上司の言うことは絶対だから逆らうなんて選択肢は始めから毛頭有りはしないのが現実社会。上司がどんなに酔っ払っている時でも言っていることに従うのが妥当で、ごく当たり前で普通のことだと思われているのがこの社会だ。大人の世界には本当に面倒臭い暗黙の了解があるなと僕はめっほう困ってため息をついた。もう夜はとっぷりと暮れているというのに、中途半端に賑やかなネオンが彩るこの繁華街に活気を吸い取られていてちっとも静かじゃない。人の声がざわざわしていてこの通りは昼よりも夜の方が騒がしい。そしてこの場所でこの人のお酒に付き合うのも一体何回目だろう。
「スメラギさん、ほらしっかり」
「なあによぅまだいけるわよお」
僕に肩を担がれるようにしてフラフラと歩く彼女は誰がどう見ても大丈夫ではない。もう軽く三軒ぐらいは居酒屋をはしごしているし、その度に浴びるようにお酒を飲みまくっている。折角毎日丁寧にアイロンをかけているスーツも彼女が寄り掛かっているおかげでもう皺がよっている。だからといって上司に怒る権利なんて持ってないからどうとも言えない。彼女は基本的に優しくて不安定で色気があって仕事を完璧にこなすいい人なんだけれど、そこにお酒が入るとどうも制御が効かないらしかった。それに無理矢理タクシーに押し込もうとすると駄々をこねるように嫌がるのでこうやってずるずると引きずるように歩いて行くしかない。帰路は彼女の家だ。
「あ、そこを右にまがって〜」
「あの大きな看板の所ですか?」
「そおそお」
せめてもの救いは僕がお酒に強いということだった。今まで相当飲んできたけど酔っ払ったことは一度も無い。こうしてスメラギさんに最後まで付き合えるのは同僚や飲み仲間の中で僕だけだからいつも皆で飲んでも最終的には二人になってしまうのが常。だけど彼女の家まで付いていくのはこれが始めてだ。一応スメラギさんの道案内に従って歩いてはいるけれど、この道の先に家なんてあっただろうかと僕は首を傾げた。あまりこの辺りは歩いたことがないから確信はない。
「あの…先輩、家ってここら辺にあるんですか?結構お店まだ並んでますよ」
「いーから歩いて」
機嫌を損ねないようおそるおそる聞いてみたのにぶすっとした声でそう言われたらもう抵抗はできない。はい、とうなだれながら彼女の指示通りに歩を進めた。今の返事で行き先が彼女の自宅ではないことが確定したも同然だ。







そして20分後、「ここよ、ストップ」とスメラギさんに止められた場所を見て僕は目を見開いた。
「ここホストクラブじゃないですか!」
「ええそうよ?」
てっきりまた居酒屋に行くのだろうと考えていた僕の思考が斜めから切り込まれた。黒くてよく磨かれた大理石が落ち着いた照明に煌めいているクラシックな彩りが紛れも無くホストっぽい雰囲気を醸し出していて、外観に金色の装飾が上品にあしらわれている。行き道に見たような安っぽいものとはあまりにも違う高級感に僕はただ固まっていた。まさか今からここに入るのだろうか、こんないかにもお金がかかりそうな所に。呆然と突っ立っている僕をよそに、スメラギさんはひょいと離れて大きく背伸びした。さっきまで意識ここにあらずといった感じで歩いていたのに何故かいきなり復活している。なんというか、女性は何処までも不思議な生き物だ。
「さーて行くわよ」
「わよって…僕も入るんですか!?」
「当たり前じゃない、何のためにここまで連れて来てあげたと思ってるの」
いや連れて来てあげたのは僕なんですが、と言ってやや後ずさった小さな抵抗をよそに、彼女は僕の腕をしっかり掴んだまま階段を下りはじめた。店本体は地下にあるらしい。今度は形勢逆転で、まるで僕が引きずられるようにして階段を下りた。
「ここねぇ、私の友人が経営してるの。私も立ち上げる時に資金を提供してあげたから比較的安く飲めるのよ?」
「そ、そうなんですか、っていうか僕まず男だしもう帰りたいんですけど…!」
「駄目。せっかく私がおごってあげるって言ってるんだから喜びなさいよ。それにここ、貴方以外には教えてないんだから」
得意げにそう言うと、スメラギさんは階段を下りた先にある真っ黒な扉の前まで僕を連れて来た。明日は貴重な休日だというのにここで夜を明かすのか。今日は録画しておいた映画をハレルヤと観る予定だったから、これから家に帰ってもこっぴどく怒られるに違いない。仕方ないけど今はスメラギさんに従うしか安全な道はないようだ。観念した僕をみてスメラギさんは満足したらしく、にっこり微笑んで扉を開けた。
「来たわよー!」
勢いよく中に入っていくスメラギさんの後をしぶしぶ付いていった。やはりホストクラブというだけあって、煌めくシャンデリアやランプの照明はやや暗めだ。内部も黒いシックなデザイン傾向が強くて、どちらかといえば若干大人向けっぽそうな場所だった。きゃあきゃあと笑ったり叫んだりしてお酒楽しむ感じではなさそうだ。とはいっても今までホストクラブに来たことが無いのであくまでも空想の域は出ないけれど。
「いらっしゃいませ」
内装をじろじろと見ていると、どこからともなく男性がやって来た。人当たりのよさそうな好青年で、にこにこしながらスメラギさんの荷物や上着を受けとる。
「お久しぶりです」
「久しぶりね沙慈。あら、髪型よく似合ってるわよ。前より落ち着いてる」
「ありがとうございます。…そちらはお連れ様ですか?初めて見えた方ですね」
沙慈という男性がこちらを見て丁寧にお辞儀したので、僕もそれにつられて慌てて深々と頭を下げた。すると笑顔のまま手を伸ばしてきたので何かと思えば、慣れた手つきで僕の荷物をひょいと腕からとっていった。
「お二人様でよろしいですか」
「ええ。いつもの席空いてる?」
「もちろん空いてございます、ご案内しますのでこちらへどうぞ」
彼の後に続いて店内を歩く。行く途中で他に来ているお客さんを見たけど、どの人も皆社会的な地位をある程度獲得したような人達に見えた。スメラギさんはおごってくれると言ったけど大丈夫なんだろうか、間違いなく此処は高いと思う。
「こちらです。どうぞごゆっくり」
ある一角のスペースに案内された。長いソファーのがすこし丸く反った感じで、どこにでも座れるようになっている。そして真ん中にはガラス張りの曇り一つない横長テーブルが配置されていた。スメラギさんが座った隣にそわそわしながら座ると、なんでそんなに近いのよと文句を言われた。仕方なく少しスペースを開けて座りなおす。勝手が分からなさ過ぎて戸惑うばかりだ。大体男性客が殆ど居ないのにくつろげと言われるほうが無茶だと思う。
「お飲みものはどうなさいますか」
沙慈が尋ねると、メニューを見ないままスメラギさんは「そんなに強くないものがいいわ、さっきも飲んできたの」と言い軽くあしらった。かしこまりました、すぐに持って来させますと一礼して沙慈は去った。
「ス、スメラギさん…僕かなり浮いてないですか?男だし……」
「大丈夫、すぐ誰か来るからそのうち慣れるって。男も惚れるイケメン揃いなんだからきっとあなたも気に入るわよ」
駄目だ…この人全然僕の話を聞いていない。仕方ないのでお酒が飲めるだけでも儲けものというくらいに考えておこう、と僕はもう何回目か分からないため息をついた。すると程なくして、三人の男性がこのスペースにやって来た。どの人もものすごくかっこよくて、それぞれが趣味のいいスーツに見を収めている。手には何本かのボトルとグラス。スメラギさんは「待ってたわよー」と急に甘えた口調になった。お酒を待っていたのか人を待っていたのか。
「あら今日はロックオンもいるの?」
「ああ、ちょうど今さっきお客さんがさばけたとこだったんだよ」
その中でも一際目をひく男性が返事をした。茶色くて巻いてある髪の毛が肩までかかっていて灰色のスーツによく映えている。黒いシャツのボタンを胸元まで外しているあたりがいかにもホストっぽい。
「ラッキーね。アレルヤ、ロックオンってNo.1ホストなのよ」
「はあ………」
「せっかくのチャンスなんだから、あなたはロックオンに癒されなさいな」
「そんな、スメラギさんは」
「私は残念だけど彼は好みじゃないの」
スメラギさんはロックオンという人を僕の隣に座るように指示して、自分は他の一人に手を振った。No.1よりもお気に入りのホステスさんがいるらしい。もう一人の男性もスメラギさんの横に座り、それを見たロックオンが微笑みつつ僕の隣に座ってきた。僕ががちがちなのは言うまでもない。
「はじめまして」
「どっどうも…」
間近でみたら彼がNo.1だと言われるのにも頷けた。目鼻立ちがはっきりしているのに鋭くなく、人懐っこそうな目には綺麗な瞳が閉じ込められていて、初対面なのに思わず見つめてしまう。ふわりと甘い香水の匂いが彼の体から漂ってくる。僕だったら絶対に選びそうもない香りだ。
「そんなにかたくならないでください、俺だって緊張してるんですから」
「あ、はい…。No.1のロックオンさんでも緊張したりするんですね」
そう言うと、ロックオンは薄く笑って二つ分のグラスに氷を入れた。
「しますよ、俺も人間ですから。それに…」
グラスになみなみとお酒を注いだ後、そのうちの一つを僕に手渡して言った。
「アレルヤさん、男の俺が見惚れるくらいにかっこいいから、ね」
あまりに歯の浮く台詞に否定さえ出来なかった。じゃあ乾杯しましょうか、と言われて僕はなされるがままにグラスを上げる。完全にペースがのっとられてしまった、いや最初からか。さすがホストとでも言うべきテクニックだ。
「今晩の俺達の出逢いに」
そういってグラスを鳴らした彼は、誰もが一瞬でとろけて恋に堕ちてしまいそうな顔で優しく微笑んだ。







ほのくらい眩惑の中でも
(あなたとは確かに逢いました)


※続く




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