なんとなく頭がぼんやりする。昨日の夜からだらだらと考え事をしていたせいで、あまり眠ることが出来なかったのだ。夕方の配達が漸く終わると、ニールは今日も郵便局の事務室の一角に座り、肘をつきながら、ほぼ内容を理解しないままに机上にある山盛りの書類に目を通していた。本来は配達担当のためこんな事務作業をする必要はないのだが、田舎の郵便局にはそんな理屈は通用しない。労いとして誰かが煎れたお茶はすっかり冷めてしまい、机の端にぽつんと放置されたまま飲まれるのをまっている。
「……会うしかねえよなあ…」
家に帰ってもずっとあの事を考えていた。弟に直接会って、どうかあの銭湯を続けさせてやってくれ、と頼みこむしかない。大金なんてとても払えないし、あそこに銭湯がなければ周りの住民も困ってしまう。しかしあと一週間で決着をつけるにはあまりに事が大きすぎる。そもそも何故今になってこんなことを。弟は一体どういうつもりなんだ。
「…でも…ばれるよなあ………」
アレルヤとの関係が。そこが一番気になるところだ。この関係を知って嬉しがる奴なんてどこにもいない。ばらされてしまえば銭湯の営業にも大いに影響する。どうにかして穏便な解決案を出すことはできないのか。……という具合に、昨晩から同じ思考回路を何周も何周もしている。さすがに疲れた。もういいだろ、いい加減に覚悟を決めろよ、俺。守るって決めたんだろう?あの銭湯を、アレルヤを。半端な気持ちではだめだ。それに、曲がりなりにも弟。いくら小難しい性格だからといっても……うまく説得できれば……少しでも理解してもらえれば……。
「また考え事か?」
「ん?……あぁ、おやっさんか」
ふと横を見ると、くたびれた様子でお茶を持つ上司が隣に立っていた。
「最近元気がいいと思った途端にこれか。思春期はもう終わっとるだろう」
「はは、確かに。まだまだ俺も若いってことかなあ」
「なんの、わしからみればまだ餓鬼だな」
「おやっさん…そりゃないぜ」
気分を紛らわすため、大袈裟に声を上げると、イアンはにやりと笑って腕を組んだ。
「悩むのもいいが、お前の場合はちっと思い詰めすぎだな。もっとがむしゃらになってみろ」
「がむしゃら……」
「そうだ。二十代なんぞ、失敗してもなんぼでも修正が利くからな」
「おやっさんにも修正するようなことがあったんだな」
「お、お前わしをなめてるな?わしだってお前くらいの時は……」
隣で昔の武勇伝を語りだした上司をそのままに、ニールは少しだけ励まされた気分になった。失敗か。なるべく失敗は避けたいところだが……恐れていてはなにもできない。おやっさんの意見も一理ある。一度、試してみるだけの価値はあるかもしれない。今こそ、俺がしっかりとあいつを支えてやらないといけない。くよくよと悩むなんて俺らしくもない。男として、そして何よりも、恋人として。






***************






「ハレルヤと話す?あなたが?」
「ああ、とりあえずやれることはやってみようぜ。まずは話だ。大事にならないように終わらせるためにもな」
営業を終えた後のがらんとした空間の下でニールの口から出た案はとても率直なものだった。説得するには話は必要不可欠であることは当たり前だけど、でもハレルヤはそんなことで易々と諦めるだろうか。掃除する手を止める。勿論、ニールに手助けを頼んだのは僕だけど……。アレルヤは一抹の不安を覚えたが、彼もこうすることで様子を伺うことしかできない立場なのは分かる。それにニールはとても優しいから、多少ハレルヤが生意気な態度でも喧嘩することにはならないだろう。上手く収拾がつくことを祈るしかない。
「じゃあ…多分今日もハレルヤが家に来ると思うから、これからでも会ってみる?」
そう言うと、長椅子に寝そべっていたニールは上半身を起こした。
「今日も、ってことは昨日も会ったのか?」
しまった。余計なことを。アレルヤはすうっと背中が冷えるのを感じた。昨日のあのことが不意に思い出される。無理矢理押し倒された時の恐怖が蘇り、思わず箒を握りしめる手が汗ばんだ。ハレルヤがあのことについて何も言わない保障なんて無いのだ。でも家族という立場上、ハレルヤだって軽々しく兄との関係を暴露することは……。いや、わからない。今のハレルヤは、僕の中の過去の彼とは程遠い。
「う、うん。そうだよ」
「なんだ、あんまり良い関係じゃないのかと思えば意外に仲良しなんだな」
心が軽くなったのか、少しばかり声色が明るくなったニール。しかしそれにかけるべき言葉も見つからず、アレルヤはそっと背を向けたまま、僅かに痛む胸を宥めるように手を当てた。どうか……。
「どうかしたか?アレルヤ」
「あっ、ううん。それじゃあ、今日は一緒に僕の家に来てね」
アレルヤは急いで振り返り、精一杯の笑顔を浮かべたのだった。








「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -