銭湯の引き戸を開けて中に入った。わずかな電灯を頼りに真っ暗な道をずっと歩いてきたので少しだけ眩しい。目をそばめながら奥を見ると、アレルヤがいつものように番台に座っているのが見えた。靴を棚にしまって近づく。向こうも俺にきづいたようだが、特に何の反応も示さなかった。あの日から、アレルヤは以前の様な愛想が無くなっていた。柔らかい雰囲気もすっかり沈殿していて床に凝り固まっているような気すらする。それに、前だったら今の時点でにっこり微笑んで待ってくれているのに三日前からどこかぎこちない。
「よ、アレルヤ」
「こんばんは、今日もお疲れ様です」
アレルヤは薄い笑みを顔に張り付けて返した。わずかに胸のあたりに違和感を覚える。財布から小銭を取り出して渡し、木札を待った。いつもの流れだ。でもそこには以前のような会話が何一つ無い。痛いくらいに沈黙がおりた。アレルヤは今何を考えているのだろう。無理に話をする必要はないが、一時かなり親しかったのでなんとなく淋しいような気がしてしまう。……一時?なんで過去形なんだ。もう親しくなれないと無意識に思ってるからか?自分にいらっときて、いやがおうでも何か話し掛けようと思ってアレルヤを見上げたが、まるで表情のない顔をみると気持ちがみるみるうちに萎えた。拒否されているのだろうか。それとも何も無かったかのように振る舞っているだけなのだろうか。
「あ、あった。……どうぞ」
ようやく見つけたらしく、木札をアレルヤが差し出してきた。おそらく乾いたやつを探してくれたのだろう。
「どうも」
軽く頷いて受け取ってから足をひきずるようにして暖簾をくぐった。手で軽く払いのける瞬間にちらりとアレルヤを見やると、向こうもこちらを見ていたらしく目があった。その目はすぐに暖簾で隠れてしまったが、少しだけ濁った色を帯びている気がした。






いらいらする。浴槽に浸かって、あてもなく揺らめく湯気を眺めながら、ニールはいいようもない気分の悪さを感じていた。ここの熱いお湯はいつも日頃の体と心の疲れをすっかり癒してくれるはずなのに、今のこの気持ちにはまるで効果がないようだ。いらいらする。どうしてアレルヤはあんなに冷たい態度を取って距離をおこうとしているんだ。俺は別にアレルヤのことを気持ち悪いだなんて思ってない。なのに近づきたくても近づかせてくれない。ゴムみたいな弾力性をもった膜を張り巡らせて、触っても緩く押し返して来る感じだ。いらいらする。最近アレルヤのおかげで色々と精神的にまいってしまっている。自分が嫌だ。周りの人間には迷惑ばかりかけているし、変な態度をとるアレルヤを思い出しただけで滅入る。その上自分でも分からない感情にとりつかれて、もうすっかり悩み疲れてしまった。俺の許容範囲を軽く越えた感情の蓄積においつけなくて、ただただ嫌気がさす。くそ。この原因は全部アレルヤだ。全部アレルヤのせいだ。俺はあの夜からあいつに振り回されっぱなしだ。浴槽の湯を顔に思いっきり浴びせかけて冷静になろうとしたが、うまく掬えずに両手を顔にぶつけてしまった。じわりと痛みが広がる。目を閉じると、脳は視覚以外の感覚を研ぎ澄ませた。いらいらする。どうにかしてこのぐちゃぐちゃした心を開いてさっぱりしてしまいたい。このままだと生活に支障が出るばっかりだ。どうすればいい。どうしたら今の俺が救われるんだ。俺を悩みを理解して、なすべき事を教えてくれるやつはいないのか。





「…………アレルヤ」
また、ふっと思い出した。彼がキスした後に最後に見せた、泣きそうなのか叫びそうなのか判別のつかない顔。たくさんの感情が合わさってゆがんだ顔が幼くてひたむきに見えて、でもそれが嫌だとは全く思わなかった。(そうか、そういうことか)結局アレルヤは泣いて走っていってしまったが、その様子は家出する子供を見ているようで、なんだか小さいころの俺みたいだ、とニールは思った。(なんて当たり前なことなんだ)周りに理解してくれる友達も家族もいないのが我慢できなくなって、とりあえず逃げたくて家を飛び出す、あの懐かしい抵抗。いや、意外とそうなのかもしれない。もしかして彼もまた、今まで理解されることがなかったんじゃないのか(俺を悩みを理解して、なすべき事を教えてくれるやつはいないのか)。生まれてから22年間、誰も彼のことを理解する人がいなかったのではないか。なら、俺が理解したい。自然に思った。アレルヤのことをだれよりも理解して、もうなにも知らないことがないくらいに彼を知ってしまえばいい。元の原因はアレルヤなんだから、彼の全てを知れば、俺のこの絡み合った強い気持ちも晴れるにきまっている。なんだ、簡単なことだったのか、とニールは光をみつけた気がした。感情の波を突破するための鍵、それはこの感情の波の原因そのものであるアレルヤだったのだ。








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