※「ベヴェークトの魔法」の続き










手を掴まれ、否みきれない程に強い力でステージから引きずり出される。拍手はまだ鳴りやまない。心臓も鳴りやまない。どっちの音が僕に響いているのか判別がつかない。頭が彼の行動に全くついていかない。しかし彼の唇の感触は僕に夢じゃない事を教えていた。一体観客は僕達のキスに気づいたのだろうか。まさか、知る余地なんてない。アンコールを蹴ったくり、裏舞台を駆け降り、明るいシャンデリアの光で照らされた廊下を殆ど走る勢いで突っ切る僕達に向けられるスタッフや客人の驚きの眼差し。頭が真っ白だ。履き慣れない革靴を縺れさせながらも、僕は必死に足を運びつつ彼の後ろ姿をひたすら見つめた。彼はなにも言わない。風に揺れるモカブラウンの髪の毛。だけど強く握られた手だけは彼の熱を伝えていた。彼を今突き動かしている感情は一体なんなんだろう。そして彼を止めない僕の気持ちは一体なんなんだろう。広く長い廊下を渡りようやく楽屋に着いた僕達は、ドアを乱暴に閉めると鍵すらかけずお互い半ば縺れるようにしてソファになだれ込んだ。背中に柔らかい布張りの感触が伝わる。目と鼻の先にある彼の顔が、乱れた髪の毛のせいでほとんど見えない。生暖かい彼の息がかかってふわりと揺れる。
「ロックオン」
そう呟いた。声が掠れていた。僕は焦る心を落ち着かせながら恐る恐る頬を撫でる。髪を掬い上げ耳にかけると、彼の美しい顔があらわになった。呼吸がつらいのか、顔を歪ませながら笑う。綺麗だ。そしてもう一度僕に忙しい口づけをした。優しくて甘い、だけど余裕のないキス。今までキスなんてしたことがなかった僕もその唇に夢中になった。匂いが、感触が、彼のものだ。そっと噛まれた唇はそれだけでたまらなかった。うっとりとした頭の中の思考力が、深い深い水の底にゆらめき沈む。そして湧き出る熱い感覚。舌が入り込み、行く先を無くした僕の舌と擦れる。ぬるぬると這わせれば、彼の温度と僕の温度が混ざり合って気持ち良かった。幾度も角度を変えてお互いの舌を吸う。
「………っ、む…」
吐いた息すら僕達は貪る。鼻息の抜ける音がますます雰囲気を高めて熱が浮く。彼がなぜこんなことをしてくるのかは分からないけれど、拒否する理由もまたなかった。むしろ嫌な気すらしない。彼の片方の手が僕の腰を撫でた。ぞわり、なんとも言えない感覚が身体を走る。ああ、アンコールが、ステージが、僕の演奏をもっと聞いてもらえるチャンスが、どんどん意識の向こう側へと飛んでいく。昔の僕ではありえないことだ。ロックオンが僕のシャツの釦を器用に外すのを見て、弱々しい声を出す。
「ロックオン、あ、の、」
「今のお前を誰にも見せたくない」
半分だけ外したシャツの生地をめくり、おもむろに胸元に顔を寄せキスをする。外されない蝶ネクタイが首を締め付ける。首筋を噛まれ、舌を這わせられ、強い刺激でいくつもいくつも痕がつけられる。あまりにむず痒い。痕のひとつひとつに熱が篭り、僕から離れようとしない。あついよ、ロックオン。あなたが僕から離れようとしない。
「お前を誰にも触らせたくない」
「、っ」
初めての感覚に喉がひきつく。彼から切なさげに零れた言葉が脳の中ででろでろに蕩けて熱と彼だけが僕を支配した。
「俺のものだ。アレルヤ、お前は」
首に両腕をまわされ、幾度となくそそがれるキスを甘んじてうけた。なぜだろう、全然嫌じゃない。ほてった身体が厚いタキシードのせいで汗ばむ。
「俺のものだ」
ぎしり、大の大人が二人のさばった古いソファが僕達の興奮をより煽る。ロックオンが密着した下半身を緩く押し付けてきて、そこはもうはっきりとわかる程に張り詰めていいた。太股から感じる違和感にアレルヤはわずかに目を見開く。
「ロックオン、僕は」
「最初から好きだった。アレルヤの音楽を最初に聞いた時から、俺はアレルヤに飲み込まれてた。いや、音楽だけじゃない、楽しそうに弾くお前さん自身に、引き込まれてた」
耳元で苦しげに囁く低いテノールが、途切れ途切れに息を吐きながら必死にそう伝えてきた。今彼は、一体どんな顔をしているんだろう。首元にある茶色のかたまりをぐしゃりと手で撫でる。どうやら落ち着きを少し取り戻したらしく、ぐりぐりと頭をおしつけてきた。
「欲しくてたまらねえんだ………ステージで演奏するのを見たら、ホール中の、それどころか世界中のやつら皆がお前を見つめる気がして、嫌で嫌で死にそうで、今すぐアレルヤを隠さないといけない、そんな感じがしたんだ」
「そんなこと……」
「アレルヤ、お前はもう今や世界中の眼差しを一身に浴びてる有名人なんだ。それもあんなとんでもない演奏までしちまって」
いっそのこと、コンサートなんて開かなけりゃよかったんだ。そうすりゃ、俺だけがアレルヤを、アレルヤの才能を独り占めできたのに。そう言ってロックオンは上半身を起こし、間近に僕を見つめた。なんと、彼は泣いていた。泣き声どころか、涙声ひとつ出してはいない。でも、彼の碧青の目から、涙筋が一つ流れ出している。感情が泣いている。その美しさに煽られるように、はだけたシャツから溢れる色気が恐ろしいほど艶やかで、傍にいるだけでくらくらした。親指で輪郭をなぞるように彼のすべすべした白肌の頬を撫でて、安心させるように僕はゆっくりと首を横にふった。
「違うよ。あなたがこのコンサートを開かなければ、僕はあなたとこうすることはできなかった。これでよかったんだ」
「アレルヤ……」
精一杯の笑顔を浮かべた。
「僕もあなたのこと、すごく好きだよ。僕はあなたが望むなら、世界には媚びないことにするよ。ねえ、でもね、そのかわりずっと、」
僕も、僕の音楽も、絶対に離したら駄目だよ。そう言おうとしたのに、慌て者の彼はまた僕の唇を奪った。どうだろう、僕の気持ち、伝わったのかな。不安になっても仕方がないから、僕はせめてもの愛情の印に、彼の首にそっと自分の両腕を絡めてみた。










アジタートな口づけを






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