少年が後の先鋒に出逢う話



幼かった男児が、そろそろ少年と呼べるような歳にまで年月が過ぎた頃――ギルは7歳。彼の唯一の手持ちであり相棒である雄のデルビル、ルーサーは、ヒウンシティのトレーナーズスクールに通う子供達のポケモンの平均的な戦闘レベルから群を抜く程に強くなっていた時の事である。何故そこまでになっていたのかと言えば、少年の父親ウィルのパートナーであるムーランドと"遊びに遊んでいた"ためなのだが。


その日、ギルとルーサーはヤグルマの森へと訪れていた。トレーナーと片っ端からバトルをするだとか、強そうなポケモンを捕まえるだとか、一切そういう気が無いと言うのは出来なけれど、単なる散策が第一の目的でありそれ以外はついでの事である。
ただ通り抜けたいだけの人間には非常にありがたい、道幅が広く舗装もされている大きな1本道から、早々に脇へと逸れて藪を掻き分け奥へと進んでいく1人と1匹。迷うかもしれないというのは全く考えていなかった。自信が有った、訳では無い。単なる勘だ。それに、もし万が一の事になったならその時に打開策を見付ければいいのである。少年は歳の割に妙に大人びていたが、もっと何かと言うと気負いが無く、更に突き詰めてしまうなら、何処か達観したようなところが有ったのだ。要は『なるようになる』という気楽さが大きかった訳であった。そしてやんちゃなデルビル。1人と1匹は進む、ずんずん進む。




フシデ、クルミル、チュリネ、モンメン、マメパト――野生の個体を見るのは初めてだ。しかしポケモン達は黒い犬を認識すると、そそくさと背を向けて逃げていってしまう。小鳩以外は本能で相性が悪いと察知してでもいるのだろうか。無闇やたらにバトルをするつもりは無いが、ここまで一様にされては苦笑いしか出ない。ルーサーはつまらなさそうに鼻をスンスンと鳴らしていた。




「…帰りがけにでもトレーナーとやってくか」

「バウ!」




そう声を掛ければ途端に嬉しそうに1つ声を上げるので、単純な奴、なんて、まぁ口にはしなけれど。恐らくはもう少しで進化を果たすはずであるし、ヘルガーにしてから帰宅するのもいいかもしれない。そうなったら、またバトルを何度も重ねなければ。隣を行く己の相棒を見て、ギルは目を細める。進化して身体が大きくなるという事は、単にステータスが底上げされるというだけでは無い。メリットが有るならデメリットも生まれるものだ。デルビルである今とはまた違った動きが必要になるやもしれないし、様々な変化部分をよく把握しておかねばならないのである。




踏み入ったそこは幾らか開けており、頭上から日射しも差し込んでいた。柔らかな草の絨毯と青々しい匂い。暖かで落ち着く場所だった。中央には、周囲のものよりも一回り二回り程大きくて太い樹木。洞がぽかりと空いているが、中を窺う事は難しい高さに在る。
そういえば空腹だと唐突に感じて、ルーサーへ呼び掛け樹の根元に腰を下ろし胡坐を掻いた。メッセンジャーバッグの中から昼食を取り出すと、黒いバンダナの包みを開いていく――中身はBLTサンドだ。勿論これはギル用のであるが。ルーサーには蒸し鶏の腿肉の塊が幾つかタッパーに詰められていた。一緒に入れられていたメモを読み、瓶詰めにされているマトマの実のフレークを、淡く桃白の肉の上にたっぷりと。




「流石母さん、抜かり無いな」

「デールッ…!」




鶏肉が大好きで、大の辛党であるルーサーにこの組み合わせは文字通り垂涎ものだろう。だらだらと涎を垂らし始める彼に笑いながら、ギルが戴きますと言う。これはウォルター家の習慣である。此方ではまず耳にしない、食事の前の礼儀作法。ジョウト贔屓の両親による教育だった。命をありがたく頂戴する。故に、『戴きます』と。ルーサーもしっかりと鳴き声を上げてから、好物を胃に収めに掛かった。


腹が満たされて、さぁどうしようか。緑茶(此所にもジョウト贔屓の要素である)の入ったペットボトルを除いて、出した物を1つ残らずバッグへと戻し仕舞い込んで後、ギルは一息吐きながら樹に背中を凭れさせる。そうして、ふ、と顔を上に向ける――かちりと交わった、視線。




「、うお、」

「ワフ?…デルルッ?!」

「ウキィー」

「…あーっと。俺ら此処に居たらまずい感じ?」

「バオ?…ウッキィ、バオッキィー」

「そうか。じゃあ、もうちっと休ませてくれ」




洞の縁だろう、そこへと肘を置き、片頬杖を着いたポケモンが此方を見下ろしていたのである。あれは確か、そう、バオッキー。此処ヤグルマの森で目撃情報の有るバオップという種族の進化系であったはずだ。洞を寝床にでもしているのだろうか。悠々自適なのだろうし、実に羨ましいものである。
首を横に振ったバオッキーに頷き返す。邪魔をするつもりは無いが、食後の一休みだけさせてほしい。視線を森の木々に戻し遣って、蓋を開けたペットボトルの縁に唇を宛てがった。穏やかな風が彼らを、その場所を、大樹の葉を撫でていく。


とす、と柔らかな音が左から。そちらを見れば、バオッキーがギルの隣に腰を下ろす途中で。片手には青い木の実を2つ持っていた。胡坐を掻きすっかり身を落ち着けると、少年の視線など気にも留めずそれをガジガジと齧り始める。




「…それ、カゴの実だよな。渋いの好きなのか?」

「ッキィ」

「へぇ」

「バオ?」

「気持ちだけ貰っとく。俺渋いのそこまで好きでもねぇし、そもそもそれお前の飯だろ?」

「ウキィー。…バオッキィ?」

「デルル」




バオッキーも判っていたのだろう。苦笑しつつ首を横に振ったギルに、だろうな、とでも言うかのように笑って。ルーサーにも訊ねるが、満腹でご満悦らしい彼もやはり要らないと答える。そして先程から目をしょぼつかせていたその黒い犬は、交差させた腕を枕に居眠りを始めるのだった。此処は暖かい。確かに、ぼんやりとしてきてしまう。
少年の意識も次第に落ちていったのを、赤い火猿は横目に認めていた。日が落ち始める前には起こして、それから森の、人間の手が加えられた灰色の広い道に程近い辺りまで送っていってやらねば。そんな事を考えながら、カゴの実の渋みを舌先で味わう。




数日後、ギルは再びヤグルマの森へと踏み入っていた。隣を行くのはデルビル、では無く、ヘルガーである。より頼もしい姿となった相棒はフンフンと匂いを辿る事に集中している。今回の目的は、散策でも捕獲でも戦闘でも無い。余り手間取らずに見付かればいいのだが。
辺りを見回していると、ビンゴ!といった顔でギルを見たルーサーに、よし、と頷き彼は足を踏み出した。目指すはあの、大樹の元である。


声を掛ければ返事が有った。下りてきてくれないかと言うと、洞からひょっこりと顔を出したバオッキーが、少年の前へ身軽に着地を決める。




「これ、モコシっつって、めちゃくちゃ渋いやつ」

「ウキ!ッキィー?」

「こないだの礼。…求めてる渋みじゃなかったらごめんな」

「バオッキィー」

「今日はこれが目的だったからもう帰るけど、また遊びに来るよ。次はルーサーとバトルしてくれねぇか?」

「ウッキィ」

「ん。じゃあなバオッキー」

「ワフ!」

「バオ」




ギルが笑って片手を上げ、ルーサーが吠えた。実にあっさりとしているものだ。僅かに拍子抜けながら、応じてバオッキーも軽く手を上げた。本当にそれだけで、奇妙な縁が出来た1人の人間と1匹のポケモンは来た道を戻っていく。後ろ姿を眺めたまま、手元はガサガサと紙袋の封を開けて。
1つ取り出したモコシという木の実。普段口にするカゴよりも濃い藍色の、小さな粒の集合体を一口齧ってみると、瞬間きつい渋みに思わず目を見開いた。濃厚である。大変、美味しい。これではもうカゴ程度の渋みには戻れないだろう。一体どうしてくれる、あの人間。





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