※「貴方のお家は何処ですか?」その後









はっきり言って、自分の頭か感覚がおかしくなってるんじゃないかと思う。冗談ではない、本気でそう思う。恋人達が今日にかこつけて愛を囁きあう聖夜に、ニールはソファーにゆったりと腰掛けて自分でブレンドした紅茶を味わいながら同居人の様子を観察していた。一昨日から自分の家に住み込んでいるアレルヤは、今クリスマスを祝うための料理を作っていて狭いキッチンをうろちょろと歩き回っている。ニールの目が無意識のうちにそれを追いかける。さすがに今日くらいはゆっくり休みたいと思い先程店から早めに上がりをもらって帰ってきたので、まだ9時もまわっていないという頃合いだ。オーナーに散々文句を言われた。
「今日がどれだけ大事な日なのかわかっているんですか。貴方などパティシエの風上にも置けない。当たり前ですが今日は有休など認めませんし勝手にしたらいい」
この時のティエリアの声といったら、吹雪だって暖かく感じるくらいの威力だった。しかしニールはそれでもアレルヤと過ごすほうを優先して帰路を辿ると、家ではもうアレルヤがあれこれと作業していた。どこから見つけ出したのか、緑色の自分のエプロンを身に纏っていたアレルヤを見て、ニールはまるで新妻のようだと苦笑いしたが、それを聞いたアレルヤがほんの少したじろいだのにはニールは気づけなかった。部屋着に着替え、オーナーに無理を言って早い暇を貰ってきたんだ、折角だからなにか手伝えないかとアレルヤに言ったのだが、二人でキッチンに立つと狭いし何もしなくていいからゆっくり休んで待っててくださいとソファーに半ば無理矢理座らされた。そんなに狭くはないと思うのだが。しかし言われるがままにすること無く紅茶で一杯くつろいでいる。そういえば、大抵は帰宅する前にすべてが終わっているのでアレルヤが家事をするのをきちんと見るのはこれがはじめてだ。もしかしたら料理に手出しをされたくないのかもしれない、まあいい、とニールは思い直した。こうやってクリスマスをゆっくり過ごすのも悪くないし、あれこれと作業するアレルヤを観察するのに気を取られていてある意味暇ではない。むしろ暇潰しにと思って開けていた本も、前回読んだ栞のところからまだ二、三ページしか読み進めていない。読もうと思ってもその度に視界の端々にちらりと垣間見えるアレルヤが何故か気になって仕方なくなり本に対する注意力が散漫状態になるのだ。覗き込んでオーブンの温度を調節していたり、とんとんとリズム良く材料を切っていたり、真剣な眼差しで盛り付けにこだわっていたり。どれも大して珍しい行動ではないしアレルヤは料理慣れしているので危なっかしいところも無い。それなのにニールの目線はほとんどアレルヤに釘付けだった。これは家事をしてくれているからという贔屓目なのかもしれないが、アレルヤの行動のひとつひとつにはなんというか――男性に使うのは少し気が引けるが――けなげさとでもいえばいいのだろうか、とにかくニールの胸が柄にもなく締め付けられるような要素が時々隠れていたりするのだ。例えば味見をするために人差し指の腹のところをぺろりと舐めるその舌、そのあひるのように尖らせた唇のぷくっとした膨らみ具合だったり、満足げに笑った時の目尻のさがりかたであったり。一体どこを見つめているんだ俺は、と戒めてみたはいいが、その意思とは裏腹に、不覚にもその唇を指で触ってみたいという気持ちはありえないくらいに意識を占めていた。そこだけじゃない、器用に調理するその指、腕、エプロンの隙間から見える締まった腰、そのすべてに一度でもいいから不審に思われることなく触れてみたい。下心ではないと言えば嘘になる。なんせいつの間にかそれをありありと想像する自分がいるのだから言い訳はできない。いきなり触りでもしたなら、きっとアレルヤはどうしたんですかとあわてふためいてほんのり顔を赤くして……いや、現実はそうではないかもしれない。アレルヤには今までのことがある。あんな純粋そうな顔つきでも、つい最近まで何の嫌悪感もなく身体を売ってきたやつだ(今は俺が家に住まわせているだけで追い出したらまた売りを始めるかもしれない)、俺が触ってもたいした反応をせずにそのまま欲に身を任せ誘ってくる可能性の方が高い。そう思うとニールは変に苦い虫を噛み潰したような顔になった。もしかして、あいつにとっては俺もあいつが今までに出会ってきた下品で気持ち悪いと勝手に想像している奴らの延長線上の人間なんだろうか。セックスをしないところ以外存在意義は変わらないのだろうか。アレルヤにとって俺は一体どんなポジションにいるのだろう。命を助けてくれた恩人?家に泊めてくれる都合のよい家主?ただのお節介焼き?同じ年代という観点からの友人?自分が想像し得る限りの色んな立場を考えてみたが、その中に俺が満足することのできるものは何一つ無かった。ほら、やっぱり俺の頭はおかしいらしい。ニールは次々と暴走する脳を鎮めるように紅茶をがぶ飲みした。







「ニール、できたよ」
アレルヤはエプロンを外しながら声をかけた。ささやかながら二人分の晩餐の完成だ。特に凝った料理はしなかったのでクリスマスという感じはしない。ちょっとだけ味気無いが、ニールはこれで充分だよと言ってくれた。
「乾杯」
二人で向かうように座って、ニールが開けてくれたワインを軽く揺らした。アレルヤは楽しくて仕方ない。一度もまともに一緒に食事が出来なかったのに、クリスマスという素敵な日に二人で祝えるなんてなんてロマンチックなんだろう。それに早く帰ってきてくれたニールの心遣いが嬉しい。今までこんなことをしてくれる人に会ったことは無かった。
「お、美味い」
料理を口にしたニールが顔を綻ばせた。それをみてアレルヤも満足してワインを飲む。彼がジャガ芋料理好きなのはもう分析済みだ。普段の食事の時にジャガ芋を使った料理の時は猫も困るくらいに綺麗になったお皿が流し台に置いてあるのだから。彼は自分のことについてあまり積極的には教えてくれようしないので、普段の生活からいつの間にか彼の好きなものなどを探り当てるのが癖になっていた。ここ二日間くらいで彼の癖を言い切れないくらい沢山見つけた。ボタンを押すのが何故か薬指だということ、朝と夜に飲む紅茶の茶葉が決まっていること、火傷したら耳たぶに指をあててぎゅっと握ること、髪の毛は自然乾燥に任せること。それを彼に知られることなく見つけることで勝手に自己満足している僕の心理状態はいったいどういうことになっているんだろう。
「これ、凄く上等なワインじゃないんですか?口当たりが滑らかで味も深いよ」
お酒に関してはあまり詳しくないし飲んでもいないが、これは恐らく安くない。
「そんなもんお前さんは気にしなくていい、クリスマスにアレルヤと飲むために買ってきたんだから」
ニールはジャガ芋のビシソワーズを口に運びながら笑った。軽くごまかされた感は否めないけど、僕と飲むために。そのフレーズを聞くだけで僕の心が舞い上がることを彼は知っているのだろうか。彼は僕に対等どころかもっと良心的に付き合ってくれている。いつも小さなケーキを一つ持ってきてくれるし、今日みたいに僕のためにしてくれることも沢山ある。僕はそれらに今まで慣れていなかった分、ニールが実際に与えていると自覚している以上の愛情を感じないわけが無かった。食事を口に運びつつ、僕達は他愛もない話をした。本当にどうでもいいことでも彼が話せばそれはまるでお伽話みたいなきらきらしたものになるから不思議だ。それに対して自分の語彙力や話す技術の無さといったら笑える。でも彼はなんでも愉しそうに聞いてくれるから、食事が終わっても僕達の話はダラダラと続いて、ソファーに二人で座ってつまらないバカ騒ぎをしている若い人達が映るテレビを見ながらもそれは途絶えなかった。話すことが無くなって黙っても居心地は悪くならないのは初めての経験。ニールはぼうっと画面を見つめながら、なんか久しぶりすぎて懐かしい、とぽつりと呟いた。僕は思わず隣にいる彼を見る。
「クリスマスを誰かと過ごすのなんて何年ぶりだろうな」
「弟さんは結局来ないのかな」
「あいつは今頃どっかに上がり込んでるかデートかなんかだろ、最近付き合いが極端に悪くなってきたから」
「そう……残念だね」
「まあな。……でもいいな、なんかこういうの。すっげえ落ち着くし」
「うん」
彼の瞳の中で光りがちかちか瞬いている。テレビの色彩が映っているだけなのにとても綺麗だ。少なくとも今は僕だけが知っている彼だと思うと愛おしくなった。彼に纏わる景色は全て記憶しておきたかった。別に明日ここを出て行かなければならないわけでもないのに、こうやって無理矢理思い出を造り出すのは昔からの良くも悪くもある習慣だった。いつかまた一人になった時、頭の中の引き出しを開けてこれらを見つめて安心するために作った習慣だ。
「僕、あの時にニールに声をかけてもらえて本当に良かったよ。あのままだったら今ごろどうなっていたか…」
「凍え死ぬか、誰か他の奴に拾われてたかどっちかだろうな」
はそういって、首だけ動かして僕の方を見た。優しさの中に少し何かを射抜くような細い芯が見えた気がした。
「うん、でも連れ出してくれたのがあなただから嬉しいよ」
「どういう意味だ?」
「そっくりそのままの意味。ニールほど大切にしてくれる人は初めてだから」
僕は気恥ずかしくて、目線をわずかにごまかしながら正直に言った。クリスマスだから少しくらいこういうことを言っても許されるような気がした、逆に今日じゃなかったら絶対に言えない言葉。雰囲気の持つ力は時として絶大だ。
「…………アレルヤはさ、」
「はい」
「そういうこと、アレルヤに優しい奴には誰にでもいうのか?」
「え…?」
視線をテレビに戻そうとしたら、ニールが突然言った。彼のその声はテレビの雑音とは違う次元から聞こえた気がした。見上げるとがっちり視線が絡む。すぐに答えるべき言葉が見つからず、いきあたりばったりな言葉を使うには少し勇気が足りなかった。だって僕は今まで寝るところを与えてくれる人になら誰にでも媚びる人間として生きてきた。生きるために必要なことなのだから後悔はしていない。ただ、そのことを彼は知っているという事実があり、だからこそ僕は彼に好意を抱いていることを伝えられなかった。「どうせこいつは俺の機嫌を取るために言っているんだ」と思われたくない、ニールにだけはそう思われたくない。でもうまく言葉にできずに返しに戸惑って黙っていると、彼は答えない僕に不満を感じたのか語気を僅かに強めて言った。
「優しい奴のところならどこでもいいのか?俺よりも金持ちでもっといい家を提供してやれる奴がいたら、そいつのところで今俺に言ったことをそのまま言うのか?」
「ニール……僕は」
「今日お前を見ながらずっと考えてた。もし、もし俺がアレルヤを抱きしめたら、その瞬間にお前にとっての俺はお前がこれまで会ってきた奴らと同じ人間になるのかなー、とか、さ」
「……違うよ」
僕はきっぱりと首を横に振った。
「前の人達は、僕を助けるために家に入れてはくれなかった。僕のことを手に入れるために家に入れたに過ぎないんだよ。意味が全然違うんだ。それに、何の見返りを求めずに泊めてくれる家なんて今時ほとんど無いよ。人間は常に欲で行動する生き物だから仕方の無いことではあるけど。その証拠に、ニールだって家事を条件にしているでしょう?それとおな」
「違う」
ニールはいきなり僕の手を握ってきた。ものすごく温かかくて肌にじんわりと伝わった。この熱を宿しているニールが今僕のことを考えてくれているんだと思っただけでなんとなく心が勇んだ。
「家事なんてしてくれなくていい。確かに楽だけど、そんなものは俺一人でなんとでもなる。俺は……、俺はお前がまた夜の中に戻るのが嫌なんだ。他の欲まみれな奴らのところにアレルヤが行くのを止めたかった。傍においておきたかっただけなんだ」
「そんなに人に優しいエゴイズム、聞いたことが無いよ」
笑うと、彼は腑に落ちない顔でそうか?と言った。
「でも本当なんだ、信じてくれ」
「もちろん信じるよ。でもニール、貴方のその気持ちって…」
僕も彼の手を空いている手で包み込んだ。僕の汚れた手が、彼の大きな手と重なり合うことで少しだけ純化できるような気がしたから。
「……僕に対する同情?」
「いいや、もはや愛着だな」
そういって、彼は唐突に僕にキスをした。一体どの言葉でそうしようと思ったのかはわからないけれど、彼の唇は僕が彼から貰ってきたどのケーキよりも甘くて柔らかくてそしてなによりも、心を溶かすくらいに優しい幸せな味がした。






何と何を混ぜれば白になるの
(答えは神様と貴方だけが知っている)




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