随分と、曖昧な約束をしてしまったものだ。
よく考えたら彼の名前も、何年何組なのかすらも、彼に関することを何も知らない。
それに、彼に会って今更何を話せばいいのだろう。 彼に会うこと自体が目的になっている自分に気付いて、少し戸惑う。
もし、私が金曜日のお昼休みに屋上にいかなかったら、彼は傷付いたりするんだろうか。 何で来なかったのか、とか、私のことを考えたりするんだろうか。
あんな気紛れに過ぎない他人の言葉に振り回されるなんて私らしくない。
「はぁ…。」
「どうしたの?ナミ、あんたさっきからニヤニヤしたりため息ついたり、気持ち悪いわよ。」 「えっ、ウソ!私、ニヤニヤしてた?」
ノジコの言葉で、はっと我に返る。
ノジコとは、カフェのオーナーをしている私の姉。 オーナーと言っても、そんな立派なものではなく小さな小さな街のお店。
今日は部活の無い土曜日。朝からオープン前の準備を手伝っていたのに、余計なことに気を取られてしまっていた。
「どうでもいいけど、さっさと終わらせてよ。そのテーブルばっか何十回拭いてるの?」
気が付いたらテーブルはピカピカで私の情けない顔がはっきりと映っていた。
「え…あ、あー、ごめん!」
考えても無駄なことは、考えないのが一番良い。
壁にかかった時計を確認して作業を早めた。
土曜、日曜は珍しいほどにお店が混んで大忙しだった。 お陰で変に考えすぎることは無かったけれど。
休みが明けて学校に来ると、やっぱり思い出してしまう。
一時間目は教科担当の講師が突然の病欠で自習になった。
自習といって真面目に勉強するような奴らばかりじゃないうちのクラスはすぐにワイワイと騒ぎ始めて無法地帯になる。
私は、読んでもなかなか頭に入ってこない小説をただボーッと眺めていた。
「ナーミさん!どうしたの?悩み事?」 「あ…サンジくん。」
名前を呼ばれて顔を上げると目の前にサンジくんが立っていた。 サンジくんはクラスメイトで、私がマネージャーを努めるサッカー部のキャプテン。勉強もそこそこできるし、気が利くし、なのに女の子にモテないのは、
「悩み事なんて、らしくないね。でも憂いを帯びてるナミさんも素敵だー!!」
この女の子大好きという性分のせいだと思う。
「悩み事ってほどでもないわ。それより、何か用?」 「一分一秒でも…ナミさんのそばにいたくて……来週の週末も一緒に過ごせると思うと夢のようだー!」 「はいはい、練習試合の件ね。」 「さっすがナミさん!俺の考えてること全てお見通しだね。…は!これって相思相愛!?」
サンジくんの言葉を聞き流しながら、確か予定は、とスケジュール帳を開いていたら、隣の席のゾロがむくりと起き上がった。 ゾロという男は自習でも自習じゃなくても常に寝ている。部活と学食のためだけに学校に通っているような奴だ。
「いちいち騒がしい野郎だな…。もっと静かに話せねェのか?」
居眠りを妨げられたゾロは、いつも無愛想のくせして更に眉間の皺を深くして、あからさまに不機嫌そう。
「うるせー!マリモにはわからんだろうが、恋はいつでもハリケーンなんだよ!!」 「あぁ!?てめェのその眉毛を逆巻きにしてやろうか!?」
私とサンジくんとゾロは一年生から同じクラスで一緒にいることが多いけど、この二人は仲が良いのか悪いのか、顔を合わせればケンカをする。 全く、私を巻き込まないで欲しいものだわ。
サンジくんと来週の予定を話せそうにないし、小説の続きを読む気になれない。 やることの無くなった私は窓の外に目を向けた。教室の一番後ろで窓際のこの席は私のお気に入りの場所。
校庭のグラウンドでは体育の授業中のようだ。
あのジャージの新品そうなところを見ると一年生かしら?
走り幅跳びの測定を、勝った負けたと一喜一憂している姿が可愛らしい。 開けっ放しの窓からキャッキャとはしゃぐ声が教室まで聞こえてくる。
「ウソップ見てろよー!俺が新記録出すからなー!」
聞き覚えのある声。
声の主を見て、自分の目を疑った。
あ。
アイツだ。
屋上の、あの子。
同じ学校なんだから、いてもおかしくはないのだけど。
心臓の奥がドクンと鳴った。
窓から身を乗り出している私に気付いて、サンジくんとゾロが口喧嘩をやめる。
「あれ?ルフィじゃねェか。」
後ろでサンジくんが呟いた言葉に「ルフィって誰のこと?」と聞き返す必要は無かった。
ふいに、彼が、こっちを見上げた。
「あ!サンジ!ゾロもいる!おーい!」
嬉しそうに、ブンブンと大きく手を振っている。
…え?どういうこと? この三人、知り合いなの??
後ろを振り返っってから、もう一度窓の外の彼を顔を確認しようとしたら、ばっちり目が合ってしまった。
黒い瞳が私を射抜く。
「あー!!お前、二年生だったのかー。おーい!」
授業中だと言うのに、ピョンピョン跳び跳ねながら話し掛けてくる。校庭のほとんどの生徒の視線が私に集まっている気がして、顔が一気に熱くなるのがわかった。
「ナミ、ルフィのこと知ってんのか?」 「いや、知り合いっていうほどじゃ…。」
ゾロの質問に曖昧に答える私の声をかき消すほどの大声で彼は呼び続ける。 いい加減に見兼ねた先生が彼を捕まえに奮闘するも、彼は身軽にその腕をすり抜ける。
ちょっとした騒ぎに隣のクラスの子達も窓から顔を出し始めた。
みんなが、私と彼に注目をしているというのに、彼は全く気にしていない様子。
「おーい!お前、また来るだろー!?」
笑うと目が三日月みたいに細くなって、より幼く見える。
初めて会った時から感じていたけど、
何て、眩しく笑うんだろう。
きっと、
私、もう一度、彼の笑顔に会いたかったんだ。
「ナ、ミ!」 「えっ!?」 「『お前』じゃなくて、私はナミっていうの!」
いつもの私だったら考えられない。こんな人前で目立つようなこと。
なのに、体の底から沸き上がってくる何かが私を突き動かす。
「ルフィ!真面目に授業受けなさいよね!」
思いきって、彼の名前を呼んでみた。
ルフィは一瞬キョトンとしてから、さっきよりも、もっとずっと眩しく笑う。
「おう!ナミー!またなー!!」
「何が『またな』だ!授業中に堂々とデートの約束かァ!?」 「うわっ!フランキー、離せよ!!」 「先生をつけろ、先生を。」
ルフィがこっちに気をとられている隙に、先生に捕まえられてしまった。
「ばーか。またね!」
ヒラヒラと手を振って、ピシャリと窓を閉めた。
ルフィは先生に首根っこを捕まえられたまま、両腕を振り回して私に応える。
「えっ!え!?ナミさん、アイツとどどどどういう関係!?」 「さあ?私にも、よくわかんない。」
アイツが、私の名前を、呼んだ。
どうしよう、口元が緩む。
両手でそれを覆い隠して深呼吸をする。
サンジくんだけじゃない。 クラス中が、さっきのやり取りを何事かと聞いてくる。
「んー、何でもないっ!」
私のその答えじゃ納得いかないというように不満をぶつけられるけど、何だか今はそんなことどうでもいい。
昼休みが待ちきれない。
平穏無事に過ごしてきた一年と一ヶ月。
退屈に終えるはずだった私の高校生活は
彼によって、 突然、慌ただしく、色を変えた。
曖昧な約束が確かなものに変わった。
段々と暑い季節が近づいてくる、五月。
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