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朝の紅茶と同設定








***
ぱちりと瞼を開けると、晴矢の、口を開けた寝顔が大きく目に飛び込んで来た。


背中に感じる温かさから察するに、私は晴矢に抱き締められているらしい。


目を辺りに向けると、暗闇が広がっていた。

窓の外を見ても、月が冷たく光るだけで朝の気配は微塵もない。

どうやら真夜中に目が覚めてしまったようだ。


近くにあった携帯を掴んで時間を確認すると「午前2時28分」と表示された。


丑三つ時か…。


いつもならまだ熟睡している時間だ。もう一度寝てしまいたいが、冴えてしまった頭では難しい。


何か温かい物でも飲もうか…。


体温が下がる時に人間は眠くなるらしいので、体温が一時的に高くなる温かい飲み物は、眠れない夜に最適なのだ。


背中に回った晴矢の腕を慎重に退かす。晴矢は熟睡しているので、起こしてしまうのは避けたい。




「んん…。」


私の体が晴矢の腕から抜け出せた時、晴矢が唸った。起こしたか、と息を殺して晴矢を見るが、身動ぎをした晴矢はまた寝息を立て始めた。

ふぅ、と安堵の溜め息を吐いて、ベッドから降りる。ひんやりとした床が足の裏に触れた。


寝室から出て、台所に向かう。

温かい飲み物と言えば、ホットミルクかな…

高い頻度で使うお気に入りの青のマグカップを棚から取り出す。


いつもなら鍋に牛乳を入れて作るところだが、今日は手軽に済ましてしまいたいので、マグカップに入れた牛乳をレンジで温めることにする。








私の睡眠は大抵浅い。よく物音がした後や、ふとした瞬間に目が覚めてしまう。

お日さま園の頃もそうだ。一人だけ目の下に隈がよくできていた。


遊んでいる最中にもうつらうつらとする私を見て、セーラー服を着た瞳子さんが、


「風介、眠れてないの?」


と聞いてきた。こくんと頷くと、


「今日も眠れなかったら、私の部屋においで、風介。私がおまじないをかけてあげるわ。」


と言って頭を撫でてくれた。


皆が寝静まった後、やはりうまく眠れなかった私は、こっそりと瞳子さんの部屋に行った。


扉を叩くと、瞳子さんが微笑みながら出て来て、私を抱き上げた。
突然上がった目線に、瞬く。


「今からキッチン行くわよ。おまじないには準備が必要なの。」


「そう、な…の…?」


おまじない、なんて絵本の中だけの世界の話だ。
それを瞳子さんがする、と言うので幼い私はどんなことをするんだろう、とわくわくした。


台所に着くと、瞳子さんは私を椅子に下ろして、がちゃがちゃと何かを準備し始めた。

ぼんやりとその動作を眺めていると、もう少しよ、と瞳子さんは笑って鍋に火を掛ける。

鍋の中には、蜂蜜や砂糖が加えられていった。


おまじないの材料かな…?


ゆっくりと鍋をかき混ぜる瞳子さんは、紛れもなく私の為だけに動いていた。私はそれが嬉しくて、鼻歌交じりにおまじないの完成を待った。



できたおまじないをコップに入れると、瞳子さんはそれを私に手渡した。

コップの中は白い液体が入っていた。


「何…?」


「おまじないよ、これを飲むとよく眠れるの。熱いから、ゆっくり飲みなさい。」


「ん…」


ちょっとずつ飲むと、おまじないは、ミルクの味なのに、とろりと甘くて不思議な味だった。


体がぽかぽかと温まってくる。おまじないが効いてるのかなぁ、と思っていると、向かいの椅子に瞳子さんが座った。


「おまじないが効くには時間が掛かるの。それまでおしゃべりしましょう?」


「うん…!」


そして私と瞳子さんは真夜中のおしゃべり会を始めたのだ。


お日さま園の中の瞳子さんは、いつも引っ張りだこで、二人だけで話すことなんて、出来ない人だった。


その瞳子さんを独り占めしてる、と思うと少しの優越感と幸福感が胸を占めた。


話す内容はとりとめのないものばかりだったけれど、瞳子さんは下手な話でも微笑みながら聴いてくれた。



ずっと話しながらおまじないを飲んでいると、段々眠くなってきた。
目をごしごしと擦ると、


「風介、眠いの?」


「う…ん…」


「おまじないが効いてきたのよ。」


そういうと笑いながら瞳子さんは私を抱き上げた。


「おやすみ、風介。」





その言葉を聞いた後の記憶はない。きっと抱き上げられた状態で寝てしまったのだろう。


あのおまじないはただの砂糖と蜂蜜入りのホットミルクだったに違いない。けどあの日は本当に魔法のようにとてもよく眠れた。






チンッとレンジが鳴くので私の回想は断ち切られた。

懐かしい思い出だったな…。


少し笑いながらレンジから慎重にマグカップを取り出して、テーブルの近くの椅子に座ってのんびり飲む。

瞳子さんみたいな工夫は何もしていないからただの温かい牛乳だけれど、体はぽかぽかしてきた。

これなら眠れるかな…。

そう思って、ほう、と溜め息を吐くと、突然バンッ!とリビングの扉が開けられた。



何事か、と扉を見やると晴矢が肩で息をしていた。


「え、何どうしたの晴矢?」


疑問を投げ付けると、晴矢は怒っているような、呆れているような顔で私を見た。


「居なくなってんじゃねぇよ…!」


その言葉に私は、吹き出してしまった。晴矢は心配性が過ぎるようだ。


「ちゃんとここにいるよ?」


「隣に居ねぇから、本気で焦ったんだ。」


笑い話にしようとした私を晴矢の真剣な口調が遮った。


「晴矢…?」


「はぁ…風介、眠れねぇなら」


そこで言い止めると、座っている私の方に近づいて来て、唇を合わせてきた。


「んん?!」


私が晴矢の胸を叩いて抗議しても、晴矢はお構い無しで続けた。

さらに、酸欠になって私が唇を少し開けるとにゅるりと舌を入れてきた。


私の舌に、晴矢の舌が絡まって息が出来ない。自分の頬が熱くて、汗がたらりと落ちた。



その後、晴矢が唇を離した。


「これで、温まるだろ?」


晴矢はにやっと笑う。

つまりあれか、君はホットミルクの代わりにキスしろと言いたいのか。


「馬鹿じゃないの…!」




晴矢は本当に、馬鹿だ…。


でも一番馬鹿なのは、それでもいいかと感じてしまった私自身だろうな。





ああ、瞳子さんすみません。あなた直伝のおまじない、晴矢の所為で効きそうにないです…。






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