「………はあ…」
ニールは大きなため息をついた。まだ郵便局の事務室に入り浸っている。明かりを最小限にとどめた部屋の中、一際大きな影を背中に背負っていた。午後の9時を過ぎたので、残業で残っていた職員もほとんど帰ってしまったようだ。しかし、ニールは明日の朝に配達する予定の郵便の山を住所の区画ごとにだらだらと分けながら考え事をしていた。普段ならもうとっくの前にこの作業は終わっているはずだが、数日前から驚くくらいに仕事がはかどらない。気づけばもうこの場にいるのは4、5人だけになっている。最近、おやっさんに怒られてしまった。お前、どうしたんだ。注意力散漫だぞ、と。確かにその通りだった。間違えて消印を一日前のもので押してしまったり、指定日で配達しなければならないものを勝手に届けてしまったり。あまりのひどさに、自分の周りにいる他の職員からも心配され、その度に迷惑をかけてすみませんと平謝りするという状態が続いていた。良くないことだとは分かっている。しかし、どんなに忙しい時間帯になっても、ついつい手を止めて考えてしまうのだ。………もちろん、アレルヤの事を。とんでもないことを知ってしまった。彼はゲイだったのだ。あまりにも予想外のことで、あの時は完全に思考が停止してしまっていた。しかしそのカミングアウトによって、何故彼が女に告白されても受け入れないのか、という問いに対する理由は分かった。彼は男が好きだからだ。今思い返してみれば、自分の質問に対するアレルヤの返答にはほとんど「女」という単語がひっついていた。その時は特別に気にすることは無かったが、あの答えは嘘ではなかったのだ。ということは、男と付き合ったことはあるのだろうか。ふと思った。あの和やかでおとなしいアレルヤが、顔を赤く染めながら男と手を繋いだり、ふたりきりでデートをしたり、甘い言葉を交わしあったりキスをしたり、……セックスしたり。想像できなかったといえば嘘になる。彼があの夜見せた表情を見れば、察することはできた。恍惚として、今にも溶けそうな銀の瞳を揺らめかせながら媚びてくるアレルヤを、はっきりとではないが想像した。そしてあのキス。あれには、初めてするようなういういしさなどは欠片もなかった。決して経験が乏しいわけではないニールでさえも翻弄されるくらい、激しくて濃厚なものだったし、こっちは息を吸う余裕もなかったのにアレルヤはそれをものともせずに舌を絡めてきていた。相当な数をこなしてきたに違いない。そう思うと、ニールは心の奥深くで何かがじわりと熱を持つのを感じた。そう、これだ。これが今自分を悩ませる種の一つだ。自分でさえもこの感じが何なのかが分からない。アレルヤに対する気持ち悪さではないのは確かなのだが、好意というわけでもない。もっと乱暴で、どう接すればいいのかわからない未知の感情だ。他人に相談するにも説明しきれないし、事の経緯を話すのだけでも体力を相当使いそうだからあっさりと諦めた。

そしてもうひとつ、とんでもないことを知ってしまった。それは、キスをされた時にそこまでの違和感を感じなかったということだ。もちろん結構な酒が入っていて無意識のうちに拒否していたし、あまりのショックにその後まともな反応さえ示せなかったのは事実だ。しかしそれにしても、アレルヤ自体に嫌悪感を見いだすことはできなかったのだ。むしろ少しだけきれいだと思った。彼がキスした後に見せた、泣きそうなのか叫びそうなのか判別のつかない顔。たくさんの感情が合わさってゆがんだ顔が幼くてひたむきに見えて、でもそれが嫌だとは全く思わなかった。結局アレルヤは泣いて走っていってしまったが、その様子は家出する子供を見ているようで、なんだか小さいころの俺みたいだ、とニールは思った。周りに理解してくれる友達も家族もいないのが我慢できなくなって、とりあえず逃げたくて家を飛び出す、あの懐かしい抵抗。………………意外とそうなのかもしれない。もしかして彼もまた、今まで理解されることがなかったんじゃないのか。生まれてから22年間、誰も彼のことを理解する人がいなかったのではないか。アレルヤも、理解されようと思ったことはないはずだ。だから大人にもなって、あんな行動をとることができるのだろう。流れで思いついたことだったが妙に納得した。
「おーい、大丈夫か?」
不意に声をかけられた。自分の思考にはまりかけていたニールを引きずり出す、呆れたような声。顔を上げると、そこにはイアンが変な顔をして立っていた。
「…………おやっさんか」
「なんだよ文句でもあるのか?もう閉めるぞ、その山は明日の朝にしとけ」
「あ、ああ、わかった」
ニールは慌てて立ち上がり、帰るために机に広がっていた荷物をかき集めて鞄に詰め込む。その間にイアンはさっさと戸締まりを確認してニールを待っていた。帰る支度をしてから裏口のドアを開け、閉める間際に時計に目をやると、すでにあれから一時間も時間が経っていた。いつもの銭湯にいく時間よりも早いが、今から家に戻ってまた出かけるのも面倒臭い。今日はそのままいくか。おばさんたちが居ないのを願うばかりだ。







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