1番に



暑い暑い夏である。照り付ける日射しはひた熱く、アスファルトを熱し、空気に熱帯びさせる。そう、これぞまさしく夏なのである。


名門とも言える程のスポーツ強豪私立高校というだけあり、ほぼ全ての教室(ひいてはその寮や部室にまでも)にはエアコンが完備されている。故に決して暑さ寒さへ対し不便が有る訳ではない。…ないのだが、それでも教室から、或いは廊下から更に外、屋外に1歩でも出ようものならば、日本の夏が青少年少女達へと容赦無く平等に襲い掛かるのだ。彼彼女らの肌を、頭を、ジリジリと焦がして焼くのである。
そしてその熱に強い者も居れば、弱い者も居て。1人1人が各々の反応を示す訳なのだが。




「あづい」
「やめて」

「…あ…づ…い…」
「や・め・て」

「あああああづううううういいいいいいい」
「だからやめてっつってんでしょバカ奈々子!!!!」
「あべしっ!!」




ベシィ!と鈍い音が廊下に響き渡る。その様子を横目にして小さく笑う1人に対し、頭を片手で抑えながら呻く1人と、プリプリとしたまま自販機に向き直る1人。ガコン、と、今度は些かハッキリとした音。3人の中で最も背の高い女子が、屈んで商品を取り出し、立ち上がる。その動作に合わせ、短すぎず長すぎないスカートの裾がひらりひらりと揺れた。
わっ私の大事な大事な脳細胞ちゃん達がぁっ…!などと大袈裟に、だが至って本人は真面目な様子で嘆いた″奈々子"を見て、彼女は再び口を開いた。それも、ひどく冷めた目付きを向けながら。




「アンタから幾らか脳細胞が失われたところで大した被害出ないんだからいいでしょ別に」

「いやいやいや?!なぁにを言いなさる晴さんよ?!失われた脳細胞の中に重要な脳細胞個体が含まれてたら大損害ですよぉ?!」

「し・り・ま・っせーん」

「チッ万年ギリ赤点奴ァこれだからよぉ!!脳細胞1個1個の重要性軽視しやがってよぉ!!」

「んんああああ?!うっさいわこの万年運痴が!!頭でっかちが!!」




――暑さでかなり、やられているらしい。各々買った飲み物が粒の大きい汗を掻き始めたのも一切関知せず握り締め、普段以上に荒々しい怒鳴り合いへと発展しかけている。その傍らで、表情こそほとんど変わらないが、やれやれといった視線を友人2人に送りつつ溜め息を吐いた。…このまま放って戻ろう。漣はそう結論を出すのだった。


教室のドアを開けた既にその時点から、随分と酷い顔をして暑いと一言洩らした以降、角を曲がっては暑い、階段を下りきっては暑い、…と事有る毎に唸って呟いていたような奈々子の肩ばかりを持つ訳ではなくとも、暑いのは自分だって御免なのだ。手に入れる物は手に入れたのだし、阿呆な痴話喧嘩に付き合って長居するだけ無駄というものである。巻き込まれでもしたら更にめんどくさい。
そうして敢えて、教室に戻ってからやればいいなどとも言う事無く、そのまま無言を保ち、彼女は1人踵を返すのであった。




この箱根学園を囲むのは、コンクリートビルでも住宅でもない、鬱蒼とした山の持つ溢れんばかりの自然達だ。アブラゼミやミンミンゼミが喧しく騒ぎ立てる中を、運動部からの掛け声や怒号が駆け抜け、吹奏楽部のファンファーレやマーチが舞い踊り、合唱部の斉唱や輪唱が通り行く。学校、という場所の、夏の風物詩でもあろう。そこへ混ざろうとは思いこそしなけれど、それらを耳にするのは決して不快には繋がらない。
目を閉じれば瞼の裏に浮かぶのは彼彼女らが精を出す情景で、口元に浮かぶのは薄らとした微笑みだ。この茹だる暑さは嫌いだしとても苦手だけれど、夏、という季節自体は、結構、それなりに好ましい。


夏の風物詩とするなら、また或いは、その独特の匂いだ。春の日の匂い、秋の日の匂い、冬の日の匂い、それらのどれとも、何と無く違う。湿気と、熱と、濃い青葉と、焼ける地面と、人の仄かな汗と、冷房からの風と――様々に混じり合う、夏の日の匂いだ。これは好ましいか否かというよりも、ひたすら面白い。




――トン、と。そこで背中に熱が当たる。




「…やす君。奇遇だね」

「ぬァー、ンッだよ気付いてたノネ」

「あはは、そりゃあ立って寝てた訳じゃないからねぇ。途中から足音がこっそりこっそりした感じになってたのもちゃあんと気付いてたよ」

「あっそォ…」




それに加えて1番好きな、1番安心する匂いがしてきたのだから、まさか分からない訳が無いと漣は小さく笑う。するとより一層強く、背中の熱が存在を主張し、しなやかな筋肉付きの腕が、背後から彼女の身動きを封じて抱き締めてくる。
やはり、漣は小さく笑った。そうして肘だけを曲げ、自分のものよりもずっと大きく、しっかりとして骨張った、性差を見せ付けてくる――それでいて何処か優しく、大事なものへ触れるように柔らかに添えられた手に、彼女は指掌を這わせるのだった。




人一倍鼻のよく利くその人は、強い匂いを嫌い、またそれをとても苦手としていた。だから本人は、制汗剤は無臭のものしか使わないし、自室にも無香タイプの消臭剤しか置かない。人工的な甘ったるい匂いを特に嫌うので、衣類用洗剤はシャボンかシトラスの類いと限ってもいる。
――故に、また、漣も。彼女自身、バニラやローズ、フローラルといった、一般の女子女性達が好むような香りをあまり得意としていない事も有ってか、ほとんどそれと同じようにしていた。…同じようにしていた、というよりか、厳密には、同じようになっていた、と言えるだろうか。


そんな2人が、互いに互いの匂いを――単純な好き好み得手不得手によって限り選んだシャボンやシトラスの香りと、その人自身の匂いとが交じり合った、ある種全く特別なそれを、どう思うのかなぞ。遺伝子レベルの相性による、という比較的メジャーな医学的論拠でさえ、彼と彼女には都合が良すぎるものなのやもしれないが。
だから漣は、笑ったのだ。1番好きで1番安心すると、はっきり表したのだ。




「あっちィー」

「離れたら?」

「やァだァ」

「暑い上に廊下だし。いいの?」

「…足音で判るしイーんだヨ」

「そ」




じわりじわりと汗が滲むのが判る。暑いなぁ、と小さく零すと、あっちィねェ、と呟きが返ってくる。
それなのに、言う事とやる事は別である。漣の頭のあちらこちらに頬や鼻先をすりすりと押し付け、加えて耳の裏や項までも、すんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐというのは、この1つ年上の幼馴染みである彼の行動としては、季節を通して、至っていつもの事である。




「汗臭いでしょ」

「漣ちゃんの汗の匂いスキ」

「んー?私もやす君の汗の匂い好きだよ」

「堪ンない?」

「うん、堪んない」

「ムラムラするゥ?」

「ムラムラは…、まぁ、たまにね」

「すンのかよ。初耳ィ」

「たまに、ね」

「いーコト聞いたァ。夏さいこォー」

「あのねちゃんと話聞いてもらえマス?」




ぽつりぽつりと交わす会話は、2人にとって1番心地の好いテンポのもの。くすくす囁く笑い声も呆れた声音も、威勢のいい蝉の羽音や昼休みの喧騒に紛れて溶けていく。





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