今日もやっと一日が終わった。すっかり人が居なくなって活気を失ってしまった浴場を見渡すと、アレルヤはだっぴろい浴槽にちんまりと身を丸めて、両膝を腕で抱え込んだ。お湯がちゃぷちゃぷと揺れ、さざ波のように広がるのをなんとなく見つめる。…この頃、時間が過ぎるのがすごく長い。誰かが時計を止めてるんじゃないかと疑いそうになる。そして今日もニールと会話することがなかった。本当に最小限の言葉しか交わしていない。でもまあ、本来はこれが普通だから、いちいち何かを期待する自分が間違っていることは分かっている。分かってはいるのだが、それでも少し寂しかった。木札を渡された時のニールの顔を思い出す。彼は戸惑いと不安の色でいっぱいで、僕にどう接すればいいのかがわからなさそうな、そんな顔。話しかけてくれることも無くなったし、おそらく僕のことが怖いんだ。
「…………はあ…」
アレルヤは思いきりため息をついた。しんと静まり返った浴場に空しくその音が響いて、より一層惨めさが増した。このままずっとこの状態が続くのだろう。ニールの家にここより近い銭湯が出来ない限り、彼はここに通うしかない。だからなんとかしてニールが来やすくなる環境をつくるしかないけれど、自分にはそこまでする勇気も度胸もない。普通に、普通に。これが自分のなすべきことだし、それしかできない。
「やだなあ……」
ぼそりとつぶやいて、静かに浴槽から立ち上がった。てろてろと歩いて詮を抜きに回り、窓を開けて風を通す。吹き込んできた風が身を射すように切り付けてきたので思わず身震いすると、急いで脱衣所に向かった。が、戸を開けようとしたその時、何かが向こう側でゆらめくのが、分厚い擦りガラス越しに見えた。足をぴたりと止める。もしかしてお客さんだろうか。でも最後に来る常連さんは帰ってしまったし、思い当たる人も居ない。もしかして泥棒?番台に誰も居ないから入ってきたのかもしれない。アレルヤはすこし眉を寄せて警戒しながらそろそろと戸を開けた。そしてその瞬間、
「…ニール……!」
目を見開いた。そこにはなんと、もうとっくの昔に番台を後にしたはずのニールが脱衣所にある大きめの長椅子に腰掛けていたのだ。一気に心臓が跳ね上がった。なんで、いつから、なんのために。動揺したが、それを聞く前にニールが声をかけた。
「よお、また来ちまった」
「…………忘れ物、ではなくて?」
「ああ、ちょっと話したくてな」
「…………」
「…でもその前に体拭けよ、風邪ひくぞ」
「え?……あ、」
また裸なのを忘れていた。ただただニールに言われるままにわたわたと体を拭き、半ば縺れながら服を着る。どうしてこんな時間に、そしてこんな場所に。無地の白いセーターを頭から被ってはんてんに腕を通してなんとか着替え終わったが、次に何をすればいいのかが分からない。このまま突っ立っておくべきなのか、隣に座るべきなのか。なにも分からない。
「……聞きたいことがあるんだ」
ニールが落ち着いた声で言った。特に座れとも言わないので、アレルヤはますます座れなくなって、結局その場に立ったままになってしまった。
「………は、い」
「少し前に、飲んだ時があっただろ」
「はい」
「あれから何か…ちょっとアレルヤがおかしかったからさ、なんでかな、って」
「……なんで、って…」
返答に困った。それはあなたが話しかけてくれなくなったからですよ、とは言えない。ニールが物凄く真剣な眼差しでこちらを見ているのに気づいているのに、非難がましいことなんて口に出せるはずがない。
「……僕、あの日に色々と変な事をしてしまったでしょう。だからもうなるべく迷惑をかけないようにと思って、常に自粛するようにしてて………」
「…ふうん。それでよそよそしかったのか、アレルヤは」
考えるように言われて、え、と声を出した。そんなによそよそしく見えたのだろうか。なるべく前とかわらない挨拶をしていたと思っていたのに。
「…………」
「あのさ」
「はい」
「あの日の夜、俺に……その…」
「………………」
「キス、してきただろ」
「……はい」
ニールが頭をがしがしとかく。あの柔らかそうな髪の毛が乱れて、くしゃくしゃと絡むのをじっと見た。心臓がばくばくと忙しく脈を打つ。やはりこの話題について話したくてやって来たようだ。彼の緊張がこちらにまで伝わってくる。
「……あれは、誰にでもするのか」
「え?」
「いや、その……アレルヤってゲイなんだろ?俺はよく分かんねえけど、ゲイってしょっちゅうああいうこととか、すんのか?」
「しょっちゅうって、そんなことないですよ…。男の人と女の人がすることと、価値も意味も全部一緒です」
「キスもか?」
「…………はい」
アレルヤは頷いた。認めたら、きっとまた質問される。だけど嘘はつけないから言うしかない。ニールだって軽い気持ちできたわけじゃないだろうし、それならこっちだって正直に話すのが筋というものだ。
「だったら、アレルヤは」
「………」
「……………好きなのか?俺の事」
「……、そうです」
素直に認めた。言った後も、そこまで恥ずかしくはなかった。事実はもうあるし、あの夜に勢いで言ってしまったも同然だ。あとは言葉に出されたものを肯定するだけだ。ただ、はっきり好意を認め、認められたら、もう後には引けない。ニールも、アレルヤも。それを踏まえた上での返事だった。





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