アザゼルなる者



その悪魔の男は平生、彼が愛する人間という存在の中に紛れて生活をしている。長い長い、長い間、そうしていた。慣れたものである。恐らくほとんどの人間にその本来の姿は知られていないだろう。兄弟達の中でも、アザゼルは特に物質界の事、そこでの生活と世渡りの術を理解していた。それ程長く、長く、その悪魔の男は人間と共に在ったのだ。
そんな彼は職に就いている。小さな土木建築の会社の正規社員。何というおかしなところは無かった――表面的に見てしまえば。そう、内情は些か特異であった。




土地というものには、してはならない様々な決まりや因縁が有る。それらを無視して勝手に工事をすれば、そこに憑いているモノ達が騒ぎ出すのである。そのためには始めに供養の手筈が重要となってくる訳だが、仮に為すべき事をしたとしても、他から紛れ込んでくる招かれざるモノも稀に存在するのだ。


その会社の社長は初老の男で、彼には多少の霊感が幼少より備わっていた。それを以てして、土木建築に携わる。何も見えぬ・何も聴こえぬ・何も感じぬの者では無い。彼にとって、通常存在しないとされるそれらは、人間とほぼ同程度に近しいモノ達だった。そしてその力は、強い方では無かったにせよ弱いというものでも無く、土木建築の仕事と非常に相性が良かったのである。社長である男には現場に紛れ込んだ良からぬモノ達の存在を把握・判断する事が出来た訳で、それはよく、会社を助けた。小さいながらも、創業してこの30年、安泰と言っていいだろうままにやってきたのだ。危うい事態になる手前でその発端を見付けられたのだから。


――しかしある時、今までに無い"ヤバいモノ"に遭遇してしまった。流石にこれはいけないと彼が冷や汗を掻いた程だ。
そこに巡り合わせたのが、そう、アザゼルである。




その男は人間では無く、更には、殊特異なモノであった。数多居る霊達の頂点に君臨する存在、知る者のみ知る、氣の王。通り掛かった(と言ってもその実、久々の"ヤバさ"を感知して様子を見に来た訳だったのだが)彼は顔を青くして駄目だと警告する社長に大丈夫だからと笑い、良からぬソレと少しばかり対話して。――あの時の事は今でも鮮明に、衝撃的に記憶に残っていると、老爺は頷く。


事無きを得た後で、社長は恐る恐る男に名を訊ねた。彼は、名乗る程の者では無いと首を振る。老爺は不意に確信したらしい。今までに知ってきたどの良からぬモノ達などよりも、ずっとずっと、位として上の存在だろうと。それでも、震えるような恐怖は終ぞ感じなかった。何者かという疑惑こそ有れど、本能的に現れた小さな畏怖こそ有れど。今までに知ってきたどの良からぬモノ達などよりもずっとずっと位として上の存在だろうと解りながらも、それと同時に、コレは人間に対してとてもとても友好的なのだろうと。
今度はしっかりとした声で、社長は再度男に名を訊ねた――彼はイチハツと名乗った。老爺は若者に礼をさせてほしいと言って、事業所へと案内する。こぢんまりとした建物の応接用のソファーに座らせて、茶菓子を出して。自分も向かいへ腰を落ち着けると、1つ深呼吸をして、社長は話を切り出したのである。


様々に伝えた。己の霊感について、これまで切り抜けてきた事について。そして出来れば教えてほしいと、イチハツに訊ねたのだ。貴方は何者かと、どういう存在かと。社長の真剣な瞳が覗く。少しだけ間を置いて、男は口を開いた。この老爺であれば、いいか、と。そうしてイチハツは己を明かした。氣の王アザゼルと呼ばれるモノであり、言うところの悪魔であり、長く長くこれまで生きて、とある1つの魂の輪廻を待ち続けているのだと。




事の流れは進み、イチハツを正規社員として雇い入れるという話で最終的なところに纏まった。アザゼルなるモノである事を他の社員達に話すかどうかは、男自身の判断に委ねると社長は言う。悪魔は頷いた。


アザゼルは物質界、人間達に紛れていただけである。潜んでいた訳でも隠れていた訳でも無い。平穏に魂を待ち続けるために必要な事であったのだ。或いは、人間を愛していたから。彼にとっての問題は素性がバレるという結果には無く、その後その先においてに存在したのである。アザゼルは老爺を信ずるに足りると判断を下した。この者が上に立つ集団そのものに対して、彼らは受け入れてくれるだろうという、そういう信頼を置いて良かろう、と。
そして悪魔は明かしたのだ。新参として紹介の場・時間が設けられたその際に。とは言え社長に話した事から幾らか省いたものではあったが。




『俺らもだァいぶ年食ってっからよう、色々大変なとこも出始めてんだわ』

『アンタが悪魔だってぇんなら儂らなんかよりもずっと力持ちで体力だって有んだろう?そしたらおめェ、負担もグッと減ってありがてぇに決まってら!』

『だわなぁ!ガハハ!』




社員達は驚きこそしても、拒まなかった。アザゼルという存在を受け入れたのである。あっさりと、あっけらかんと。むしろ喜ぶ者の方が多かった程に。
――嗚呼、これだから。人間は愛おしいと、氣の王は緩く微笑んだのだった。




数年後、昼休憩にて。皆で賑やかに昼食を取っていた際、古参連中からはイチと、後に入ってきた若者にはイチさんと呼ばれていた彼が、「おいイチ、おめェがずっとケツ追っ掛けてるってぇ娘さん見付かったら俺らにも会わせろよなぁ!」等とニヤつかれ笑われたのはまた別の話である。





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