※ライハレ









今年もまたこの季節が来たなあ、とぼんやり突っ立って、マグカップを持ちながら窓の外の景色を眺めた。外と中の温度差で生まれた小さな水滴が窓にびっしりと張り付いていてあんまりよくは見えないが、その白い透明越しにきな粉色のグラウンドがあって、その上を紺色の細い生き物があちらこちらを駆け巡ってサッカーボールを蹴っている、と思う。わあわあと元気で喜ばしいのか煩いのか分からない(俺からすれば後者)声が時々聞こえる。あのジャージの色からするにあれは三年生の奴らで、受験のために特別に構成されたスケジュールの中にぽつぽつと混じっている残り少ない体育を目一杯楽しんでいる所なんだろう。多学年よりもはしゃいでいるのがもう若すぎて眩しくて、どうしようもないくらいに疲れた俺の身体にゆっくり染みていく。ああ五月蝿い。誰も居ない社会科準備室にも響く。騒がしいのはグラウンドなのに、そこから遥か離れた3階からでもやけによく響く。寒い。社会科教師のために用意された小さなこの場所には暖房器具が一つだけあって、まあ随分昔のストーブだが上にやかんを乗せれば空気も潤うし暖かいし一石二鳥だ。それに茶も沸かせるし…ああ五月蝿いな。温い茶をずずっと啜りながら独りごちつつも更にグラウンドを見つづけた。俺は先程から生徒の社会科の成績の判定をリストアップしている。普段のテストと平常点を合わせて、その合計点に見合った評定をつける。なかなか大変な作業だが俺はもう殆どの生徒の成績はつけ終わっていた。俺は結構厳しい点をつけることがある。何でかは自分でも分からない。……だが少なくとも、このやり方が唯一通らないやつが居た。いつもこの時期になると胸騒ぎがする。しかもあいつは今年卒業で、卒業さえしちまえばもう顔を合わせることは殆ど無いだろう。嬉しいのか悲しいのかも分からない。分からない事多いな俺は。
がらり、とドアを開ける音がした。挨拶もなしにずかずか入ってこれるのは社会科教師だけだってのに、そいつは社会科教師でも、ましてや先生ですらないから驚きだ。
「老けてんなあ、背中」
いきなり失礼なことを言いやがる。確かに最近猫背っぽいような気はしてるが他人に指摘されるとむかつく。この前なんか、俺よりひどい猫背の兄貴にまで言われてもう心底苛々した。
「開口一番それは酷いな…」
眉を上げて後ろを振り向けば、案の定毎年の期間限定な常連客になっている悪ガキがこっちを睨みつけているのとばっちり目が合った。本当ならブレザーには白いシャツ、という立派な制服指定が生徒を縛っているはずなのに、ハレルヤはそんなルールはとっくの前に自分の我が儘ルールに塗り替えてしまっている。こりゃあまた派手な柄を見つけてきたもんだ。どこで手に入れるんだろうか、まあ似合うから別にいいけど。
「お前、体育しなくていいのか」
「さみいから」
理不尽な理由を当たり前だと言わんばかりに言い放ったハレルヤは、平然と俺の机の前まで来ると、その上のものに手を伸ばした。そこには恐ろしいくらいに極秘な社会科の成績が沢山詰んである。見られているとばれたらかなりの大事だ。ここは俺専用の部屋というわけじゃないから急に誰かが入ってきても文句は言えない。だがハレルヤを止めることも無く俺はただグラウンド側にまた頭を戻して、健全な奴らを見つめた。…もし仮にハレルヤがあのグラウンドの中に居たら俺はきっと笑うだろう。自分の為、というよりかは他人の為に動く団体戦みたいな競技に混じっているだけで笑える。きっと腹を抱えて笑う。不意に焦げ臭い匂いがした。
「だから煙草、吸うなって」
窓に背を向けてからじとっ睨む。
「束縛なんてしたらモテねえぜ」
「違えよここで吸うなってことだよ、ここ禁煙だっつったろ、何回目?」
知らねえ。煙草の煙と一緒に、ぶっきらぼうにそんな感じの台詞を吐いたような音がした。別に大人びた顔でも無いのに何処からか煙草を調達してくるハレルヤ。そしてがさごそと音を立てて成績表を漁るハレルヤ。しばらくしてようやく自分のものを見つけたらしく、危なっかしい山から勢いよく引き抜いた。
「………」
終業式前に見せるなんてことは絶対にあってはならない行為だけど別にどうでもよかった。なぜなら、こいつがそれよりももっと意地悪であくどくて人の努力を踏みにじるようなことをしにきた事が俺にはわかっているからだ。ハレルヤは薄い厚紙を開いて自分の成績を見つめた。
「……相変わらずひでぇな」
「何が?」
「頭悪ぃな、点数だよ点数」
「だけ?」
「あと平常と…日数もか」
「つーか殆どだろ。真面目にやれよ…」
俺がため息をつくと、ハレルヤはにやりと笑みを浮かべた。あ、八重歯がむきでた、こいつが笑うと真っ白な犬歯っぽいのが見える。俺はそれが嫌いだ。好きだけど嫌い。ハレルヤが側に立っている自分の机に近づき、俺は机に温いマグカップを置いて、備え付けの椅子に座った。みし、と音がした。年季ものだから仕方ない。ハレルヤは俺を上から目線で見下げた。椅子に座っているからそれも仕方ないが、それにしてもなんて心地の悪い見方だやめてくれ。
「煙草禁止」
居心地が悪いことへの対価として、ひょいと手を伸ばしてハレルヤの吸いかけの煙草を奪って自前の灰皿に押し込んだ。あ、と声にならない声を出して、まだ口に残っていたらしい煙をもわんと漂わせたのがやけにださかったから素直に笑うと細長い金色の瞳がますます細められた。
「うっぜぇ」
「おれの息子がこれ以上ニコチンまみれにならないように予防してんの」
椅子の肘置きに肘を乗せて俺が頬杖をつきながらそう言うのを聞くと、ハレルヤは一瞬呆けてからまた笑んだ。
「よく分かってんじゃねえか」
「どうせそのつもりだったんだろ」
残りの茶を全部飲み干してから、今度はハレルヤから成績のリストを奪って机上に放り投げた。ぱさり。軽い音しかしないこんなもんが人間の卒業を、いや下手したら人生自体を左右するなんて、本当に阿呆くさい。こんな薄い世の中が嫌だからハレルヤにこんなことを許してしまうのかもしれない。





――――二年前くらいだったか、まだこいつの性格がよめていなかったころ、成績がぎりぎりで(俺がやってる世界史だけじゃない、全教科ぎりぎりだったらしい)進級に影響を及ぼすかもしれないということで二者面談をここでやった。膝をつき合わせて言ってやった。もういよいよやばいぞ、いや他教科は知らないがお前、赤点のくせに補習にも来ないから平常点もやれねえし、それ以前に日数足りないしどうするんだ?もし今からでも本当に進級したい気持ちがちょっとでもあるんならせめてレポート書け。特別にそれだしたら何とかいいようにしてやるから……と。そしたらハレルヤは即座に嫌だと言った。あまりの物言いにむっとして、じゃあどうすんだと軽く切れて聞くと、その生意気な一年生はしばらく考えて、そしてごく楽しいことを思い付いたかのような声色で、なあせんせ、気持ちいいのって好きか、と言ってきたのだ








情の深さが甘えを吸うて
(我が儘も別腹で平らげて)


※続きます



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