時刻は午後十一時。今日も残るところあと一時間というところ。まだまだ肌寒い日々が続くが、ケーキの売れ行きは衰えることがない。
「ありがとうございました」
ティエリアは紙箱を持って家路を辿るお客に一礼し、ショーケースから減っていくケーキに今日も満足した。最近の売れ行きは特に好調を極めている。昔は安くて手頃なものが流行っていて、品質重視による若干高めな値段設定のまま店を動かす方針に不安を覚えていたのだが、最近は多少高価でも味を優先して買う風潮が高まりだした、というのを耳にしたので、おそらく原因はそこにあるのだと思う。やはり考えもせず、安易に流行に流される必要は無かったのだ。残り一つとなったケーキを眺めながら、満足げに口端を上げた。きっとこのケーキは売れ残るだろうから、持って帰ることができるだろう。二つではないのが残念ではあるが仕方ない。休日が一般的な洋菓子店よりも少ない分、これくらい頂いても文句は言われない。なにしろ自分が店長なのだから。……しかし休日といえば、と、ティエリアはあのパティシエのことが脳裏に過ぎった。実は今日に限ったことではない。彼はクリスマスの日を境に少し変わった。ケーキの仕上がりはいつもと一緒でまあまあよい出来なのだが、勤務態度が昔と違うのだ。かつてのニール・ディランディというのは、全くといってもいいほど時間にこだわらない男だった。他に勤め先がある訳でもないのでシフトも好きなように入れられ、定時を過ぎても気にしないという、雇う側から見れば使い勝手のいいパティシエだ。女が好きそうな容貌を持ちながら、そういう噂も聞かない。ヘラヘラとしている以外に悪いところが見つからない、不思議な人物だった。ところがクリスマスを迎えてから、彼は急に定時を気にするようになり、時間ぴったりになるとすぐに器具を片付け、荷物をさっとまとめて誰よりも早く店のドアを開けて帰るような、まるで正反対のことをしはじめた。一度だけ、女性の方と約束でもあるのかと聞いたが、違うよ、と事もなげに言われたのを覚えている。彼にいつもひっついているリヒテンダールは「猫を飼ってるらしいっすよ」と言っていた。あの男が猫を?意外とまでは言わないが、独身でいる寂しさでも募ったのだろうか?
「アーデさんどうしたですか?」
黙って考えていると、店員のミレイナがいつの間にか隣にいた。彼女はここの正規雇用人ではない。本業は両親の板金屋の事務である。とはいってもそちらの店は両親二人で事が足りるらしく、この店にしょっちゅう顔を出しているので、会計や包装を適当に手伝ってもらっていているのだ。眉をあげてこちらを覗き込むように見つめている。
「あぁ…いや」
「考えごとです?」
「大したことじゃない。それより、今日は一つカットケーキが余っている。持って帰るといい。包んであげよう」
するとミレイナは首を横に振った。
「気持ちは嬉しいけど、それはニールさんにあげてください」
「彼に?」
ティエリアは僅かに眉根を寄せた。休みをせがむような不届き者に最後のケーキを与えろというのか。戸惑っていると、ミレイナはちっちっ、と人差し指を舌の音と合わせながら左右に振った。
「アーデさんも中々なにぶちんですう」
「にぶっ……」
「あの様子だと彼女にきまってるですよ!」
彼女。意外なようでそうでもない単語が聞こえた。
「しかし本人が友達の誕生日だと言っていたが……」
「そんなのニールさんのとってつけた比喩表現です!気づかれたくなくて嘘ついてるのがばればれですよっ」
そうなのか。もし彼女の言うことを信じるのならとうとう彼にも春がやってきたと言うところか。
「だから今日のところはあの嘘つきさんに譲ってあげるです。アーデさんの気持ちだけ有り難くもらっておきます」
もちろんアーデさんの愛は伝わってるですよ!と元気よくウインクする恋人を見て、ティエリアは恥ずかしさと気の緩みから少しだけ眉尻を下げた。まったく、いつ、どんなときでも彼女にはかなわない。しかし彼女のこういうところがとても好きだ。素直に感情を出せるという、普通の人にはなかなかない単純な素直さが。ティエリアは出しかけていた普通の紙箱を棚にしまいこみ、贈り物用の小ぶりの入れ物と、ピンク色のリボンを取り出した。
(ミレイナに免じて、今日のところは譲ってやろう)







売れ残りのケーキ
(だけど優しい味がします)


※続きます





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