※タキシードロクアレ没案作品









僕の古くからの友人でもあり、同じ楽器弾きでもあるティエリアに、とある有名人が指揮をするオーケストラコンサートに来ないか、といつものように軽く誘われたのが僕の運命の分かれ目だった。たまたま僕もその日は都合よく空いていたし、ティエリアのお誘いにはハズレが無いということを長年の付き合いで知っていた。足を運ぶと、なんと地元にも関わらず会場内はほぼ満席。当日券は完売。その上、二階の立見席まで人が詰めかけていた。相当な人気のようだ。何がそんな人気なのかと思いながらティエリアに貰ったチケットを見ると、小洒落たデザインが施されている中に一際大きく記された名前が目についた。ロックオン、ストラトス?指揮者のようだった。聞いたことがない。僕達は会場の中でも後ろの方の席に座った。これだけの人が集まるんだ、いくらステージから遠くても、このコンサートチケットはそれなりに高かったんじゃないのかい、と聞くと、彼とは友人で、たまたま近くのホールでやると聞いたから招待券を貰ったのだ、お金は要らない、と言ってくれた。だから僕は儲けものをした、ぐらいに思いながらゆったりと気楽に開演を待った。だけどそれが完全な油断だったことは、演奏が始まってからすぐに思い知らされた。
彼の指揮する音楽を耳にした瞬間、僕は体中に強い電撃が幾重にも走ったのを確かに感じた。身震いした。頭に響いた。本当だ、大袈裟でもなければ嘘でもない。賭けてもいい。あの感覚たるや、人間が普通に生きていく中では滅多に感じることができないほどに強烈な、興奮、衝撃、感動、それらがいっぺんに体を巡り巡る感じだった。あまりに刺激が強すぎて、瞬きすることすら忘れていた。口を閉じることすら忘れていた。息をすることすら。脳が目の前の芸術を受け入れるだけで精一杯で、そんなことをする余裕なんてなかった。哀しい調べには狂おしいほどの憂いと耽美な感情が染み込み、僕の胸を散々に掻き回した。強い調べには、人間が生まれ持つ力を最大限に発揮した時に生じる、あのほとばしる熱い感情を乗せ、見える景色すべてに美しい色彩を与え、一つ一つが惜しみなく煌めいた。……なんて、綺麗な言葉をいくら並べても足りないほど、凄かった。僕は彼の生み出すうねりに捕われた。次々に流れる音の粒のうねりを全身に受けた。言葉通り、あれは完全なる音の洗礼だった。ステージが眩しい。彼の指揮する演奏が止み、観衆がスタンディングオペーションで拍手喝采を彼らに与えた時、僕にはただ、あの音楽をもっと欲しいという、純粋で明け透けな感情しか、残っていなかった。













「どうだった、彼の演奏は」
僕の隣で慎ましやかに拍手しながらティエリアが話し掛けてきた時に、漸く意識を取り戻した。
「……一体なんなんだい、彼は」
「……指揮者としか言いようがないな」
それもそうだ。ため息をついた。興奮した上に呼吸までし忘れていたせいで、鼓動が今更ばくばくと胸を叩く。拍手はいつまでも鳴りやまない。もうステージの幕はとうに閉まっているのに。暗かった会場に明かりが再び灯った。力を込めて握り締めていたせいでくしゃくしゃになっていたチケットを開く。ロックオン、ストラトス。今まで何回もコンサートに来ているというのに、一度もまみえなかったことをむしろ恨めしく思う。これ程に良い指揮者に会えたのは久しぶりだ。遠すぎるために姿は蟻ほどにしか分からないが、少なくとも僕はこんなに一つに纏まったオーケストラを聞いたことがなかった。
「……友人だと言っていたね」
ティエリアは軽く頷いた。
「大学が一緒だ。彼は推薦で来た」
「なんだって?」
バークリーの推薦だなんて。まさか。並の人間の成せる業じゃない。僕はその話にただ呆れ返った。ティエリアを超えている。
「あの時から既に才能を発揮してはいたが、まさかここまで成長するとは」
「そうなんだ…」
「人間とはことごとく恐ろしい生き物だと改めて感じさせられた」
いや、それ、少なくとも君が言う台詞じゃないよ。そう言いたかったけど、苦笑に留めておいた。知らない間に拍手の嵐は過ぎ去り、徐々に周りがざわつきはじめ、出口へ人だかりができてきた。ティエリアは人混みが苦手だから、こういう時は大抵最後に出るのが普通。僕達はまだ席に座っていた。
「………また聴きたいな」
ほっそり呟くと、ティエリアはまるでその言葉を待っていたかのようにこちらを向いた。
「なら、この後、彼と会わないか」
「え……?」
突然の話に、僕は思わず聞き返した。会えるの?今から?そんないきなり?せっかく収まりかけていた心臓がまたぎゃあぎゃあと騒ぎ出した。会えるなんて。ロックオン・ストラトスという人物に。勝手な先入観で雲の上の人だと思っていた。
「無論、君がいいなら、の話だが」
「い、いいに決まってるじゃないか!行くよ!」
こんなチャンス早々訪れない。失うわけにはいかない。
「そんなに気に入ったのか」
「う、うん」
声が上擦る。彼が一体どんな人なのか、一目見てみたい。気持ちがはやっているせいか、なんだか顔が熱くなってきて僅かに顔を背けた。なんで僕が恥ずかしがらなくちゃいけないんだ。
「彼は、天才だ」
「………相当惚れ込んだと見える」
そう言ったあと、僕の気持ちを知ってか知らずか、ティエリアがにやりと口端を釣り上げた、ような気がした。
「まあ、そっちの方がこちらとしても紹介し甲斐があるというものだ」






純情メトロノーム






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