士郎
大火災にて終結した第4次聖杯戦争。冬木一市を凄惨と悲惨の地獄絵図に変えた争いの後に、衛宮切嗣とスカアハは衛宮邸を建造しそこへと居住を始めた。彼と彼女と、もう2人を伴って。誰が誰とも一切の血の繋がりを持たない、家族。更には、スカアハは本来人間では無い英霊という身の上であるし、その召喚者、第4次聖杯戦争にてマスターであった少女――中谷和実と、同じ立場に在った切嗣は元々敵対の間柄であった、にも拘らず。そして残る1人はと言えば、大火災の最中から助け出した名も知らぬ幼い男児で。
彼は衛宮士郎と名付けられた。男児の成長を母代わりに見守りたすけたのはスカアハ。和実は姉代わりとして、士郎に多くの世界を見せた。彼は当然2人を慕い、そうして、一家の大黒柱であった切嗣の悲しい理想を受け継いだのだ。男の零した言葉を丁寧に、しかしあっけらかんと拾い、笑って言った事。魔術で以て存在を希薄にさせ障子の陰にて佇んでいた和実はそれを耳にして、嗚呼また変わらなかったと、歯を食い縛り目をきつく閉じたのだった。
衛宮邸が完成した際、広い敷地の中の庭の隅に植樹されたイチイの木。スカアハが切嗣に頼んで、アイルランドの霊森から具合の良いものを取り寄せたのだ。その樹は彼女の楔。受肉したとは言え、現世に身を留めておくには繋ぐ何かが必要である。イチイはケルトや北欧における聖なる樹木の1種、そしてまた、冥界に通じるともされている。スカアハにとって非常に重要な、ひどく親近の存在であったから、楔とするにこれ以上のものは無かったのだった。
そのイチイの枝や葉を持っていれば行動範囲が広がって。商店街の辺りまでの距離圏内であったなら、長時間でも出ていられるのだから、やはり繋ぎに最適であったという事だ。スカアハは毎日必ず1度は様子を見に行き、幹へ手を触れさせ、語り掛けた。イチイもそれに応え、1人と1本を取り巻く大気には魔力と霊力、聖なる気が満ちる。穏やかで、温かな、そしてひやりとした清らかさ。
『それ、何て言う木なんだ?』
『これはイチイだよ、士郎』
『イチイ』
『私にとってとても大切な、愛しい愛しい樹木さ』
『士郎士郎、此処ら辺めっちゃこう、気持ちいいっしょ。判る?』
『ん。判る』
『レン姐とイチイさんが仲良しだからなんだぜー!』
『へぇ。…でも何で、イチイ"さん"?』
『いっやー敬意を表しまして』
『ふーん。…じゃあ俺もこれからはこの木の事イチイさんて呼ぶよ。だって母さん、じゃなかった、レン姐にとって大切なものなんだったら、俺にとっても大切なものだし』
『…ふふ、ありがとう。この木も喜んでいるよ』
『てか士郎いい加減諦めたら?別に母さんでいいじゃんか』
『良くない。あのな和実姐、俺もう中学生。流石に恥ずかしいって、いや自慢だけどさ、こんな若くて綺麗な人を母さんとかさ…』
『出ーたーよーこのタラシ!キャッこれだから士郎きゅんはもぉ!近親?やだ近親系?姐ちゃんそれは許さないゾっ』
『レン姐俺買い物行ってくるから』
『気を付けて行ってくるんだよ』
『分かってるって』
『おいコラ士郎あたしを無視すんなブロークンハートじゃんかおい』