ここへ舞い戻ってきたのも、もう何年ぶりだか全然わからない。出ていったのがいつなのかもよく覚えていない。しかしこの町の匂いは脳が思い出したらしく、懐かしいという感覚がほんの少しだけあるような気がした。俺はこの町にそぐわない黒の革靴の小気味悪い音を響かせながら、真夜中の道をひっそりと歩く。安っぽい街灯が時折俺の姿を照らすだけで、あとはただの真っ暗闇だ。俺は昔町を出てからは一度もここへ来ていなかった。しかし来られなかったのではなく、それはなるべくこの町には近付かないようにしていたからだ。理由はいろいろあったが、その頃の俺はまだ不安定も甚だしく、若く、ただがむしゃらに足掻いているただの青二才だった。色んな苦しみからただ逃れるためだけに町を出た、ケツの青い意気がり野郎だったってわけだ。あの時あいつの言う通りにしていればこんなことにはならなかっただろうが、俺は他人の(それも親密な)力に関わったまま生きるのが嫌だった。簡単にいえば独立したかった。こうやって結果的には親切に対して反発するところをみると、俺は多分馴れ合いが嫌いだ。勢いだけはいっちょ前だったが、それだけで過ごして行けるほどこの世は甘くない。それがむやみに町を出て、俺が一番初めに感じた事だった。色んなことをしてきたが結局まともな仕事にありつける訳も無かった。しかし今の俺は違う。俺は社会のルールに馴染めなかった堕落者として生きていくことより、堕落者が作ったルールに馴染んで処世する手段を選んだ。こっちの方が俺にとってはかなりの好都合だった。実力のあるやつだけが生き残れる世界が大した特技も教養もない俺にとってどれだけ魅力的だったかなんて言うまでもない。むしろこっちの世界の方がより堅実じゃないかと思うくらいに単純でわかりやすい。………まあそんなことはどうでもいい、とにかく俺はやっとここまで上り詰めた。一人で生きて行ける以上の、それに安定した金を稼げるようになったんだ。あとは迎えに行くだけ、その下見に今こうしてやって来ている。
「…………ここか」
俺は一軒の家の前で立ち止まった。木造の一階建ての家で、明かりがついている所を見るとどうやら帰宅しているらしい。この辺りの家からすりゃあなかなか立派なもんだが、おそらく借家だろう。あのちっぽけな収入しか出ない商売なんかでこんな家が買えるわけがないし、苦労症といってもいいあいつのことだから毎日ぎりぎりの生活に決まってる。俺は住所が書かれた白いメモ用紙と家を見比べて確認する。やはりこの家で間違いないようだ。入って挨拶の一つでもしてやろうかと思ったが唐突に会っても混乱するだけだろうと考え直して家には上がらないことにした。そんなことをせずともこれから嫌でも会うに違いないのだから。俺はスーツの胸ポケットから皺一つない封筒を取り出し郵便受けに突っ込むと、家をしばらく見つめてから歩きだした。







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