うそつきは恋の始まり1 今、オレの手にある一枚の紙が、オレの周囲を盛り上げていた。 その紙には、四つ折の交差線上に大きく[当たり]と書かれている。 嫌な方の[当たり]だとは引く前から分かっていた。 「佐治ー。男に二言はないよなぁ」 ニット帽を被った同級生が、ニヤニヤとした嫌な笑顔で詰め寄ってくる。 「まぁそんなプレッシャーかけてやんなって」 倉橋が間に入って、距離を空けてくれた。 プレッシャー……確かにプレッシャーでしかない。 だけど、最初にこれを発案したのは誰だ、と他人を責めても仕方ない。 なにせノッたオレもオレなんだ。 市立帝条高校三年四組。 文化祭当日、このクラスは男一人混じったメイド喫茶をする。 * 「佐治くん腕広げてー」 女子たちがメジャーを伸ばして、オレの身体の寸法を測る。 目の前には何枚ものメイド服。どれがオレにぴったりなのか確かめてるらしい。 「んー、これかなー?」 測定のメモを見ながら、女子の一人が少し大きめのメイド服を引っ張り出した。 「佐治くんって、細身だけど結構背高いんだよね」 「ぶかぶかな所は直せばよくない?」 「そだね。じゃあ、とりあえず着てみてくれる?」 差し出されると、メニューの料理を決めているはずの男子勢から堪えきれなかったような笑い声が聞こえる。 「テメーらマジで覚えてろ」 凄んで言うと、その声もピタリと止んだ。 溜め息を吐いて視線を落とすと、その先にはメイド服。 嫌な現実がそこにあった。 「着方分からなかったら、すぐ聞いてね!」 「ちょっと待て。ここで着替えるのか?」 「え、だってそうじゃないと効率悪いでしょ」 効率、効率か……。 本当にこの女子の目的は効率だけなのか、そんな野暮なことを考えてしまう。 しょうがないから教室の端に行って、Yシャツのボタンに手を掛けると、クラス中の視線がオレに突き刺さった。 「おい、そんなに見ると佐治が緊張すんだろ」 スッと滑り込むように視線の盾になる倉橋。 何人かは言葉に従い、渋々とそれぞれの作業に戻る。 倉橋はオレに振り返ると、いつもの一歩引いた姿勢で落ち着かせるように笑った。 「ほら佐治。早く着替えて終わらせちゃおうぜ。気になるなら、オレと喋りながらでもいいからよ」 「く、倉橋……!」 持つべきものは友だと、ことわざの意味が身に染みこんだ。 * そんな倉橋の気遣いも粉々に壊れることが起きた。 メイド服に無事着替えたオレに、クラスの女子が黄色い声を、男子が冷やかしの声をそれぞれ上げた。そこまではいい。 「佐治くん。どうせだったら、靴も履いて校内歩いてもらっていいかな?」 「はぁ!?」 「もし当日破けたり、靴ズレしたら大変じゃない。佐治くんやった方がいいよ!」 「当日がちがちでも困るし、事前練習!」 女子の結束力に負けて、メイド服で校内一周という恥の前倒しをすることになった。 いくら今の時間は全学年文化祭の打ち合わせとはいえ、何気なく教室の外を見ている奴や、借り物の手続きで廊下にいる奴もいるだろう。 そんな奴らに好奇な視線で見られるなんて、想像しただけでも赤面しそうだった。 うっかりこのクラス以外の知り合いに会いでもしたら、オレはどんな行動にでるか分からない。殴り倒すかもしれない。 「佐治。オレも付いていこうか?」 倉橋が気を利かせてそう申し出てくれた。 だけど倉橋も一緒となると、確実にオレだとバレてしまう。 化粧やヘアメイクも施されたため、パッと見でオレとは分からない筈なんだ。 できる限り、身バレは避けたかった。 「いや、いい。ありがとな」 断ると、倉橋は「気をつけて行けよ。ヒール高いから、足くじいたら直ぐ電話な」と教室を出る最後まで気遣ってくれた。 そうして、校内一周が始まったわけだが……。 「佐治さん?」 なぜかボイラー室の前で突っ立っていた吏人と運悪く遭遇してしまった。 自分の運のなさに泣きそうだ。しかもオレだとバレている。 思わずぎくしゃくして言葉が出てこないでいると、吏人はオレがメイド服なのに気づいてないかのように自然に言った。 「職員室に、暗幕貸し出しの申請しようと思ったんスけど迷いました」 半年以上この学校にいて何を言ってるんだ。方向音痴にしても程があるだろう。 そういえば吏人のクラスはお化け屋敷をするんだったな、とそんなことを思い出した。 「で」 吏人が上から下までオレをじっくり眺めだす。 「その格好どうしたんですか?」 その一言で、一気に羞恥の熱が身体全体に広がった。 耳まで熱い。胸板が急に薄くなったみたいに、心臓の音がばくばくと大きくなる。 やめろ、放っておいてくれ。あのまま流してくれたなら、どんなに嬉しかったか。 顔を、見られたくない。多分、今のオレはとても恥ずかしい顔をしている。 「佐治さん大丈夫です……」 「触らないでよ!」 あっ、と口を手で押さえた時には遅かった。 吏人から伸ばされた手を弾くとき、変な、口調になった。 恥の上塗り。ありえない。なんだ今の。なんだ今の。 「違う、人……?」 ボソリと吏人が呟いた。 視界が真っ白になりかけでパニック状態なオレは、反射的にそれに便乗した。 「誰だか知らないけど失礼な人ね! 佐治くんってサッカー部のでしょ? 男子がこんな服着るわけないじゃない!」 ……ない。自分でもこれはない。もし今、ビデオで隠し撮りでもされていたら、オレは首を吊れる。そう確信する。 赤くなったり青ざめたり忙しいオレに対して、吏人は無表情のまま頭を下げた。 「すいません。あまりにも似ていたっスから……先輩ですか? 名前は?」 「なんで名前言わなくちゃいけないの」 「お礼、したいので。なにか奢ります」 「そんなことしなくていいわよ。私、もう行く」 「させてください」 今すぐにでもこの場から離れたかったのに、吏人は珍しくしつこく食い下がる。 吏人を引き連れて校内を回るわけにも行かず、押し問答が続き、ついにはオレが折れる形になった。 「もう、分かった! 奢ってもいいから名前とか聞くのは止めて!」 「なんでスか」 「私がメイドやるのを公表したくないの。恥ずかしいの!」 恥ずかしいのは本当だ。そして、今はこの口調が一番恥ずかしい。 逃れたい一心だった。 「わかりました。不躾にすみません」 吏人は素直に謝る。一般女子(偽)が相手だと、こんなにも態度が違うのかと驚いた。 いつものサッカーに真剣で、蘭原にも厳しい姿しか見ていなかったから意外だ。 「今日の放課後空いてます? 明日とかだとオレ、部活あるんで遅くなっちゃうんスけど」 「今日? 空いてる、けど」 今日は部活の定休日だ。吏人が空いてるとなれば当然オレも空いてる。 放課後に倉橋たちと約束を入れているわけでもない。 だけど、答えてからオレはハッと致命的なミスに気づいた。 「それじゃあ今日の放課後、校門の前で待ってます。また後で」 「え、いややっぱ空いて……待ってよ!」 日常生活では普通使用しないだろう切り返しスピードで、吏人はさっさと廊下の角を曲がって行ってしまう。 急いで追いかけようとすると高いヒールがそれを邪魔して、上手く走れず転んでしまった。 慌てて服の損傷を確認するが、どうやらどこも破けたりボタンが取れたりはしていないようだ。一安心、とはいかなかった。 そうだ、服。問題は服なんだ。 待ち合わせの校門にさすがにメイド服のまま行くわけにも行かないし、いつもの制服で行けばバラすようなものだ。 ギリギリいけて体操服……いやダメだ。女子と男子では微妙にデザインが違うんだった。 最悪ボイコットか!? いや、吏人なら全クラス回って探しに来かねない! 途方に暮れて、オレは座り込んだ姿勢のまま携帯を取り出した。 「……もしもし、倉橋? ちょっと迎えに来てくんねぇ?」 「足くじいたのか?!」 「いや、違うんだけど。心は挫けた」 数分後、倉橋が駆けつけてくれた時には、オレは真っ青な顔をしていたという。 To be continued... 2011/06/02 |