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――戻ってきた先に見た屋敷は、何1つ変わるところ無く、まるで澄ました顔でもしているかのように其処に静かに存在していた。
正面玄関を潜った両脇にはロビーを縦断して変わらぬ列が作られていたし、者共が低頭し、最も奥、端に少しだけ間を空けて頭を下げていたのはその女と男。



「…」

「「お帰りなさいませザンザス様」」

「………あぁ。…フェドーラ」

「はい、ザンザス様。このフェドーラ、貴方様のお声がこの館にまた再び響く事、今か今かと待ち侘びておりました。どうか、何なりとお申し付け下さいまし」

「テオドージオ」

「は。今宵のディナーには、ザンザス様の御ために我らシェフ一同、揮いに揮った最高級の品々を取り揃えておりますれば」

「………ハッ。物好きな奴らだ」



だが、まぁ。…悪くない。そんな呆れるくらいに物好きな奴らには、少しばかり施しをくれてやっても良かろう。斜め後ろのすぐ傍から、くすくすと洩らして笑う音を聴きながらにそんな事を思ってみる。




反応の鈍い瞼を押し上げて視界に入ったのは、些か散らばる書類の数々だった。眠気を誘う程良い室温と横の窓からの陽射しに、いつの間にか意識が落ちていた事を理解する。と、同時に、廊下の方で動いている何者かの気配にも気付く。よく見知ったそれが、執務室の扉を3度ノックした音の数拍の後、静かに入室する間に、床に落ちていた書類を拾い上げる。――再び3度の、ノックがされる。



「フェドーラでございます」

「入れ」

「失礼致します。…レン様は、未だお眠りになっていらっしゃるのですね」

「…あぁ」



湯桶と数枚のタオルを手に、フェドーラは静かな足取りで、此方とは反対の側のベッドの縁へと近付いていく。



「医務長のジジィが脳機能に問題は生じ得ないと言い切りまでしたんだ。単に打ち所の悪さにでも乗じてこいつが寝こけてやがるだけだろうよ」

「…彼の見立てに間違いが有った事はついぞ有りませんものね」



そう笑みを零しはすれ、この女はやはり案じているのだろう。何かを考えるように黙ったまま漣を見つめてから、ようやく桶を足元に下ろした。



「…そういえば、」



書類の内容を目で追いながら、ふと思い出した事を口にする。そういえばこの間、こいつが笑って言っていた。次のバースデープレゼントは何にしたものかと。そういう事に対して必要性も理由も動機も、何の思いも無いのは今も昔も変わっちゃいない。下らないしどうでもいい。…下らないしどうでもいいが――例えばその日に、例えば漣に、黒革のチョーカーを与えた時。これは何だ首輪のつもりか、などとケラケラ笑いながらも、ひどく嬉しそうに擦り寄ってきて、甘ったるい目を見せ付けてきた事は確かに憶えている。装飾品よりも菓子をやった方が喜ぶ事も知っている。こいつはそういう、女らしくない女だというのはよく分かっていた。
漣の喜ぶ事、欲しがる物、好みやセンスさえよく分かっていても、しかしそこの、漣以上に付き合いの長い古馴染みである給仕長の女のそれらを、俺は何も、知らない。



「てめぇは何が欲しいんだ、次の誕生日」

「――…ザンザス様。そのような事は、まずレン様に無断で、しかもあまつさえ本人相手に向かって訊ねるものではございません」

「あ?知るかそんなん」

「知るか、ではありません。全く…貴方様も、それにレン様も。そのような事、お気持ちだけで、十分どころか二十分というものですのに」

「俺に言うんじゃねぇ。こいつに言いやがれ」

「いいえ、わたくしはザンザス様、貴方様にも申し上げねば収まりません。この際ですから申し上げますけれども、結局のところで何かと施して下さっているのはザンザス様、貴方様なのですからね。レン様にだけ申し上げる訳には参りません、えぇ」

「………てめぇはんっとに、…いい根性してやがる」

「お誉め頂き恐悦至極にございます」

「誉めてねぇよカス」



――これまでに頂戴した物と言えば、そうでございますねぇ…。好きに使って、と、たくさんの素敵な布地でしたり、化粧品自体は人各々好みや合う合わないが有るだろうからと、肌の調子を調えるための乳液や化粧水でしたり…ハンドクリームやアメニティ等の、消耗品が中心でございました。他にはドルチェも下さいましたねぇ。

やおら笑みながら、漣の寝間着をゆっくりと剥がし、湯気の立つタオルで丹念な手付きに肌を拭って女は言う。
使用人への贈り物など、ヴァリアーにとっても、無論己にとっても前代未聞にも並ぶような事だ。そもそもマフィアに限らず、良家でも金持ちの家でも、給仕を雇って使っているような連中が下の者へと施しを与えるなんぞは、余程のお人好ししかする訳が無い。どう考えても自分達に当て嵌まるものではない――その行為を考え付くはずが無いのだから、そういう意味では、未だ寝こけるこの娘もこれまたえらく変わり者というか…否違うか、居候の奴らを眩しいだ何だと言いながら、こいつも中々生粋の裏の人間ではない、という事だろう。



「――そのお優しいお心遣いだけで、まことに、十分に救われておりますから。それでいて賜る事が叶うのであらば、当然それは何であろうと拝受致しますけれども…今一度申し上げますが、1番嬉しく思いますのは、ザンザス様。レン様。貴方方お2人の、そのお気持ちにございますよ」

「……………あぁ」



どうにも痒くなるような程の、目を細めて逸らしたくなる程の、そんな微笑みを浮かべた妙齢の古馴染みが、己の職務を全うし、静かに部屋を出ていった。





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