※「貴方の息をも食らうしたたかさ」続き









「なんもないけど、どうぞ」
「おじゃまします」
家族で住むために作られた広い質素な家。通りから少し離れた住宅街の一カ所に彼の家はあった。あの通りほどの華々しさはないが、他の一軒家は皆思い思いに光で外観を彩らせている。彼の家は特にイルミネーションを付けてはいなかったものの、玄関のドアに丸い小さな緑色の輪っかが申し訳程度に飾られている。僕はこれが何と呼ばれているのかはわからないけれど、多分クリスマスに飾るものという認識はあった。彼の開けたドアの向こう側へ足を踏み入れる。中もいたってシンプルで、綺麗に片付けがされてあった。きっと彼の彼女か奥さんがまめなのだろう。しかしこの家を見渡しても女性の物品はどこにも見つからかったからいないのかもしれない。ということは彼が綺麗好きか。彼は僕に続いて家に入ると、キッチンと一緒になったリビングルームに僕を通し、指をさしてソファーに座るよう勧めた。されるがままに腰掛ける。チープな皮張りのそれは僕にはとても柔らかかった。ベンチの堅さに慣れていたから尚更そう感じた。ソファーの前のテーブルには幾つかの雑誌やリモコンや灰皿なんかが揃えて置いてあって、雑誌の表紙には美味しそうなケーキを頬張る女性が載っている。
「紅茶でいいか?」
「は、はい。ありがとうございます」
キッチンでもぞもぞ動いていた彼の方からいきなり声がした。
「種類は何がいい?色々あるぜ。ダージリン、アッサム、ディンバラにウバ…」
「あの…ど、どれでも」
紅茶はダージリンという名前しか知らないし、違いなんてよく分からない。彼は紅茶が趣味なんだろうか。適当に答えて、あとはもうただ黙りこくって目の前のテーブルを見つめつづけた。カチャカチャと食器の音が響く。一か八かで腕を取ったけど、まさか本当に家に入れてくれるとは思っていなかった。いくらなんでもこの時期に他人を家に入れるという変わった人はいないだろうなと思っていた。きっと家の人がいなくて暇だったから付き合ってくれたんだ、こういう人も探せば(いやむしろあちらから近づいてきたのか)いるものなんだ。しばらくすると、彼は両手を器用につかって紅茶やらなんやらをテーブルに運んできてくれた。茶葉のいい薫りが鼻をふわりと惑わせる。素人だけどすっごく上等な紅茶だと分かる品の良い薫りだ。彼は自分の手荷物だった白くて小さな紙製の箱を取り出し、中からこれまた美味しそうなケーキを取り出した。華美過ぎず程よい見た目のそれは恐らく彼が自分のために買ってきたものだ。
「ほんとうにお気遣いなく」
「いいから。美味いから食えって」
ソファーの僕の隣にどっかりと座って、彼は僕の方をちらりとも見ないままに紅茶を啜った。なすすべもなく僕もそろそろとカップを手にして一口飲む。僕には少し熱めだったけど冷えた体にじんわりと染み込んで、味はもちろん温かさが嬉しかった。僕は厚かましくも華奢なフォークが添えられたケーキに手を伸ばして、さくりとそれで切り分けて口に入れた。甘さは控えめがいいと時々聞くけれど、これはものすごく甘ったるい。甘ったるい上に濃厚で、紅茶で紛らわせながらそれを頬張る。ケーキだなんてほとんど食べたことがないからこれが甘すぎるのか普通ななか分からない。でもすごく美味しい。
「どうだ、美味いだろ?」
「はい。久しぶりに食べました」
フォークで形を崩しながら食べていく僕に一瞥もくれず、やはり彼は淡々と紅茶を飲んでいた。それを見る僕。彼はモデルみたいな、本当に形がいい顔をしている。目つきが柔らかくて優しさを宿しているから、彼が僕の方を見ないのをいいことに目元ばかりを見つめつづけていた。いい加減視線に気づいた彼が顔をこちらに向ける。
「なに?なんかついてるか?」
「いいえ…」
気に障ってしまったかな。
「お前さん家族は?」
「いません」
「死んじまったのか」
「いえ、孤児院育ちです。最近孤児院にも子供が多くなってきてるので、成人した直後に追い出されました」
なるべく無心な声色を出す。あからさまに悲しい声をだしたくはない。
「そうか…………」
彼は声に同情の色を混じらせながら、カップにある紅茶を揺らした。
「で、今ホームレスなわけ」
「はい」
「いくあてが本当にないんだな」
「はい、もう全然」
「じゃー今日はとりあえず泊まれよ。大体クリスマス近くにふらふらすんのは良くない」
「すいません」
まるで父親みたいな言い方だ。赤の他人なのに諌めてくれるとは思わなかった。最後の一口を食べ終えて、僕は小皿をテーブルに戻した。本当に美味しかった。それを見ると彼は頷く。
「ご馳走様でした」
「ん、食ったか。じゃあもう遅いし疲れたし俺はもう寝る。大体俺は朝にシャワーするから今から入ってもいいぜ。ベットは丁度弟のがあるからそこで寝てくれ」
僕は彼のその言葉を聞いて、思わずキョトンと目を瞬かせた。
「あれ、一緒に寝ないんですか」
「は?一人で寝るのが淋しいのか?」
そんな子供じゃない。これでも23だ。
「淋しいって……そうじゃなくて、僕と寝るために家に入れてくれたんじゃないんですか?」
「お前さん何言ってんだ?」
「………?」
「寝るってまさか…泊めてやる礼にセックスでもすんじゃねえだろうな……」
彼はいかがわしそうな目で見てくる。その反応に僕はいよいよ混乱した。まさかって言われても、僕はいままで住むところを確保するための手段としてそれで生きてきたのに。これが普通なのに彼は何を言っているんだろう。それともからかってるのかな。真意が掴めない。
「それ以外何をするんですか…。ああ、まあ頼まれれば何でもやりますけど…」
「…………」
「………えっと…家事とか…」
「……………」
「か、肩たたきとかでも………」
彼は変な表情のまま固まっている。僕から言わせたら非常に不条理な空気のなかに紛れ込んだ言葉が、シンプルな部屋に虚しく響いた。






とんだ火にいる冬の虫
(世間知らずは一体どっち)



※続くよ!


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