今日は終礼を告げる鐘がなるよりも前に終礼が終わり、辺りがやたらと騒がしくなった。まあいつものことだ。もう正規の授業が無いから喜び勇んで帰りの準備をするやつがいれば、この後も課外授業があるために愚痴を零しながら準備をするやつ、部活のために早々と教室を出るやつもいる。いずれにせよこの三つのが合わさっているこの時間は教室中が一気に活気に沸く。その中にもちろん俺も含まれていた。真ん中の列の、一番後ろの席が俺の席だ。この席は案外面白い。後ろだから色んなやつがやっている内職を盗み見できるし、次の時間の予習がやばい時にはその時間の内にコソコソとやることができる。だが、そんなことは今は問題じゃない。しまったなー、とニールは軽く舌打ちした。俺は今日課外の国語を選択していたのだが、それに使うテキストをどうやら忘れてしまった様なのだ。どこかに混じってないかと何度も机の中や鞄の中を見て確認してみたが、やはり探し物は見つからない。探し物が忘れ物へと確定した。思い返してみると、昨日の夜に確か予習を家で終わらせて、そのまま机に置きっぱなしだったような気がする。あーあ、嫌なパターンだなまったく。しかも最悪なことに、今日はいつも国語を担当している先生が出張のために違う先生が課外にやって来るのだ。高校には数多くの先生がいるから時々このような事になる。今日来る先生が誰なのかは知らないが、いきなりテキストを忘れてくる生徒に好印象を持つやつなんていない。ニールはため息をついて机の上に顎を乗せた。まだ授業が始まるまでに10分ある。今のうちに職員室へ行ってその先生にコピーしてもらおうかとも思ったが、まず高校の先生は生徒一人のためにコピーなんてあんまりしてくれないし、一階に降りて顔も知らない先生を探すのはあまりに面倒臭い。
「うぇー……さいあく……」
呟くと、足を組んで偉そうに隣に座っているミハエルが眉を上げた。
「どーしたんだよ。珍しいな」
「課外のテキスト忘れた…」
「あー、赤いやつ?」
「それそれ。予習したら忘れてきた」
顔を机にくっつけたまま顔を向けると、ミハエルらさも楽しそうにキシシと笑った。くそっいい気になりやがって。
「あ、そーいえば今から教えるらしい先公の顔見たぜ。目が尖ってて体もがっしりしてて結構強そうな奴だったなあ」
「男かよ!?」
ミハエルのこれみよがしな台詞に、ますます気が滅入った。いつもの国語の先生が女性だったから何となく女性像を頭に思い描いていたのに、まさか男とはなんという不幸だろう。何ぃ?初っ端から忘れ物など怪しからん!罰として頭出せ!と言われる自分を想像して脱力した。その様子を見たミハエルはにやりと口角を上げた。
「優等生のニール様が雷喰らうのかあ!こりゃあいい見物になりそうだな。おい、移動すんぜニール様」
ふと周りを見渡すとクラスの半分程が教室を出ており、まばらになった生徒が前に詰めて改めて席についていた。選択した者のみが受ける課外は全員では受けないので、こういう時は前に詰めて座る決まりになっているのだ。ニールはもう一度ため息をついて重い腰を上げるようにして椅子から立ち上がった。






課外開始の鐘が鳴る。と同時に、教室の戸を開けて一人の男性が入ってきた。話し声で満たされていた教室が一気に静まる。怖いからなどではなく、この先生のキャラクターを見極めるためだ。ニールもそれに倣って友人とふざけあうのをやめ、その男性教師をまじまじと観察した。もちろん先生の目につかないようになるべく後ろの方に席をとったのは言うまでもない。その男性は確かにミハエルの言う通りで、体ががっしりとしていて、パリッとした白いシャツ越しでもその体格がよく分かる。体育の先生だってここまで鍛え上げられた体はしていない。顔もそれなりにしっかりした面で、細長く切れた目元やすっとした面長さが強そうな雰囲気を醸し出している。うわ、殴られたら絶対痛いなこれは。ますます忘れ物しただなんてことは言えない、とニールは固まった。日直が号令をかけて起立し礼をすると、その先生も軽く一礼する。皆が席につくと、先生は出欠を取ってから教卓に両手をついた。
「えーと、まず自己紹介からかな。今日はいつも鞭撻を取る絹江先生が出張なので代わりに来ました、アレルヤ・ハプティズムです。普段は一年生に教えてるので滅多に会う事はないけど、この時間はよろしく」
意外にも声は高かったのでニールは少し調子が狂った。俺よりも高い。もっと低くて厳格な声だと予想していたのだ。いちいちビクビクする自分を尻目にミハエルがずっとニヤついているのが遠目に見えたので、ニールは思いっきり睨みつけた。しかしあれだけの紹介文ではまだどんな性格か分からないので安易に挙手するわけにはいかない。だがアレルヤと名乗った先生は他に何も言うことなく、「じゃあこのテキストの69頁からいくよ」と授業を進めた。生徒も特に何かを質問するわけでもなく指示に従って頁をめくる。俺はごまかすためにとりあえず開いている別のノートを手持ち無沙汰に弄りながらいつ問いが当てられるかそわそわする一方だったが、授業を進めるうちにアレルヤ先生は特に厳しくない優しめの先生だということが分かってきた。先生がした質問の答えを生徒が間違っても諌めることなく、少しずつ解答へ導かせていって最後には「よくできました」と褒める。生徒同士で交わされている疑問なども速やかに聞き取って、一番知りたい所を分かりやすく教えてくれる。申し訳ないが、絹江先生よりもかなり分かりやすい。板書が間違っていたのを生徒が恐る恐る指摘すると「あっごめんね」と素直に謝るところなんか、男ながら少し可愛いげがあると思ったくらいだ。普段はぶっすりと怠慢な態度で授業に出るミハエルも、今日この授業ばかりは真面目な態度を見せていて珍しい。もしかしたら先生も緊張していたのかもしれない、段々とこのクラスの雰囲気に馴染んできたらしく、時折微笑みまで見せていた。その笑みは周りを癒すように優しくて、それにつられて生徒達も警戒心をすっかり解き和やかな授業風景を生み出している。大したものだと頬杖をつく。高校生をものの15分足らずで馴らしてしまうとはなかなかなもの。………だなんて余裕ぶっているから、きたるべき災難がニールに降り懸かった。授業も半ばに差し掛かった頃、アレルヤはうーんと迷って、教卓の上にある座席一覧表を見る。
「じゃあこの発展問題を…ディランディ君?かな?難しいけどお願いします」
きた。こういう日に限って質問が当たるのはもう呪いかなにかだとしか思えない。忘れた日に当たるのは鉄則。どうしようかと思いつつ隣のやつの解答を盗み見たがそこは空白だった。畜生、昨晩そこは予習していた時に解けていた問題だったんだ。何だったっけ…思い出せ俺!
「ディランディ君?」
アレルヤ先生に促されて頭が真っ白になった。駄目だもう仕方ない、正直に言ってしまおう。俺は立って、先生の方を向くとできるだけ申し訳なさそうな声を出した。
「すいません先生、そのテキストを家に忘れてきてしまいました」
「えっ?忘れてたの?でももう授業は半分くらい進んじゃったよ?」
「はい、なのでメモだけ取ってました」
クラスの半数の視線が一気に俺に集まっている中、ノートを軽く持ち上げて板書しているところを見せた。先生からは遠くて分からないだろうけどせめてものアピールだ。するとアレルヤ先生は苦笑して俺を見た。何故かどきりと胸が鳴る。
「そんな、遠慮してくれなくていいんだよ?他の先生方はあんまりしないかもしれないけど、僕は忘れた人には必ずちゃんと印刷して持ってきてあげるから。これから僕の授業がある時に忘れたら言うんだ。いい?」
「は、はい。すみません」
アレルヤ先生は本当に物腰が柔らかい。俺は心の中で大声で感謝した。
「座っていいよ」
そういわれて、俺は皆の視線のせいでそれでもわずかに体を熱くしながら座った。先生はそのあとに誰に質問しなおすわけでもなく、余談なんだけどね、と話を持ち出した。空気がふわりと先生に移る。生徒は先生の余談というものが好きだ。うとうとしているやつでも聞きたがる不思議な魅力を持っている。俺も例に漏れず、アレルヤ先生の話に耳を傾けた。
「僕が忘れた時にコピーしてあげるのには理由があってね。僕も君たちの頃に何回か忘れ物とかをしたことがあるんだ。まあ皆するとは思うんだけど。でもほら、その時って大体隣の人のを机をひっつけて、真ん中に教科書とか教材を置くでしょう」
そこまで言うと、先生は同意を求めるように生徒に視線を送った。俺はそれを見ながら、何を言うのかと言葉を待つ。
「で、二人とも真ん中に寄って一つのそれを覗き込むんだけどね。あれってほら、ね、体がちょっと引っ付くか引っ付かないかみたいな…すごく接近するでしょう、あれが僕もう恥ずかしくって恥ずかしくって、特に大好きな子ってわけじゃないのになんだかこう、むやみにどきどきしてしまって授業どころじゃなくなっちゃったりして、」
先生は周りを見ながら喋っているのにもかかわらず空気を読めていない。恥ずかしくてそれどころじゃないようだ。自分から言い出したのに顔を仄かに赤くしながら喋り続けている。大多数の生徒はただぽかーんと口を開けてその様子を見つめていたり、くすくすと笑っていたりした。なんだこのどこまでも真っ白な先生は。こんなに汚れていない淡人間がこの世にまだ存在しているだなんて。俺はもうただただアレルヤ先生を見つめるだけだ。先生の話は終わったらしいが、最後の方なんて聞こえもしなかった。まだ恥ずかしいのか、ごまかすように笑いながら「授業にもどります」と言っている。可愛すぎる、一般社会人の男にしてはあまりにも行動や思考が可愛すぎる。心臓がありえないくらいの速さで波打っている。この気持ちは一体何なんだ。俺はぐしゃぐしゃとしたやるせない変な感情を胸に宿したまま、申し訳ないが授業内容なんてさっちのけで、放課後にどうやってアレルヤ先生に話し掛けようかをとりあえず必死に考えていた。







絶滅危惧種の可愛さ
(青春とはこんなにも甘いのか)



※実話です




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