※「ほのくらい眩惑の中でも」続き









もったりとした薄暗い空間。世俗とは掛け離れた所に居ると錯覚するくらいにここは雰囲気の完成度が高い。月がここだけ照らすのを忘れてしまったんじゃないか、だなんて詩的な気持ちになってしまうくらいに。少し離れているだけで誰なのかがはっきりと分からないくらいに照明が落ちている。それなのにロックオンという人は存在がとてつもなく圧倒的だ。隠しきれない存在感だ。宝石みたいに色に深さを宿した瞳のまわりが周りの暗さに映えるようにしてぼんやり輝いている。そしてそれを惜し気もなく僕に見せ付けてくる彼。程よく饒舌な彼。沈黙を長引かせることなく、その気があるかのように見せかけた、ふわふわした溶けかけのミルクチョコレートみたいな台詞を僕に聞かせてくれる。それが彼の商売だということは分かっているのに、すっかり彼の声や言葉に惑わされかけてしまいそうな自分が可笑しくて、僕はニ杯目のお酒を一気に飲み干した。ここはホストクラブだ、ホストクラブなのだ。言い聞かせても、冷たいアルコールは喉ばかりを冷やして頭までは冷やしてくれなかった。大体僕は酔わない性質なのに、ここでお酒を飲み始めてからなんだか気分が高ぶっている気がする。ほんの少しだけぼんやりしはじめた頭に喝を入れながらスメラギさんが居る方を見た。贅沢にも二人の男性に挟まれた先輩は上機嫌で何かを話している。身振り手振りが激しいところから察するに相当酔っていそうだ。まだ帰らないのかな…と思いながら見遣っていると、ロックオンが僕の隣で微笑みながら言った。
「気があるんですか?スメラギに」
僕は驚いてロックオンを見た。
「そんなふうに見えますか?」
言ってから気づいた。微笑んでるように見えたけどそれは勘違いだ。感情がこもっていない微笑みほど怖いものはない。
「見える。妬けるな、なんか」
「……すごいですね、その言葉こそもったいないよ。女の人に言ったら本気だって誤解されそうな言葉だ」
「言いませんよ、アレルヤにだけ」
だけ、のところが心なしか強調された。飲んでも飲まれるな、という教訓が頭をよこぎった。……飲まれるな?何に?お酒に?
「初対面なのに妬けるんですか?」
「だってアレルヤさん恰好いいし可愛いし、仕方ないでしょう」
よくもまあこれだけ人を惚れ込ませる言葉を次々とはけるものだ。それともスメラギさんの連れだから丁重に扱えと店長から言われているのだろうか。だけど彼があんまり仕事熱心なので僕はついその調子に流されてしまう。
「可愛くなんてない。それにスメラギさんのことは何とも思ってないよ」
彼女はとてもいい先輩だけど女性として見たことは(申し訳ないけれど)一度もない。少なくとも僕は。するとロックオンは一瞬動きを止め、すぐににやりと笑った。
「そうですか、それなら……」
冗談なのかなんなのか判別のつかない態度でロックオンが僕の方に更に近づいた。太ももと右肩がぴったりとくっつくくらいに接近されて、僕はそれを意識しないわけがなかった。安っぽいシャツやネクタイと、彼の高級感のあるスーツがぴとりと密着した。ひ、と悲鳴に似た声が喉から洩れた、それどころじゃない。
「…あんな女より俺のほうを見てくれよ」




急にロックオンの口調が変わった。そのギャップに僕は心臓を跳ね上がらせた。人肌の温度。突然の砕けた話し方。蠱惑的な言葉を投げかける彼が近く、望んでもないのについ心音を速めてしまう。その上、台詞が軽い割にロックオンの目はさっきよりいやに鋭い。目が離せない。
「そうそう、俺だけ見てて。ずっと」
「ロックオンさ…」
「呼び捨てしてくれよ、萎えるだろ」
甘くて低い声がゆっくりと、そして確実に鼓膜を支配していく感じがした。この酒と香水と人の匂いがする空間から、僕だけが彼の世界にずるりと引き込まれたかのよう。女の子ならもうこれで瞬殺だろう、彼の熱い視線でうっかり心までも許してしまいそうだ。いやもう許させられている。彼が侵食してくるのを止められるものは僕には備わっていないみたいだ。彼のリップサービスを歌う唇の形の良さに息を止めた。この僕でさえ有る限りのお金を貢ぎたくなる。その唇が大きな孤を描くために必要な貢ぎ物をなんでもあげてしまいたい。男も惚れるイケメン揃いなんだからきっとあなたも気に入るわよ。気に入るわよ。気に入られるわよ。ぐわんぐわんとエコーのかかったスメラギさんの声がした。不意に、頭にずきんと鈍い痛みが走る。酔いが回ってしまったのだろうか。そんなに強い度数は飲んでいないはずなのに。
「アレルヤ」
ロックオンの白くて大きな、それでいて繊細で美しい色気づいた左手がぼくの浅黒い右手にそっと添えられた。そんなにサービスしないで。顔が近い。ギリシアの海みたいな色彩が、茶色くうねった細い波の間からこちらを見ている。
「な、に」
「アレルヤ」
「な、」
んですか、と問いただす前にロックオンのもう片方の手が伸びて、僕の右耳にかかっている髪の毛をゆっくり掻き分けた。彼の唇が近づく。耳に。今や全神経が聴覚に集中している。思わず目をぎゅっとつむった。そしてロックオンは、僕の耳元で甘ったるい砂糖のような毒を吐いた。
「アフター、って知ってる?」
ぞわりぞわりと薄い衝撃が全身を駆け巡った。夜に棲む深い誘惑はなかなか人間を離さないことを身を以って知るだろう、ということを理解するには十分過ぎる言葉だったのだ。さっきまでシャットアウトされていた外界の雑音が頭に流れ込んできて、スメラギさんのお暇しようかしらと言う脳天気な声が、もういっそ清々しいくらいにはっきりと聞こえた。







そろそろお別れの時間
(選択肢はNON PRICELESS)






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