荒れ模様 試験一日目。試験期間中は部活が休みになる。いつもだったらテキトーに勉強して、後はいつもの仲間とだらだら喋ったり、積まれているゲームを消化したりする楽な期間だった。 「あっ、佐治。これから……」 見覚えがあるわかめ頭が俺に話しかけた気がしたが、俺は返事をするどころじゃなかった。帰りのホームルームが終わるやいなや、俺が真っ先に走り出し向かった先は他でもない自宅だった。 別に真面目に勉強する為とかじゃない。俺にはそれ以上に大事で重要な問題を抱えていた。 『佐治さん、勉強教えてください』 後輩兼恋人が珍しく俺を頼りにしてきた。試験期間直前の放課後の部室。頼られたのが嬉しくて、先輩面ができると思うと尚更だった。 『おぅ、いいぜ。科目はなんだ?』 正直にいうと苦手科目のことは二学年下の内容でもさっぱりだ。授業で習った事が右から左へと突き抜けていっている。懸念していると吏人は俺の得意科目の名前を上げた。それに一安心する。 『こっちは二日目にテストなんで、明日教えてもらってもいいっスか?』 『一夜漬けかよ。大丈夫なのか?』 『大丈夫っス。基礎はできてますし、それより前にやると他のとごっちゃになるんで』 もっともだった。古文や文法の勉強をしている最中に英語に手を出すと、変に混ざって訳がわからなくなる。国語と英語が同日試験だった時は地獄だった……と要らぬことまで思い出した。 『それで、俺の部屋は空いてないし帰りの交通も考えて、佐治さんの部屋で勉強会やっていいっスか?』 吏人の提案に時間が凍った気がした。 『俺の……部屋?』 『そうです。一回も行ったことなかったッスよね。この機会だから』 言う通り、俺たちは付き合って数ヶ月経つ癖に、まだ一度もお部屋デートをしたことがなかった。正しくは俺の部屋に、だが。 嫌な汗が伝うのが抑えられない。何を隠そう俺の部屋は荒れている。反対に以前行ったことがある吏人の部屋も、この部室のロッカーも綺麗に整理整頓されていて、コイツが割と几帳面なのが分かる。 俺の部屋を見たらコイツ、勉強どころじゃねぇぞ。箒やらモップやら取り出して大掃除を始めるに違いない。 もし部屋が汚いのが別れる原因になったらどうする、俺。 『じゃあ、そういうことで』 俺の返答を待たずさっさと『おつかれっしたー』と部室から出る吏人。 『ちょっ、待て……っ』 もがく様に引きとめようとしたが、こんな時に限って吏人は足早で見失ってしまった。 どうするよ、俺。 そんなこんなで何とか猶予がある内に片付けようと、昨日は自分もさっさと帰り掃除に取り組んだ。一日あれば片付くだろうと余裕をもって。そんなのは甘かった。 雪崩れ雪崩れ雪崩れ。片付けるのが面倒だからと物を積み重ねていたツケが今回ってきた。 掃除しようとして散らかった物を掃除するという無限ループ。全然終わりが見えない。 未練なく捨てるものは捨てるものとポイポイ、ゴミ箱に入れたってはかどらない。 毎日掃除している教室は既にある程度整頓されているからこそ、まともに掃除できるのだと改めて感じた。 結局、昨日中に掃除完了することはなかった。でもなんとか掃除できるスタートラインには立った筈だ、と、自分を言い聞かせて、今日に望みを託したのだ。 時計が指している時間は十一時五十分。吏人は昼食を食べてから来ると言っていたから、軽く見積もって十二時半か十三時がタイムリミットか。もう本当に時間がなかった。 「あ、おかえりなさ……」 母さんの出迎えを頷くだけで流す。そんなことをしている時間すら惜しい。早く、早く、片付けなければ。 バンッと勢いよく自室のドアを開けて、俺は立ち止まった。 疲れたんじゃない。一旦落ち着くためでもない。 「おかえりなさい、佐治さん」 部屋に入って直ぐ。そこにはまだここに到着しない筈の吏人がいた。 「なんっ、え、りひ?」 「こらっ、さっさと行っちゃうんだから。後輩くん来てるわよー」 少し離れた所から母さんの遅いレスポンスを聞く。俺はというと呂律が上手く回らず、言葉にならない言葉を連呼するばっかりだった。 そんな俺を見かねてか、吏人は淡々と状況説明をする。 「一年生は今日二科目だけ試験なんスよ」 三年生は三科目の試験だった。だからこんなに早いのか。おかしいと思ったんだ。試験後にダッシュしてきた俺より早く着いてるなんて。 いやいやいや、今の問題はそれでなく。俺は頭を振りかぶって、なんとか冷静に物を見ようとした。 吏人の格好。エプロンに三角巾、手にはゴミ袋という完璧な体制。 「オマエ、まさか……」 答えを聞かずとも分かっていた。予想していた。ダメだ、コイツ。勉強する気さらさらねぇ。俺の部屋を徹底的に掃除する気だ! 「正直、ここまで散らかってるとは思わなかったっス」 グサッとくる一言を言われて、俺は泣きそうだった。今日は厄日か。これでも昨日掃除したんだぜ? 吏人はスッと俺にハンディーモップを差し出す。 「さぁ、やりましょう」 「いや、趣旨変わってるだろ! 試験は明日なんだから勉強した方がいい!」 今更ながらツッコミを入れると、吏人は首を横に振った。 「掃除後、二秒で切り替えてします」 「それで間に合うと思ってんのか!」 「はい。別に問題ない科目っスから」 「あ? じゃあなんで教えて、って……」 吏人は二ッと笑うと、荷物を床に置いて俺の腕を取った。 「佐治さんの部屋が見たかった口実に決まってるじゃないっスか。佐治さんいつもいつも避けようとするんですもん」 そりゃこんな惨状を恋人に見せれる訳ねぇだろ。 吏人は腕を引いてそのまま多分不機嫌そうな顔をしている俺にキスした。 触れるだけじゃない、しつこいキス。 やっと離れたと思うと、俺をギュッと抱きしめる。 「俺、掃除できない佐治さんのことも愛せますから。安心してくださいね」 ぼんやり不安に思っていたことが拭われた。年下にダメな部分を見られるのは、とても、かなり、もの凄く恥ずかしいが、許してもらえるならそれに越したとはない……と自分に言い聞かせて納得させる。 「きちんと俺がフォローしますから。さぁ、始めるっスよ!」 吏人の口癖、二秒で。吏人は本当に二秒で切り替えたみたいにテキパキと動き出す。それにつられて俺もハンディーモップ片手に掃除をし始めた。 掃除がやっと終わったのは、もう日も暮れていつもなら夕飯を食べだす時間だった。 重いものを運んだり、収納を考えたりで疲れた俺は、すっきり空間の広がったベッドに横たわっていた。 「俺の部屋とは思えねぇ」 見渡すと改めてそう思う。ヤバイ、綺麗だ。いつもの仲間をここに連れてきたら頭を打ったんじゃないかと疑われるレベルだ。 「お疲れ様っス」 くたびれた俺の代わりに、キッチンからコーヒーを淹れてきてくれた吏人。それを確認して「うん」とだけ返事する。起き上がってベッドの縁に座りコーヒーを飲むと、横に座った吏人がよしよしと頭を撫でてきた。 「よく頑張ったっスね」 「……俺はオマエの子供か」 「掃除に関しては子供みたいなものじゃないスか」 痛い所をつかれる。もう一生ネタにされるんじゃないか。 「今度は散らかさないように気をつけないといけないっスね。物は使ったら直ぐしまってください」 「わかってるよ」 「あと使わないものは一箇所に……」 「わかってるって」 喧しい吏人の口を自分の口で塞ぐ。苦いコーヒーの味。こんなことしちゃうなんて、余程慣れないことをしたんだなぁ、とぼんやり考えた。明日は雨でも降るんじゃないか? 吏人の一瞬びっくりした顔が面白い。勢い任せでちゅっちゅっと額、頬と唇を落としていけば、勢いあまって吏人を押し倒す形になった。 「佐治さん」 「悪い、今日勉強教えられそうにない。頭パンク状態」 「でしょうね。でもそんな状態でも一つ教えられる科目があるんスよ?」 「ん、なんだ?」 ぺたっと吏人の結構硬い胸板に擦り寄ると、吏人は引き続き頭を撫でてくれる。思えば馬鹿な質問をしたものだ。 「保健体育っス」 思わず噴出した。コイツも思春期の男子なんだなって。ちょっと余裕のある先輩面が漸くできる気がした。 「試験にでねぇよ」 「でるかも知れないっスよ」 「いや、ねぇって」 「ヤマを当てるんだと思って」 吏人がのそっと起き上がると、ベッド上で対面して座る形になる。そのまま頭に手を回され今日何回目かのキスをする。 甘いムードは口じゃ言わないが好きだ。互いの額を押し当てたり、もう一回キスをしたり、こういうのがあるなら掃除を頑張ったかいがあると、労が報われた気がした。 「佐治さん」 呼ぶ声に「吏人」と答える。たまらなく幸せだと思っていた。だから何で吏人が俺に頭を下げたのか分からなかった。 「どうした?」 「すみません、後ろ」 「後ろ?」 振り返ると、いつの間にか開かれた部屋のドア。そこには一番見られたくなかった人が、どうコメントすればいいのか迷った様子で立っていた。 「あ、夕飯だって、呼ぼう、と、思って……」 「かあ、さん」 親子でどもる。どう説明をつけたもんだろう。やっぱり今日は厄日だ、と泣きたくなった俺の頭に、ポンッと吏人の手が置かれた。 |