夢のために | ナノ

夢のために


「俺と付き合ってほしい」

そう告白したのは俺の方で、今でもよく覚えている。放課後のグラウンド。部活後で人も引き上げ、俺と吏人は二人きりだった。

「……ダメ、か?」

心臓が有り得ないくらいバクバク鳴っていて、このままだと死んでしまうと本気で思った。
吏人は俺と違って冷静で、表情を全く変えずに「いいッスよ」と受け入れるから思わず拍子抜けした。
いい加減な返答。きちんと意味、分かって言ってんのか?
不安がよぎったが、それは数日で吹き飛んだ。

「大好きスよ」

吏人はそう言って、よくキスしてきた。甘えてきたと思えば、普通の先輩後輩のような冷めた態度をとられて、時々混乱した。
何回か喧嘩もしたが、直ぐに仲直りした。バカップルと、道行くカップルを馬鹿にできなくなった。

「今、日本一幸せだ」

ベンチで横並びになって吏人の肩に寄りかかると、吏人は素直に受け止めてくれた。

「なら俺は世界一幸せっスね」

変に張り合ってきた吏人に、つい笑ってしまった。

楽しかった。嬉しかった。一緒に過ごした全てが。
それが今、終わる。


「別れましょう」

始まりと同じ、放課後のグラウンド。俺と吏人の二人きり。ただ言い出したのは俺でなく吏人だった。

「なんて言った?」

信じられなくて自分の耳を疑う。聞こえた言葉が何度も頭の中でループして、必死で意味を考えないようにした。

「佐治さん、別れましょう」

繰り返された言葉に、聞き違いではなかったんだと漸く理解する。

「なんでだよ?」

声が震えた。ここ最近、喧嘩した覚えはない。マンネリな訳でもない。もしかしたら俺がそう思い込んでいただけで、吏人は違ったのかもしれない。
吏人は俺の肩に手を置くと、サッカーをしてる時のような真剣な目で俺を見据えた。

「このままだと俺たちの夢が潰えます」

夢。夢ってどれだ?
吏人と出会ってから、自分が欲深くなったと自覚する。俺が考えあぐねているのが分かったのか、吏人は答えを口にした。

「今年、ここを日本一にするって夢です」

あぁ、それか。
俺の顔を見て、吏人がキツい表情になった。

「佐治さん。最近練習に身が入ってませんね?」
「入ってるぜ。今日だって手ぇ抜かずに真剣勝負しただろ」
「あれが、真剣スか?」

懐疑的な質問に心が揺らぐ。

「真剣、じゃないスよね。だって佐治さん、俺のことばかり気にしていた」
「……自意識過剰は止めろ」

気にしてなかったといえば嘘になる。練習する上で必要な程度で気にしていたといっても嘘になる。
図星なんだ。確かに吏人を気にしていた。
それでも遠回しに否定すると、吏人は俺の肩に指を食い込ませた。

「痛ぇよ」
「自意識過剰だったら本当に良かったんスけどね」

心底そう思ってるのか、吏人は呆れて溜め息を吐く時みたいに頭を垂らす。

「このままじゃ練習に支障をきたします。いや、既にきたしてます。大きな影響の出る前に、終わらせましょう」
「……嫌だ、って言ったらどうするんだ」

嫌に決まっている。だけど、このままじゃいけないのも分かっている。譲ったとはいえ元キャプテンだ。この夢が俺たち二人だけのものでないなんてよく知っている。
夢と恋愛。吏人は悩む素振りを見せず取るべき方を選んだ。

「嫌だと言うなら、佐治さんには部活を辞めてもらいます」

「邪魔っスから」と続けられれば、心臓が強く締め付けられた気がした。

「俺は、お前もサッカーも諦めたくねぇ」

泣きそうな自分の声が聞こえる。

「俺、もっと頑張るから。きちんと集中して練習するから。だから……」

懇願。心からの願いだった。努力すれば何とかなると信じた。
だが、吏人は首を横に振る。

「駄目です」
「なんでだよ! まだ」
「もう、俺が駄目なんです。佐治さんが気になって仕方ないんです」

吏人が頭を上げると、酷く悲しい泣きそうな顔が露になった。

「ずっとアンタのことばかり考えている。飯の時も、寝る時も、最近では練習中ですら……これじゃあいけないんです。駄目なんです」

思いを吐き出すように吏人は声を出した。

「気を逸らそうとしても無理で、冷たくした時の佐治さんの表情に耐えられなくて、俺はもっとこの人を笑顔にしたいのにって……俺だって手放したくないんスよ! 好きなんですよ、佐治さんがとても、苦しいくらいに!」

「だけど……」に繋がる言葉を俺はもう見つけた。
吏人だって悩んでいたんだ。夢と恋愛のとっくに崩れたバランスに。一人で思い悩んで、なんとか打開できないか試行錯誤して、そして今しかチャンスのない夢を優先させた。恋愛なんて高校卒業した後でもできるじゃないか。一度別れるくらいなんだ。割り切って、前みたいな先輩後輩に戻るだけだ。それだけなんだ。
言い聞かせなければ、感情を整理できないほど俺たちは子供だった。互いに触れない内に、今ある想いが移ろいでしまわないか怖かった。
だけど……。

「互いに苦しいなら、夢すら叶えられなくなってしまうなら、別れて距離を保つしかない」

俺の確認に吏人は頷いて肯定した。

「……分かった。別れよう」

最終決定を下したのは俺だ。年下のコイツにばかり重荷を背負わせられない。これだけでも責任は持とうと力強く言った。

「じゃあな、吏人」

肩から離れていく手に縋りつきたいのを抑えて、吏人に背を向けた。
じゃあな、大好きな吏人。
夢のために、ここでさよなら。