さっきのことでまだ何となくおぼつかない足取りのまま、僕はすっかり着慣れてしまった彼の服をいくつか選んだ。―――実は、随分と長く居座らせてもらっているけれど、まだ一度も彼から服を買ってもらったことがない。優しい彼のことだから、服の一つや二つは買ってくれるのかと思いきや(服が欲しい、とは言いたくはないから自分からは言わないけれど)、出会った時から、ずっと彼のものをちょこちょこと着る日々続いている。彼の服はシンプルながらも結構センスが良くて、種類もたくさんある。僕自身もこだわりはないし、むしろ今までのことを考えたらこんなにお洒落なものが着れるだけで幸せなのだから、特別に不自由はしていない。身長も体格も似ているから完璧だ。いつも寝るときに着る厚めのカーディガンを羽織ってリビングに向かう。先ほどのことを考えると、すこし顔を合わせにくい気もするのだが、せっかくの誕生日用の箱に包んでくれたケーキを無視する訳にもいかなかった。濡れた髪の毛を無造作にタオルでがしがしとやりながらリビングへの扉を開けると、そこではシャツの上のボタンを外して着崩したニールがいつものようにキッチンに居て、いつものほうにいい香りのする紅茶を入れていた。意識しているのは自分だけだ。つくづくそう思わされる。
「この香りは…ダージリンじゃない?」
やることもなく、ソファに腰を落ち着かせるしかなかった。ケーキの箱もスプーンもお皿もテーブルに出してある。手伝いをしてもいいのだが、表情から察するにニールは紅茶を入れることが楽しみのようだから、それを横から邪魔しようとは思わない。
「お、大体わかってきたか」
嬉しそうな声が聞こえてきた。正解なのかな。
「だけど残念、これはニルギリだよ」
「……まだまだだね」
「いや、まあその二つは青っぽい感じが似てるから。それにしてもよく分かるようになってきたな」
紅茶を淹れ終えたニールが二つのティーカップを持ってソファーに座った。
「ありがとう」
受けとると、二人同時に口をつけた。今日のは渋味が少なくて、とても飲みやすい。
「さ、ケーキをどうぞ」
ニールに促されて、僕はテーブルにのった小さな箱をそっと手にとった。
「嬉しいな。僕、オレンジ色が大好きなんですよ」
「へえ、そうなのか。知らなかったぜ。俺は……緑とかが結構好きだな」
「知ってますよ」
「へ?」
「あなたの持ち物には緑色がたくさん入ってるからね。服とか、マグカップとか、アクセサリーとか」
「参ったな……監視されてるみたいだ」
くすくす笑いながら紙箱を開き、ケーキを取り出す。ほんのりとした色つきの繊細な飴細工がかかったそれはとても美しくて装飾と見紛う程だ。食べるのが少しもったいない。フォークで飴細工をうまく退かして、現れた小さなスポンジケーキを口いっぱいに頬張った。フルーツが入っていないせいか、いつもより沢山クリームが入っていて、甘ったるくて、ふわっと瞬間的に口の中で溶けていく。ケーキをぱくぱくと食べながらちらりと隣を見ると、ニールはどうやらずっとこっちを見ていたようでバッチリと目が合ってしまった。こっちも飴細工みたいに綺麗だ。空色だって負けるような深い瞳。しかも反らすかと思いきやいつまでも離さないから、物凄く気まずくなって頭の中から一生懸命言葉を搾り出した。なにか言わなきゃ。なにか。
「……な、なにかついてる?」
「ん、強いていうならクリームついてる」
にゅ、と彼の手が伸びてきて、彼の親指の腹が僕の唇すれすれを掠めた。産毛が擦れる音がした。そして自分の指に移った白い生クリームを、ぺろり、舐めた。一連の一瞬の行動がすごく変なものに思えた。そんな、なんだか、なんということもないのに今日は意識してしまう。嫌だな。昔の僕はもっと余裕を持っていたはずなのに。余裕というか、別に彼のことを意識してもしなくても自分には何ら支障はないと頭で分かっているはずなのに。待って、昔の僕がいるってことは、今の僕というのも確かに居て、それは僕が今余裕がなくて、彼のことを意識したら自分に何か支障があるということを意味していることになるの?今自分は何を考えてるの?………嫌だな。
「お前さん、何か欲しいものとかってあるか?」
「欲しいもの?」
繰り返すと、ニールが頷いた。
「ああ、俺があげられる程度ならなんでも。せっかくの誕生日だってのにプレゼント一つやらないなんて、同居してる割には冷た過ぎるしな。用意するから言ってみろよ」
いきなりそんなことを言われても困る。アレルヤは眉尻を下げた。嬉しいけど、今の生活に嫌なことなんて何一つ無いのだ。ご飯はあるし、寝るところはあるし、優しく扱ってもらえるし。ただ、たった今あえていうなら、欲しいのは、そう、
(あなたです――――――なんて、)
突如浮かんだ、あまりにもくさい誘い文句に思わず苦笑しながら、アレルヤは半分ほど減ったケーキをまたフォークでほろりと崩した。言えるわけがない。本当にどうかしちゃったのかな。
「どうした、アレルヤ」
「ううん、なんでもない。お願いできそうもないこと考えちゃったから可笑しくって」
「なんだよ言ってみろよ」
「いいんだ。たいしたことじゃない」
アレルヤは軽く首を振ってみたが、ニールは珍しく食いついてきた。いたって真面目な顔で促す。
「いや、たいしたことある。ある顔だった。言ってみな。お前そうやってすぐ本音隠す癖があるだろう」
「本当にいいって……」
「いいから」
「気にしなくていいよ」
「気にするから言えよ」
「……………」
「いいから」
「怒るよ、どうしてしつこいの」
「怒ってもいいから言ってみろって」
「……もう、頑固なんだから」
焦りが出た。どうして急に、そんなに僕を追い詰めるんだ。内容があれなだけに、焦って、冗談半分のことだから、とでも言うように肩を叩こうとしたら、その腕をおもむろにがっちり掴まれた。予想外の行動に怯んだ。ニールの口調は硬かった。口調だけじゃない。真剣な顔つきだった。
「そりゃお互い様だ。お前さん、今、俺のことが欲しいとか、そういうことを考えたんじゃないのか」










賽は投げられた
(ルビコン川の嘲笑と共に)



※続きます




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