※遠藤周作作品パロ









俺は再会するために再びこの地へやってきた。そもそも俺とあいつが出会ったのはこの国だった。戻って来るのはもう七年ぶりだが、しかしここの空気は前と変わり無く悪戯にじっとり錆びている。それに嫌気がさす。まるでかっこうをつけている虚偽な国なのだ。俺は先程買った熱いショコラを飲み干すと道を下りて、質素な中世美術館の鉄柵の前に出る。まわりに植えてある銀杏の山吹色や楡の金色の落ち葉が芝生に散らばって、その洗礼を受けながら子供達が小鳥に餌をやっている。俺はそれを見ながら館内に入り込んだ。懐かしい匂いがする。今時の時刻には館内にはほとんど人影のないことは昔の経験で知っていた。色硝子をはめこんだ窓から晩秋の微光が洩れて、館内には二、三人の番人が隅に腰をかけているほか、誰も訪れてはいない。展示物は前に来ていた時と変わっておらず、俺はリルケが「マルテの手記」で描いたゴブラン織りの一角獣を眺めた。相変わらずそこに堂々と居座っている。私の場所だよ、お前とは違ってずっとここにいるんだよ、と誇っているようにも見えた。それからいくつもの古い聖人像の前に立ち止まり、俺は、漸く俺が失った大切なものの一つの前に進むのだ。七年前に俺が失った大切なものの一つ。それは、誰が作ったのかわからないキリストの死に顔の像の中にただあった。脂汗と苦しみとが滲んでいる残酷な顔。頬骨が突き出て鼻の肉もそげている。唇は残った気力まで消耗し尽くしている。いくら表現してもしたりないが、ただこの丸い顔の塊からいつもなにか目を射るような光が発しているのだ。俺はそれを一心に感じながらこの像と幾度と無く顔を合わせていた。七年前の話だ。俺はこの像のように目を射る光を発するものを自分も創りたいと思い、彫刻家になるためにこの地へやってきた。しかし俺みたいな芸術家かぶれみたいなやつはいっぱい、それこそ腐るくらい居た。無理もない、ここはパリなのだ。自分は周りとは違うセンスを持った才能のある人間だ、と恐ろしいくらいに自分を買いかぶった変人が住む場所なのだ。しかしそんなところだというのも露知らず、なかなか上手く能力を発揮できなかった俺は、一度故郷に戻って弟と生活すると次第にこの光への執着を少しずつ失ってしまった。そしてその代償として今身につけているトゥイードのコートまで買うことが出来るような、余裕ある金を得ることが出来るのだ。つまり生活できているのだ。俺はあの時、自分の純粋で尖った心の囁きに耳をふさぎ、もう一つの安易な声を聞いたことを心の隅でいつも恥ずかしく思っている。あの時の俺の心境を思い返せばまだ報われるような気がしたが、所詮気がしただけだった。





空は曇っていたが、それと同じように少し憂鬱な気持ちで俺は美術館を出た。コートに手を突っ込みながら街中を歩き、街灯に引っ付くようにしてある街の時計を見た。それは午後4時を指していて、まだあいつとの待ち合わせの時間にはいささか早い時間帯だった。この一時間をどうやって過ごそうかと考えていると、ふと今から部屋を訪ねてみようかという気が俺の胸のなかに起こった。昨夜もそうだったが、あいつは俺が自分の下宿先を訪ねるのを避けようとしているようだった。そしてそのことがより俺の気持ちを訪ねる方向へ導いた。もしかしたら新しい恋人がいるのかもしれないという怪しい疑惑が頭をかすめた。二十数歳にもなる男なのだから恋人の一人くらい存在しても不思議ではないのに、いざとなるとこの想像は理由も無く不愉快だった。昨夜あいつがタクシーの中で煙草の匂いをさせていたのに気付いた時と同じような嫌な感じが込み上げてきたのだ。俺はずっと腕と胴体の間に挟んでいた黒いバックの中をごそごそと掻いて、あいつから俺の地元に送ってきた手紙を探して取り出した。ひっくり返して差し出し先の住所を確認する。地下鉄を一つ乗り換えて俺はコンコルドまで引き返した。あいつが住んでいるのはフランス人の家で、アイルランドに送って来る手紙にはいつもこの家庭が親身も及ばないくらいに親切であることを書き連ねていた。そして部屋の窓からは川や革命広場をみることができるのだとのべてあった。パリで家を探し出すのはそんなに難しい事ではない。道を挟んで奇数番号の家が片側に、偶数番号がもう一方に並んでいるからだ。俺はそのフランス人とやらのあかるい家の前に立ってすこし躊躇ったが、思い切って呼び鈴を押すと、門番らしい老人がなにかを食べながら出てきた。う、と言葉が詰まる。俺があいつの名前を言うと、口を動かしながら汚れた手で建物の裏を指差した。意味が分からずに聞き直すと、彼なら今裏の入口から入った六階に住んでいるのだと答えた。老人に感謝して建物の裏口にまわると下水が壊れているのか地面が濡れている。その濡れた地面には玉葱や馬鈴薯の皮なんかが汚らしく散らばっていた。裏口は洞穴みたいに暗く安い油の匂いがして、そこから狭い階段を上っていった。なんだよ親身なフランス人なんて見かけやしねえじゃねえか。六階の廊下につくと子供の大きな泣き声が聞こえた。あなぐらみたいな部屋が幾つか並んでいて、部屋の陰から大きな黒人の女が顔を出した。子供の泣き声はここから響いて来る、たくさんの薄汚れた下着が壁の両端に結んだ網に干してあったのを目にした。俺は一つの扉の前に立ち、そこに貼付けてある名札を眺めていると、先程の女が出てきて、俺の言葉を聞くと合鍵を持ってきてくれた。どうやら俺の名前をあいつの口から聞いたことがあるらしい。まあ随分と安易に人の鍵を渡すものだ。しかし一応礼を言い、ぎし、と音を立ててドアを開けると、そこの部屋は暗くて寒くて小さかった。ここはパリでもっとも貧しい人々が住む屋根裏部屋に間違いなかった。ニスがべらりと剥げた古い木製の洋服ダンスが一つ、鉄製のベットが一つ、小さな窓の硝子にはひびが入っていた。俺はしばらくの間固いベッドの上に腰掛けて、ペンキこそ塗ってはあるがむきだしになって天井に這う幾つもの鉄管を見つめた。
(要するに…こんなもんだったのか)
親身なフランス人など居ない。窓から広場なんて何処にも見当たらない。あの手紙はあいつの未来の想像図が所狭しと注ぎ込まれた幻想のものだった。ため息をつく。昔のほうがまだましな環境の下で住んでいたはずだ。洋服ダンスに手をかけると軋んだ音と一緒に扉があいた。かけてある洋服は七年前のものと変わらなかった。俺があげたりした古いものばかりで、着古してくたくたになった感じが否めなかった。もう居心地が悪いというレベルなんてとうに越していた。部屋の扉を閉めると俺は足音を消して廊下にゆっくりと出た。鍵をくれた女は両手に腰をあてて監視でもしているかのようにこっちを覗いていた。






落下した芸術
(挙げ句の果てに剥がれたプライド)



※続きます



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