クー・夫



鍛練に付き合ってもらおうと己の師を探していたところだった。王宮をあちこち見て回っても目当ての姿は見付からない。ったくあいつ何処だよ、とクーが眉を顰めたその時、ちらりと濃く深い藍色が視界の端に映って。やっと見付けた事への安堵と無駄な時間を食ってしまった事への不満を携え、文句の1つ2つでも言ってやろうと考えながらそちらに足を向ける。
余り此方までは来ないのだが、王宮の奥の離れ。その中庭に師は、居た。――但し、そこに彼女の夫を伴って。


静謐。まさにそれであった。思わず足が止まる。静かで、落ち着いていて、穏やかで。場所が、というだけでは無い。流れる時間を含めた空間そのものがだ。そこは静謐と、そして魔力に満ちていた。




(………、)




こんな場所が在ったとは、と、彼は無意識に息を詰める。居心地の良さがどれだけのものであるかなど明らかだ。それから、其処がどんなにか特別な空間なのか、も。果たして自分が立ち入って良い場所なのだろうか。正直なところ、気後れする。
――しかも、スカアハは夫に膝枕をされていた。あそこには穏やかな、夫婦間の時間と慈愛が満ちているような気がして。事実そうなのだろう。此方と彼方でそれなりに離れてはいるが、目のいいクーには、男が柔らかな表情で、慈しみを持った眼差しで己の妻を眺めながら、優しい手付きでその銀糸をゆるりゆるりと弄んでいるのが見えた。どうやらスカアハは寝ているらしい。


中庭は少しだけ暗くて。だけども彼女と彼が身を置く石造りの腰掛けの辺りには、上から淡く陽光が差し込みほんのりと明るくなっている。2人の傍らには数匹のケット・シーも居た。丸まっていたり、伸びきっていたり、思い思いに休んでいて。
静謐、魔力、慈愛。それらの溶け合ったその1枚の画は、ひどく美しく、とても温かかった。




1つ瞬きをし、更に目を細めた後でクーは踵を返そうと視線を外す――そこに、遠くより声が掛かる。
ほんの少しばかり慌てて振り返ると、スカアハの夫が微笑いながら、こっちに来たらどうだ、と。静かに届くその言葉に目を丸くして一瞬逡巡、小さく躊躇いの表情を浮かべながら、それでもクーはその誘いに乗る事にした。いいと、言うのなら。




「鍛練するのにこいつを探してたんだろう」

「あぁ。…いや、でも、また後でいいわ」

「俺もそうしてもらえると嬉しい」




こいつ今魔力補給中だから、と、また柔らかな目でスカアハを見遣り、頬を指先でするりと撫でる。彼女は起きる様子が無い。それだけ深く眠り込んでいるのか。珍しくぼんやりとスカアハを見る、息子のような、弟分のようなクーに男は笑う。その面白がる笑みに気付いて、まだまだ若い青年は口をへの字に曲げ、眉間に皺を寄せた。




「お前も少し此処で、身と心を休めていったらいい」

「…いいのかよ」

「気後れする必要はねぇさ。別に立ち入りを制限してる訳でも無いしな、いつでも好きな時に来て好きなだけ居て構わんよ」

「…おう」

「強い向上心は感心に値するが、休息もきちんと取るこった。…というか、俺にこいつに構う時間をくれ。お前が来てからめっきり減って俺が寂しい。レン不足も困ったもんでな、さっきこいつが魔力補給中だなんて言ったが、正直俺がこいつを補給してるとこだ」




くつくつと笑うスカアハの夫に、少々罰の悪い思いで後ろ髪を掻きながら目を泳がせる。そんなクーに彼は更に喉を震わせて。…わりぃ、なんて普段とはかけ離れた張りの無い声が空間へ溶け込んでいく。


――それであっても、自分に向くのは慈しみの眼差しだ。多少、妻に遣るものとは甘さが違っているが。どうにもむず痒くなった。嗚呼、何にしたってこの男には敵うまい。
彼の足元、スカアハが体を横たえるその傍らへ。腰掛けと彼女を背凭れ代わりにするように、クーは柔らかな草の上へと静かに座った。





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