きみよさようなら



「…あ、来た来た」

「――、ッ、お前、…!」

「やは。おひさぁしゅーいちぐァっ」




ふやり、と気抜けたような挨拶を小走りに払い除け、男は少女を抱き締めた。細い二の腕を掴んでほとんど乱暴に手繰り寄せ、きつく、きつく、彼は彼女を抱き締めた。幾年かの空白を全て消して埋め直すために、ぽっかりと虚ろいでいたそこを満たし直すために。ずっとずっと欲していたものを、もう決して、手放す事など無いように。…赤井秀一は、レン・スキアートを抱き締めた。
その顔は苦渋と渇望と、深い恋慕に歪んでいた。


苦しい息の中、レンは小さく苦笑する。やはり、こうなるか。予想は容易で、実際の結果は当然かのようである。耳を擽る真横の、少しばかり荒い息遣い。痛い程の抱擁。彼の体は小さく小さく震えている。何度も何度も、確かめるように、右手が背中や、首の裏、後頭部を行き交っている。身動ぎ1つさえ許してはもらえないようだ。それくらいにこの人は、自分を恋しがっていて、欲していて、寂しがっていて、怒っていた。




「…ごめんねしゅーいち、寂しかったね?…恋しかったね?…会いたかったね?」




しばらくは何も返してはくれぬだろうからと、返事を待たずに、宥めるように言葉を与える。どうにかこうにか救い出した身動きの余地で、大きく逞しい背中の内手の届く範囲を、ゆっくりとゆっくりと両手で撫でて往復させながら、優しく、優しく。


柔らかで、空気をたっぷりと含ませも出来る、かと思えばするりと重力に従いもする、そんな細い銀糸の束へと鼻を埋めていた男が、ようやくと声を絞り出す。




「………お前は、」

「うん」

「………どれだけ、俺を砂漠に放り込めば…その気が済むんだ…」




はぁ…、と、長く、深い溜め息。
胸が苦しい。何かに握り潰されてしまうのかと思ってしまった程だ。声を荒げるはずが、あまりの詰まり具合で以て、随分と弱々しい様子になってしまった。低く低く、赤井が呻く。他の誰にも見せてはならない、他の誰にも明かせない。そんな、参りきった脆い姿。惨めな姿。存在が、小さくなった姿。重い吐息を喉の下から逃しながら馬鹿野郎と囁くように呟いた男が、少女に縋り付いていた。




「あー…、うん。ごめんね。偉いねしゅーいち君、よく今まで我慢出来ました」

「褒めればいいと思ってるのか馬鹿野郎」

「いやいやいやまさかまさか。ちゃんとご褒美あげるから」




彼がひたすら独り歩き続けたのは、広大で静寂に満ちた砂漠であった。オアシスの無い、砂だけの世界だった。カラカラに渇いた喉を潤す事も出来ず、飢えを凌ぐ事も出来ず、ただただ彷徨うしか無い場所であった。――求めに求めていた水を、己を瑞々しく甦らせてくれるそれを。手に入れてしまえばもう、必死に不乱に手の中へ閉じ込めるのは、それは当然で、仕方の無い事なのだった。




「さ、ほらほら。取り敢えず色々と説明する事も有る訳だから。…どうせヴィクター、あのおっさん、きっと何も詳しい事説明してないでしょ」

「……………」

「………。駄々っ子!」

「五月蝿い、一体誰のせいだ馬鹿野郎」

「あまた馬鹿って言った!んもおおおじゃあいいよこのままでーっその代わりちゃんと聞いててよね?!」

「解ってる。…大きな声を出すな」

「ちょっぴり元気出てきたかなって思ったらすぐまたそうやって…」




ぶつくさとレンが口を尖らせる。彼女が言った通り、少しだけ余裕を取り戻せたらしい赤井が、未だ弱さを滲ませつつも、それでいてひどく緩んだ表情にうっすらと笑みを伴わせていた。少女の首筋に甘えたように鼻先を滑らせ、擦り寄る。或いは、時折唇で食んでいる。
擽ったいと身を捩らせながら、レンは抜け出させた両腕を、赤井が彼女へ抱き着いているおかげで多少は下がってこそいれど、それでも尚自分よりも高いところに位置する彼の首へと回させた。ニット帽から覗く襟足をやわやわと弄ぶ。…変わらないものである。指先で感じる髪質は、記憶の中の感覚にぴったりと合っていた。匂いだってそうだ。何とも言い難い、愛しい匂い。




「変わってないねぇしゅーいち。匂いも手触りも、…貴方のその、綺麗な美しい魂も」

「………あれだけお前に厳しくされて、それでも?」

「そう、それでも。…変わってないよ、何1つ。熱いけれど温かい、柔らかい眩しさだ。貴方の魂は、何1つ変わらずに、純粋なままだ」

「…そうか」




――ならば、予約のキャンセルについての心配は一切無用、のようだな。
嬉しそうに、またひどく安堵したという声音で、赤井が呟く。彼の魂が、優しく瞬く。その様子にレンは口元を綻ばせた。バカだねぇ、なんて、心中ひっそりと笑う。




(とっくの前に、魂だけの天秤じゃあなくなってるんだけど、ね)





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