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静の帳が落ちきった深い夜半、XANXUSは、己の執務室の中央に置かれた2人掛けのソファーへゆったりと座り、澄んだ琥珀色が半ばまで満ちたグラスを時折ゆらゆらと揺らせながら、ただただその時を待っていた。



「――只今戻りました。こんばんは、ご機嫌ようボス」

「…あぁ」



キィと金擦れの音の後で、ス、とメスを刺し入れたように。それは唐突に浮かび上がり、静けさを終わらせる。テラスとを隔てるガラスドアが開かれ、滑り入った影が、音無く男の元へと近付いていく。一口だけウィスキーを含んで下すと、XANXUSはゆっくりと、間近まで来ていた気配の方に顔を向け。
影が足元近くで跪く。ふんわりと、待ち望んでいた匂いが彼の鼻を擽った。



「成果は上々。ただ慌ただしかったので、此方もさっさと潰しに行く方がよろしいかと」

「そうか」

「仕込みも済ませてきました。オールクリア、ですかねぇ」

「…」



淡々とそこまで報告すると、応答を待たずに影は立ち上がる。パチンパチンパチン、ジィー、と、留め具を外しジッパーを下ろしながら。ばさりと無造作にソファーの隅へ落とされた隊服。それらの音を聴き入れ、XANXUSはグラスをローテーブルに置くと、少しだけ座りを直しては、両腕を僅かに掲げてそれを待つように懐へスペースを作る。
部屋の明かりは落とされたまま、未だ点く事は無かった。



「――あああ生き返ったぁ…!」

「ハ、そーかよ」

「早く帰ってきたくて丸一日走り続けたから、汗掻いてて臭いかもだけど是非とも赦してね…」

「あ?…まぁヤってる時のよりかは砂くせぇな」

「ウッ…お風呂入ってきマス…」

「いい。…もう少しくれぇこのままで居りゃいい」

「うんー…、はあぁ1週間振りのザンザスの匂いだー…落ち着くー生き返るー…」



腑抜けきった調子の声が耳元で伸びている。あれだけ無機質だったものがガラリと切り換わってひたすら弛むこの感じを、彼は存外気に入っていた。

すり、すり、と肌を擦り付けてくる様子はまるで猫のようである。ひょいと懐に潜り込んできては、のしりと膝の上に座り、ぐでんと全体重を預けてくるのも、やはりまるで猫のようである。細身だが、バネの利いたしなやかさを携えたこの柔らかな身体も。タスクの間の淡々と澄ました様相に打って変わった、オフの間のにまにまとしたからかい顔や、ニィと強気な笑みや、つまらなさげに口を尖らせたり、拗ねたりヘソを曲げたりした顔も――嬉しそうな、幸せそうな、とろんとした表情も。どれもこれも、まるで、猫だ。
極め付けはその瞳、キトゥン・ブルーのアーモンド。くすんだ銀の髪と相俟って、この娘は――この女は、漣は、まさにロシアンブルーなのだった。

それら全てを、とてもよく通る声を、無駄な香りを排してシャボンとだけ混ざり合う匂いを、さっぱりあっけらかんとした気質を、決して媚びない我が儘な性質を、…自分に対する、最初から今に至り一貫して変わらない、澱みの無い態度を。それら全てを、XANXUSは気に入っていた。それら全てを、その持ち主を、とても好ましく思っていた。



「報告書書かなきゃー…」

「先に風呂行ってこい」

「え"っそんな臭い?!」

「筋肉解してこいっつってんだカス」

「あ、あぁー…はいはい…や、最初からそう言えばいいじゃん意地悪だな!」

「てめぇの頭の回転がカスなんだろうが」

「うるせええよバカ!」

「…ハッ…ベッド行ったら覚悟しておくんだなァ漣…?」

「、アッ」



下らない戯れでさえ、馬鹿みたいに心地好い。相手がこの娘であるからこそ、何をどのように言われたとしてもほとんどの事を1つ笑って流せもするし、ニヤリと悪い笑みを浮かべもするし、フリだけの怒りを仕返せもするのである。
ビクッと硬直した漣を、腕の中で抱き潰して殺さんばかりに締め上げていけば、女らしさの欠片も無い悲鳴というよりも呻きを上げる。耳元である上にボリューム自体が煩いのだけれど、それはえらく愉快なものなのだった。押し殺した笑い声が、男の楽しげな笑い声が、真夜中の世界にひっそりと響く。



「し、死ぬかと思った…殺されるかと…」

「自業自得だドカス」

「カッツォ!!――あぁところで、ねぇボス、」



――何だか私の知らない変なのが2つばかり在るみたいだけど、アレ何?
コロリと不思議そうな声音に変え、やはり目敏く言い当ててきた彼女に、途端にXANXUSの機嫌が下降の動きを見せる。



「…ただのクソ面倒なドカス共だ。てめぇは一切関わらなくていい」

「え、何だそりゃ。もちょっと詳しくどーぞ」



思わず体を離して漣が首を傾げる。盛大な舌打ちと恐ろしく低い唸り声のまま、非常に嫌そうながらも、求めに応じて事の次第を教え与えていく。他の者が目に耳にしたなら顔面蒼白、恐怖に打ち震え明日の朝日に別れを告げていようそんな程のもの。いつ何時爆発するか分からない、実に触れ難い憤怒の火口である。しかしそれに対して、少女とも言える矮小な存在はまことケロッとした顔のまま、へぇ、だとか、ええ、だとか、至って普段通りに相槌を打つのであった。





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