クー



――それは彼らにとっての終わりであり始まりだった。




矛先の無い怒り。そして、苦々しさである。不機嫌そのものだった仏頂面の理由を訊ねた女に、男は唸りながら言葉を絞り出していた。ぽつり、ぽつり。訥々と。彼は多くを語ろうとはしなかったし、彼女もしつこく追い及ぼうとはしなかった。クーは何か、苦しんでいる。しかしそれでもあの人を求めていたから、恋しがっていたから。早く時間よ来いとばかりに、何処か落ち着かず、纏う空気はささくれ立っていた。舌打ちの数も多い。
…わりぃもう行く、と、それだけ零して立ち上がる男に、思わず失笑して。和実は遠ざかる背へ、行ってらっしゃいと叫んで投げ掛けた。きつく握り締められた左の拳が次に開かれた時、あれは少しだけ乱暴に、そして優しくあの人の手を包むのだろう。




氷帝学園中等部の校内は、その日の最後の授業とSHRが終了した数分後を境に、放課後の賑やかさを騒がしさへとグレードアップさせていた。一体何だろうかと頭の片隅で考えながらも、1つ心当たりの有ったレンは淡々と帰り支度を進める。もしかともすれば、今日は家には帰れぬやもしれない。一応先に断りを入れておくかとスマートフォンを手にして。教室内からちらほらと聴こえてくるこの騒ぎの内容の端々に苦笑しながら、はぁいなぁにレンちゃん、と応対した母親へ携帯端末越しに話し掛けた。
どうやら帰宅が出来ないのは確定事項となりそうである。朝の内に彼女が今日の夕飯だと言っていたメニューの、そのメインはナポリタンだ。あの人の作るそれはとても美味しくて、あれを逃す事になるのかと少々残念に思う。


教室に居たほぼ全員から別れの挨拶を受けて返しつつ、そこを出て廊下を行き、階段を下りては昇降口へと足を進めて。初めは違和感ばかりだったローファーも、今では履き慣れて愛着すら湧いている物の1つだ。鈍く光る黒に爪先を通すのも、1年のあと3分の1程か。度量の広い両親に負担を掛けない事を優先するのなら外部進学で公立校へ進むのがいいのだが、自分を慕ってくれている者達はこれを言うといい顔をしない。秤に掛けてどちらを取るべきか、正直なところ少し迷っていた。それ程に此の世で、そんなにも気に掛ける相手が出来ていたという事だ。
――尤も、彼らに再会してしまった今では、優先順位もごっそりと入れ替えが起きてしまった訳なのだが。


校門へ、距離が着々と近付いていく。これから帰宅の途に着く、のでは無いだろう手ぶらの女子生徒が多い。ただ見に来ているだけの者、携帯端末を掲げてカメラのレンズ部分を向ける者。あの青は確かに目立つし、何よりその精悍な顔が、女の視線を引き付ける事はよく知っている。――さぁ、男の紅い目が此方を向いた。射抜くように、熱く、強く。


レンに気付くなり、元々顔付きの何故か険しくあったところへ更に眉を顰めて。校門の柱に寄り掛かけていた身を起こし、クーは彼女の目の前へと大股に歩み寄った。むっすりと不機嫌さを隠す事無く丸出しにしている彼に、少女は小首を傾げた後で僅か不思議そうに瞬きを1つ。がっちりとした体躯と中々の上背を持った青年が、まるで反対の見て呉れの女子中学生を見下ろす図は大分に異様だ。しかも、男は睨み付けるようにしていて。
先程からざわつきを増している周囲を大して気には留めていなけれど、そんな様子のクーが動きを見せる気配も無いので、名を呼び掛けつつ、彼の顔を更に寄って覗き込みながら、レンはそっと、きつく握り締められている左の拳へ触れる。すると徐に開いたそれに、指先を絡めて手を捕らえられた。




「どうしたクー。私はお前の城へ連れていかれるのでは無いのか?」

「…」

「どうせこんな事だろうと思って、下りてくる前に母にはきちんと断りを入れておいたよ。…不要だったかな。今日の夕飯はナポリタンだから、帰ってそれを食べる事が出来るのは、それはそれで嬉しいのだけどね。…、クー、手が痛い。今の私はか弱い子供なんだ、手加減をしてもらわないと」

「………」




顔を歪めて困ったように言う少女。変わらない姿だが、但し幾ばくか幼い。クーはひっそりと奥歯を噛み締める。1度きつく目を閉じてから、彼女の手を引き校門を後にした。どうもどろりどろりと波打つ腹の底に耐えながら。堪えろ、堪えろ、誰も居なくなるその場所に帰るまで。




そうして男は己の城にて、今世において恋い焦がれ求め続けていた者をきつく、きつく、抱き締めていた。何をも考えずに、何をも忘れて。師であった少女を腕の中に完全に閉じ込め、温もりを感じ、存在を確かめる。隔たりが邪魔で毟り取るように肌蹴させた首元に額を押し当てて、視覚を遮断し、触れ合う肌に伝わってくる熱。笑い混じりの息を吐いただけで好きにさせるままの少女は、男の頭を緩く抱き、襟足を弄ぶように、或いは宥めるようにして、青を指に絡めては梳き、絡めては梳きを繰り返していた。


――頭が鈍い痛みを訴えている、鳩尾の下を何かが蠢いている。嗚呼、嗚呼、この怒りと苦みを一体何処へ逃がせばいいというのか。正体の掴めぬものが男の中に在った。慟哭の衝動。少女が、微笑う。全てを見透かしたように、あやすように。




「此処には私とお前だけなのだから。遠慮など要らなかろう――さぁ泣いておしまい、愛しいお前」




穏やかな声が柔らかく囁くから。荒く短い息を吐き、男は更に、少女を抱き込んだ。彼女の肌を熱が伝い、滑り落ちていく。


我が最愛の師よ。――逢いたかった。





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