ててしまえばもう此方のものである。注意すべきは相手のスピードか。そうして彼女はほくそ笑んだ。


――なーんて事を考えてんだろうなどうせ、と、ギルは察する。あの少女が分かりやすいのも有るが、その考えは当然のものである。大抵の者がそこに至るだろう。あとはそれが上手くいくかという話だ。如何に油断せず、如何に想定し、如何に成功させるか。既に1つ目の時点で危うい気配である相手方に苦笑を通り越して呆れそうになる。


このバトルにジャッジは居ない。そして、ポケモンは1体ずつ場に出ている。戦いは始まっていた。どちらが先に動くか。そこから全ては流れ始めるのだ。




勝敗を左右したのは、個体の戦闘レベルと、トレーナー・ポケモン双方の経験量だった。倒れて目を回しているヌオーと呆然としている少女。決して、弱かった、という訳では無い。現にウインディもそれなりにダメージを負っている。深手、とまでは言わないが。ただ、差がついてしまった。それだけの事だ。




「ちっと油断しすぎたなお嬢ちゃん。ウインディとヌオーなら、なんて考えは持つべきじゃあなかった」

「…っ、はい、」

「さて。次、行こうか」




――軽く放たせた弾けるような炎を、向こうは水の波動にて相殺を図る。威力はほとんど五分五分。大量の蒸気が生まれていった。目眩ましにも有用な白い気体に、相手がそういう利用をしようと指示を出す。ギルのウインディ、グランは鼻をひくつかせて嗅ぎ分けに入っていて。
これが煙であったなら状況は良くなかったろうが、ただの無臭の蒸気である。何ら支障は無い。地面タイプ複合のヌオーにワイルドボルトや雷のキバは通じぬしと、己の主人が言い出しそうな事を考えた。幸いあの種族とのバトルは慣れている。まぁ、何とかなるだろう。対象を捕捉しながらグランは目を細めた。姿を眩ますには持ってこいの白。しかしそれはお互いに言える事である。そしてヌオーは、聴覚や視覚の感覚器官が決して優れた種族では無い。更に嗅覚は完全に此方の領分だ。あの青年の事だから、と、何数手も先を読み、終始自分のペースでバトルの流れを運ばせるのに長けた己のトレーナーを思っては、グランはとうとうその視界を閉じるのだった。


水が吐かれれば炎を吐いて。噴水の傍らに陣取り、蒸気が薄れるものならそこにも燃える熱を。まともなバトルフィールドであったならこうはいかなかったし、風が無い事にも大いに助けられた。邪魔な視覚は初めから機能のスイッチを切っている。相手方のトレーナーの指示はまごつき、完全に焦っているのがよく知れて。




高を括ってしまったトレーナーに勝つのは容易と言ってしまえば容易である。油断は死、即ち敗北を招く。これなら恐らくレンの方が、なんて。まぁトレーナーの事はさて措き、ヌオーについてのみ述べるとすれば、元気が有り余っている若さは時として仇ともなるものだ。恋人が控えに持つ同種族の個体は老成しており、実際歳も相当らしい翁である。故に彼女はそのヌオーをデイオウ――泥の翁と名付けた訳だが、彼は落ち着きすぎてしまった代わりに、どっしりとして冷静にも構えるバトルスタイルを得手にしたのだから。
種族として鈍足のポケモンは、余程の事が無い限りは、わざわざ動き回るべきでは無い。敢えて後手に回る。これが有利に働き、勝利を手にするというのは非常に多いものだ。ギルの手持ちにもそのやり方を主体にするポケモンが数体居る。どれも、優秀に事を成す者ばかりである。性格で向き不向きは有るが、重要な戦法の1つなのは確かだ。


これを口頭で教えてやるもまぁ良し、少女が己で知り解するも良し。とにかくそれは後回しにして。さぁ、次のバトルである。




シャワーズとトリミアンの攻防。イーブイの進化系の中でも特にタフなその種族は特殊攻撃の力にも優れていた。が、大量の毛皮に包まれた大型犬も大型犬で、それを受けきるだけのステータスを有している。耐久型寄りのトリミアンはスピードでも負けていない、と言うよりか、大分に勝っていて。
対ヌオーの時から薄々思っていた事だが、どうも少女のバトルスタイルというのは攻めに比重が傾いているらしかった。攻撃は最大の防御、とまで言ってしまうのかは知らないが。とにかくガンガンに攻めてくる。まさに怒涛の勢いってやつだな、とのギルの呟きは彼の心の中でのみ聞けた。その表現を水使いに対して用いる事になるとは。良くも悪くも、といったところである。――否、むしろ。




(厳しい事を言うなら…やや悪し、か)




特に、シャワーズに関して。やりようによっては優れた耐久型にもなり得る種族だ。そのポテンシャルを秘めているし、一部中々にハイステータスの能力値だって有る。アクアリングによる徐々の体力回復、環境さえ整っていれば溶ける事で防御も可能だし、毒の状態異常を与えたり、何より対耐久技の黒い霧は大いに価値有りである。現に今、非常に有用で、状況を引っ繰り返す大きな手になるものだ。使えばいいのに使わない。つまるところ、一切頭に無いか、それを知らないか、いずれにせよ――勿体無い。


幾つか攻防を繰り返してから、水の波動の後で冷凍ビームを使ったのはいい運び方だったが、残念な事にまたしても仇ともなった。相手は攻撃しかしてこないのが判っていれば、不意打ちを与えるのにタイミングを見極める必要は無く、少し図るだけで簡単に当てられる。凍り付いて多少重くなった毛皮でも十分に速力で上回り、不意打ちの頭突きがシャワーズの横腹にクリーンヒット。しかも頭部が幾らか氷で覆われていたため、大した程では無くも、所々の尖りが敏感な肌に更なるダメージを与えたのだ。
攻撃の手に容赦などしない。怯んだ相手へ一気に畳み掛けようと、トレーナーが指示を出さずとも自身で判断して至近距離からのバークアウトを食らわせる。そのトリミアンは真面目な性格をしていて、初めの内はそういった勝手な行動は起こす事が無かったのだが、己の主人と他の先輩手持ちポケモン達のやり方を間近で見続けてきて、最近では少しずつ変わってきているらしい。初めて完全なる自己判断の動きを入れたバトルの後で、ギルがいたく嬉しそうに彼を「やっと自分で動いたなアーヴィン。これからもどんどんその調子で頼むぞ」と誉めてからは、これでいいのかこれを主は望んでいるのかと。


負けん気が強かったのか、苦痛に顔を歪ませながら、それでもシャワーズが身を翻して尾を叩き付けようとしてきたのに対してはすぐさまコットンガード――これも無指示だ。ぶわりと膨れたファーコートに衝撃が吸収されてほとんどダメージは無い。一旦距離取れアーヴィン、そう言われて従う。
悪の波動で確実に怯ませろと指示が出された。果たして早々に成功するだろうか。耐性はつくものだ。つまり、渾身の一撃を与えろと。頭突きをすればいいのではなどと考えていると、ギルが笑った。




「頭突きしたら2度手間だぞアーヴィン君」

「…クア?」

「ってーか、アレ、試しにやってちゃんと成功すればいいが。練習では失敗ばっかだったよな」




まぁお前ならイケるだろうがよ、なんて。そこで彼の意を理解して、何とも無茶な事を言う主だとアーヴィンは小さく鳴く。信頼や信用を越えた先の最早確信の言である。応えねば、なるまい――否、応えたい。
グランが時折繰り出していたあの技、雷電を身に纏っての突進。先程の炎と水のぶつかり合いによって多少湿度が高い状態ではあるが、膨らませた毛皮の内はむしろ十分に乾いている。動いていたから静電気もいい具合に溜まっているはずだ。空気中には、湿気で電気が逃げやすかろう。威力は多少落ちたとしても、その分範囲が広まって、仮に掠るだけになってしまっても麻痺を与えるくらいは出来るやもしれない。動きが鈍ったならそれこそそこで頭突きを食らわせてやればいいのだから。


そうしてトリミアンは奮い立った。
広場の噴水の水は、ほとんどが消え失せている。噴き上がる新たなものを除いて。




トリは2人の各々の相棒同士によるバトルとなった。青年のヘルガー、少女のオーダイル。初めの内とは全く異なった険しい顔付きの相手にギルが薄らと笑い掛ける。彼女は、固い表情のままである。


黒い地獄の犬が口から吐くのは黒い炎で。高温とは言えないそれは、代わりに執拗に燃え残る。じわりじわりと嬲るように。ジョーヌ広場のあちこちに煉獄の黒い焔が存在していた。それは水色の大鰐に火傷を負わせて苦しませ、吐き出した者に力を与え続けている。黒い炎の中に悠然と立ち構える地獄の犬の、その緋色の瞳のギラギラとした光。獰猛に愉快げに、嘲笑って弄んでいるかのような。
少女には、青年の目も、何処かそれと類似している事に気付く余裕がもう無かった。接近戦に持ち込んでアクアテールを当てたい。だけども黒い焔がそれを許してはくれなかった。高速移動をするだけの安全な足場も少なすぎるし、水を吐いたら初戦の二の舞になるのでは無いか、その懸念が頭に粘り付く。ヘルガーもまた、嗅覚に優れたポケモンだ。そしてオーダイルのそれは著しい劣りの部分となっているのである。同じ状況になっては確実に、負ける。地震を繰り出そうにも、手・腕だけでは無く足や尾にも火傷を負っていた。そこまでの力は最早残っていない。


圧倒的不利の現状において、少女が泣かずにいたのはトレーナーとしての矜持か、相棒の存在か、或いはもっと別の何かか。




「俺はどうも、レン曰く意地悪で性悪だって事だから。…相棒、ポイズントラップといこうか。炎は消すなよ?――ヘドロ爆弾」

「バウルッガァア!」




美しい顔の青年が、にこりと笑う。その指示は、チープな言い方をすれば、えげつない。
ひどく愉しそうに吠えた地獄の黒い犬が、ぷくりと頬を膨らませ、自身の体内で生成される毒素を凝圧縮した塊を吐き出し、撒き散らし始めた。




***


捏造も多いですが、公式設定や現実での生態・現象諸々に基づいての増捏造を心掛けてはいます。ワニの嗅覚のことだとか、静電気と放電だとか、炎の色と温度だとか、ヘルガーの図鑑説明関連だとか。ポケモンはそういうところの想像も楽しい。





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