基本的に、アレルヤはきちんと物事を覚えるという動作をすることが無かった。なぜなら、覚えるということが後々の自分にとってプラス要素になる可能性も、マイナス要素になる可能性も無かったからだ。一番最初に一緒に寝た人のことだって、セックスの癖以外にはほとんど記憶にない。髪の毛の色が何色だったかとか、どんな顔つきだったかとか、体格はどんな感じだったのかとか。別に、それらを覚えるのが嫌なわけではない。自分と交わった証拠をいつでも簡単に隠滅できるように「俺のことは忘れろ」と念を押してきた人がいた時は、なるべく早く忘れるように努めるし、逆に、完全に束縛しようと逐一自分の情報を耳に流し込んでくるような人と出会った時は、その願望に応えようと精一杯記憶したし、それも面白かった。しかしなんらかの為にその関係が終わってしまえば、もうそれまで。楽しかったこと以外は一日足らずで記憶は薄れていく。実際、ライルという人のベッドに染み付いた煙草の匂いによって、過去に関係を持っていた人のことがフラッシュバックすることはもう無い。実に楽天的というか、最高に便利でだらしない脳を持っている。自分の生きる手段のことを考えれば、他人に執着しないことはとてもいいことだろうけど。まじめに働く意思が特別にあるわけでもないから、性欲が無くならない人間で溢れかえるこの世界は生きていきやすかった。また、アレルヤには何かを欲する欲があまりにも無かった。人間に必須とされるもの――例えば衣食住に関するような――を他人から与えられるものだけで十分に満足した。ただ、今住み着いているこのニールの家での生活、そして彼に対する思いには、そんなやり方で通すことへの戸惑いと憂い、そして抵抗を感じ始めてしまった。………ニールのことを忘れたくなくなってしまった、というよりも、忘れられなくなったのだ。






アレルヤは、お湯と真っ白な蒸気に包まれた狭い空間の中でひとつため息をついた。頭上に取り付けられたシャワーから細かくて柔らかい温水が放出され、アレルヤの身体をしとどに濡らし、なだらかに排水溝へと流れ込む。白いタイル張りにされた壁には、頭から胸元近くまでを映す鏡があり、密度の高い蒸気越しに己の顔を見た。銀灰色の瞳が湿気で僅かに潤んでいて、あまりはっきり見えないが、最近の恵まれた環境のせいで顔の血色がよく見えるのは確かだ。濡れた手で、鏡越しの自分の顔を撫でた。
(今日で24か……)
あっという間に成長してしまった。実のところ、自分自身の誕生日が何回きたのか、きちんと覚えてない。だからもしかすると何回か数え忘れていて、本当は26くらいなのかもしれない。だけど大体の年が分かればそれでいい。年齢なんて僕にはあまり意味を成さない。昨日、リビングで和んでいる時に自分の誕生日のことを言うと、ニールは心底驚いたかのように大きく目を見開いた。すごく綺麗な硝子が浮いたみたいだった。ちょっと言い過ぎかな。そして彼は何故もっと早く言わなかったんだと責めさえした。逆にこっちが驚いたくらいに。
「なにかしてくれるのかな…」
彼は優しいから期待してしまう。シャワーの水圧を弱めて、柔らかいスポンジにつけた泡で優しく身体を洗う。ふわりと石鹸のいい匂いが鼻腔をくすぐる。香水をつけていない時のニールと同じ匂いだ。ニール、と、同じ。当たり前じゃないか、同じものを使ってるんだから。前に住んでいた人ともそんな感じだったように思う。もう匂いは忘れてしまったけど。でも昔の彼とはっきりと違うのは、ニールの匂いというだけで胸に僅かな熱を覚えるということ。彼がすぐ近くにいる気がする。目を閉じると、彼もこの空間にいるような錯覚が頭を震わせる。ニールは、あまり僕の近くに寄ってきてくれない。適度な距離を以って僕と接する。雰囲気からして、僕のことを嫌いだというそぶりは見せない。だけどなんだか意識的に近づいてくることがない。焦らされてる気分だ。だから尚更のこと、匂いに反応するのかもしれない。……セックスだって、長いことしていないし。僕の中でこんなにセックスをしていない期間なんてあったかな。むず痒い気持ちになる。いい匂い。彼の身体目当てで来たわけじゃないけど、毎日あの豊満な色気が溢れる身体を見せ付けられたら、いくらなんでも変な気の一つも起こしてしまう。セックスしたいだなんて言わないから、せめて、彼の胸元に思い切り抱き着きたい。温かい胸に擦り寄って、あの甘い浮されるような匂いを感じたい。ぎゅっと抱きしめてほしい。……そう、恋人同士みたいに。そしていつか別れたとしても、他の男の人の所にいくことになっても、一生、絶対に忘れられないくらい強く、つなぎ止めておいてほしい。そんな思いが募った。初めての感覚。忘れたくない。


「で、いつまでそうしてるんだ?アレルヤは」









始まりは突然に
(突然すぎて気付かなかった)





※続きます




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